*2001年12月03日:盲牌について
*2001年12月04日:「「2001年宇宙の旅」の真相」批判への回答
*2001年12月05日:娯楽について
*2001年12月06日:まぁ普通は、不幸だわな
*2001年12月07日:Nさん資料、第12便
*2001年12月08日:「SF JAPAN VOL.3 手塚治虫スペシャル」
*2001年12月09日:殺人鬼を想う
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2001年12月03日:盲牌について


 最近は、みょ〜に「くらたま」にはまっているのである。漫画家・倉田真由美 である。たしか、単行本はまだ2冊しか出ていないと思う。

 別に同姓のよしみというわけではない。浜口乃理子 にはまったので、そのつながりで引っかかってきたというわけ。両者に共通する性格は「ヘコタレ系」[;^J^] というかなんというか..ま、手塚治虫の対極ではある。(少なくとも仕事量は。)

 彼女らの漫画(特にくらたまの「突撃くらたま24時」)を読んでいて改めて気がついたのだが..盲牌って、むずい?(麻雀を知らない人へ:盲牌(もうぱい)とは、麻雀牌の表面に親指の腹をあてる(こする)だけで、目で見ることなく、その牌がなんであるかを判別する技術である。)

 この漫画では、シロウトには不可能に近く、そこそこのベテランでも結構間違えることがある、ということを(読者にも了解されている共通認識として)前提としているのだが..私は、いまだかつて盲牌が難しいと思ったことが無いのである。

 まぁ、かれこれ15年以上、牌を握っていないのは確実であるが..今でも絶対に間違えない自信がある。学生時代、麻雀を手ほどきされた最初の一日(というか最初の一時間)でマスターしてしまったはずである。一体全体、どこに間違える要素があるのか、さっぱり解らん。強いて言えば、牌のデザイン次第では、「イーソー」と「発」が判別しにくいことがあるくらいか..マンズが難しいとされているが、理解不能である。

 指先の感覚が鋭いという自覚は無いが、指先の皮が薄めであることは事実なので、やはりセンシティブなのかも知れない。(「皮が薄い」は、医者の言である。その証拠に、やや赤みを帯びているのだ。血の色が透けているのである。実際、人並み外れて、熱いものを持つのが苦手なのではあった。猫舌ならぬ猫指である。)

 Badtrans.B、本日は17本。

*目次へ戻る


*2001年12月04日:「「2001年宇宙の旅」の真相」批判への回答


 年末になると、各古書店からの目録攻撃が激化する。本日到着分に、せりか書房の「エリアーデ著作集」全13巻を1万5千円で発見。ネットをざっとチェックして、問題なく廉いことを確認した上で発注するが..一体、いつ読むんだよ、いつ!

 数日前に、「「2001年宇宙の旅」の真相」の読者から、批判メールをいただいていた。統計的に、大体2万ヒットに1回くらいの割合で、批判メールが届くのだ。(2万人にひとりしか批判していない、などという判断は、もちろんしていない。わざわざメールを書くという手間をかけるほどまでに批判的な人が、この割合で存在している、ということである。たまたま立ち寄った、とあるBBSで、さんざん批判されているのを目撃したこともある。)

 まぁ、今回のメールについて言えば、一読して明らかに中学生か高校生の文章なのだが..相手が子どもだからといって適当にいなすのも失礼なので、きちんと回答しておいたのだ。(獅子は兎を..違うちがう [;^.^]。)そしてその(かけた)手間が惜しいので、本日の日記に全文引用しておこうというわけだ。(要は、今日はネタが無かったのである。)


 「これは論理と思弁の遊戯である」、というサインを読み落とされましたか? 「まじめなのか、ふざけているのか」とおっしゃるのであれば、どちらも外れです。正解は、「まじめな遊び」。そもそもSFとは、そういうものではありませんでしたか?

 キューブリックもクラークも、私が解いてみせたような「解釈」(あるいは「真相」)など、夢にも考えていなかったことは確実です。考えるまでもありません。あの映画が「超人類の誕生(“但し人類の独力によるものではない”)」を描いていることも、言うまでもありません。それはあの映画を観た人であれば、誰もが知っていることです。あなたも知っているでしょうし、私も知っています。

 だから、そのようなことを「書く」理由も必要も無いのです。常識だからです。

 約8年前のある日、私は突然、誰ひとり思いつかなかったような(たとえ思いついた人がいたとしても、いまだかつて書かれたことがないような)「解釈」を考えつきました。これには、書かれる価値と読まれる価値があります。類似の物が世の中に存在しないからです。

 それが、「オリジナリティ」というものです。

 では、私の文章は、あの映画を、キューブリックを、クラークを貶めているのでしょうか? 無論、そんなことはありえません。考えるまでもないことです。私の文章が存在しようがしまいが(あるいは、誰の文章が存在しようがしまいが)、あの映画は、こゆるぎもしないでしょう。グールドが弾こうがキース・ジャレットが弾こうが、ワルター・カーロスや冨田勲がシンセサイザー音楽に編曲しようが、バッハの音楽がこゆるぎもしないように。あの映画のキャパシティは、そんなに小さなものではありません。私は、そのことを熟知しています。だから、書いたのです。のびのびと遊ばせてもらったのです。

 「超人類の誕生(“但し人類の独力によるものではない”)」という、あまりにもあからさまに当たり前の「解釈」(「真相」)以外に、実にさまざまな「解釈」が存在していることは、言うまでもありません。(もっとも、私は、あの文章を書く前には、それらに目を通すことはしませんでしたが。)そしてそれらの多くが、「こじつけ」の域を出ないことも。私の文章も同じことです。誰がどう考えても、「殺人事件説」は「別解」、「特異解」、あるいは(たったいま発明した言葉ですが [;^J^])「邪解」でしょう。しかしそれでも、それは「「2001年宇宙の旅」をとりまく宇宙」のメンバーであり財産であり、あの映画に特異な角度の光線を当てることによって誰も見たことも考えたことも想像したこともないような光景を現出させたという意味で、その「宇宙」を豊かにしているのです。例え、「トリックスター」に過ぎないとしても。

 おわかりいただけたでしょうか?

 釈然とされないのであれば、これ以上の説明はしませんが、もしも趣旨がお判りいただけたのでしたら、私のホームページに「「2001年宇宙の旅」の真相」と並べておいてある「夜の果てのオデッセイ」も読んでみて下さい。後半で、やはりこの映画に言及(というか、この映画を利用)しています。「解釈」としては、さらに(遙かに)アクロバティックなものです。

 以下、余談になりますが、私は、この映画を、もっと「オカルティズム」の側面から評価すべきだと考えています。「クラーク」の名と「究極のSF映画」という伝説が、「オカルト映画」として考察することをためらわせているのではないでしょうか?

 スターゲイトに飛び込む直前の、あの木星の衛星群のダンスこそ、オカルティズムのビジュアル表現の極致ではないでしょうか。絶対にあり得ない角度に、美しく並べられた衛星群。しかしそれが「あり得ない」と知りつつも、木星の衛星系の表現としては、「これ以外に無い!」、と叫びたくなるほどの決定的なイメージです。「自然は数学的に理知的に作られている」という古代ギリシャの哲学、プトレマイオスが完成させた占星術の体系..この滔々たる「神秘主義」の血脈が「ハードSF」と完璧に融合した、希有の成果ではないでしょうか。相対性理論にせよ、コンピュータのデバッグシステムにせよ(学生時代の私は、スターゲイトの光のシャワーを、このように解釈するのが好きでした)、生物学の隠喩にせよ、殺人事件 [;^J^] にせよ、究極の科学と究極のオカルトが分離不能に融合したこの映画のひとつの角度、ひとつの風景に過ぎません。我々は、「象を撫でる群盲」なのです。そしてそれは、とても幸せなことなのです。


 Badtrans.B、本日は5本。そろそろ下火なのかな..って、1日に5本も来て、下火もくそもねーよっ

*目次へ戻る


*2001年12月05日:娯楽について


 さて、倒産した松菱デパートであるが、何しろ繁華街のど真ん中のビルなので、邪魔で仕方がないのであった。といって、エラリー・クイーンの某名作ミステリじゃあるまいし、一夜にして消すわけにもいかないし..そこで私の提案である。遊興施設にすれば良いのだ。昼間はいい。夜だけ使おう..

 ..つまり、お化け屋敷、幽霊屋敷である。蝋人形を調達するには及ばない。マネキンが残っているはずだからだ。夜の無人のデパートに、マネキン人形群..宝探しの趣向はいかがだろうか? 闇の中の..

 Badtrans.B、本日は13本。

*目次へ戻る


*2001年12月06日:まぁ普通は、不幸だわな


幸福な家庭は皆一様に幸福だが、
不幸な家庭は様々に不幸である。(トルストイ)
バグのないプログラムは皆一様に仕様通りに動くが、
バグのあるプログラムは様々に動作する。(倉田わたる)

 (..12年ほど前に junet に書き逃げしたネタの使い回しである。もう時効だろう。)

 Badtrans.B、本日は8本。

*目次へ戻る


*2001年12月07日:Nさん資料、第12便


 ちとグロッキー。代休消化にあてて自宅静養。やはりほどほどに休みは取らないとね。

 外出はおろか、コタツから這い出すのもしんどい体調となると、やるべきことはひとつである。リストのメンテだ..というわけで、これまで手を付ける時間も余裕も無かった、Nさんからの手塚治虫資料・第12便の整理に取りかかる。

 今回の目玉は、「ぼくの孫悟空」。この初期の傑作は「漫画王」誌に連載されたのだが、連載後期を除いて、各図書館ではほとんど閲覧不能。古書市場にはそこそこ出てくるのだが、極めて高価で手が出ない..

 今回送られてきた資料も、飛び飛びではあるが、初期から中期にかけての各章が何年何月号に掲載されたのか、いくらかでも明らかになってきた。ま、気長にいこう。

 「月刊少年チャンピオン 1977/09 号」が届いた。これで、「ちびママちゃん」(吾妻ひでお)の未読エピソードは、あますところ、あと1編である。

 Badtrans.B、本日は5本。

*目次へ戻る


*2001年12月08日:「SF JAPAN VOL.3 手塚治虫スペシャル」


 休出の疲労を癒すために取得した代休によって生じた仕事の遅れを取り戻すために休出する..美しい(かも [;^J^])。

 帰宅してから知った。「少年雑誌の絵物語などで戦後の子供たちを熱狂させた画家の小松崎茂(こまつざき・しげる)氏が7日午後9時26分、心不全のため死去した。86歳」..大往生..と言うべきなのであろう..

 「SF JAPAN VOL.3 手塚治虫スペシャル」(徳間書店)を、ようやく入手。版型が大きくなっていたので、発見が遅れた。これはなかなか良いですよ。必ず買いなさい。

 メインは、カヴァー小説11本で、「梶尾真治(鉄腕アトム)」、「太田忠司(W3)」、「井上雅彦(ブラック・ジャック)」、「山田正紀(魔神ガロン)」、「草上仁(ミクロイドS)」、「牧野修(ビッグX)」、「大塚英志(ふしぎなメルモ)」、「田中啓文(三つ目がとおる)」、「森奈津子(リボンの騎士)」、「若木未生(ルードウィヒ・B)」、「五代ゆう(バンパイヤ)」、という布陣。森奈津子版「リボンの騎士」など、想像するだに恐怖だが、それはそれとして [;^.^]。

 もうひとつの目玉は、「火の鳥」の「COM版・望郷編」の再録と、「アトム編」の試作(二階堂黎人)。

 コミック部門では、「火のとり・」(とり・みき)、「偽鳥人大系」(唐沢なお虫)、「ロック・ホーム おまえは誰だ?」(水玉螢之丞)。他、対談、評論、インタビュー、コラムなど、盛りだくさん。評論2編はくだらないが、他はそうでもない。総合評価として、1800円は高くない。

 Badtrans.B、本日は9本。

*目次へ戻る


*2001年12月09日:殺人鬼を想う


 最近(ここ数日間)は、「天狗」でも「銀座ライオン」でもなく、「こだわりやま」という店に通っている。(いったん、ある店に目を付けると、集中的に通い詰めるクセがある私であった。)。ザザシティと(旧)松菱デパートの、道を距てた向かいのビルの2Fにある、繁華街のど真ん中の店である。

 別に、天狗や銀座ライオンに不満があるわけではないが、(特に)料理の目先を変えたかったことと、若い店員たちの元気な就業態度が気持ち良いので、しばらくここに腰を落ち着けてみることにしたというわけ。(ただし、やや、常連客(あるいは“身内”)と馴れ馴れしくしすぎる(商売そっちのけで話し込む)傾向がある。天狗では、店員のこういう態度は、店長やチーフによって厳しく戒められている。)店内(少なくともカウンタ)でPHSが入る(すなわち、メールの送受とWebの参照が出来る)というのも、ポイントではある。

 カウンタの左端に座ると、左側の窓から街路を見おろせる。これが面白い。ちょうど、ザザシティの新館と(旧)松菱デパートのあいだの通り(浜松の繁華街の主要街路のひとつであるモール街(だったかな))の入口が見通せるのだが、宵の口の雑踏が、夜が更けて行くに従って徐々にすいて行き、0時を回る頃には行き交う人々の足も途絶え、ほとんどひとけがなくなって行く..

 ..つまり、「羊たちの沈黙」のエンディング・クレジットなのであった。野に放たれたレクターは、どこにいる..どこの星空を見つめている..

 Badtrans.B、本日は13本。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 12 2001 
Copyright (C) 2001 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]