*2001年11月05日:大道芸in静岡 2001の審査結果
*2001年11月06日:酒、三題
*2001年11月07日:NAV 2002、届く
*2001年11月08日:星界の果て
*2001年11月09日:ワールド・ミュージック・ライブラリー
*2001年11月10日:落穂舎に4冊発注
*2001年11月11日:耳を澄ませば
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*2001年11月05日:大道芸in静岡 2001の審査結果


 大道芸in静岡 2001の審査結果を、公式ウェブページ(http://www.daidogei.com/)で確認する。まず、ワールドカップ部門。

*チャンピオンダン・メネンデス
*シルバーロマノ・カーララ
*ブロンズクローム

 ジャパンカップ部門。

*チャンピオンサブリミット
*シルバーつぶつぶオレンジ
*ブロンズダンディGO

 その他。

*実行委員会特別賞レレファン・ヴェール

 今年観たパフォーマーについては、リンクを張っておいた。つまり、ワールドカップ部門は、全滅である。ジャパンカップ部門の「サブリミット」と「ダンディGO」については、去年までにその実力を確認しており、その意味で、「今年は安心して見送った」のであるが、例えばチャンピオンになった「ダン・メネンデス」の「ジャグリング中のボールでキーボードを弾く」芸は、時間が取れれば観たいものだと思っていただけに、ちと残念。

 まぁ仕方がない。今年は、なにしろあの「ヘルバードリーム」と「トランス・エクスプレス」で、容量オーバーしてしまったのである。贅沢言ってちゃいけない。

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*2001年11月06日:酒、三題


 小説にせよ漫画にせよ、登場人物たちが酒を美味そうに飲んでいると、読んでいる私も幸せになってしまう。そしてついつい彼らと同じ(少なくとも同じ種類の)酒を、同じような状況で飲みたくなってしまうのだ。

 三例、挙げよう。

 まず、「陰陽師」(夢枕獏、文春文庫など)。

 とにかく、毎度の事件が起こる前に、安倍清明と源博雅が酌み交わす酒(と肴)が、実に美味そうなのである。極端な話、私にとってはこのあとの事件はどうでも良く、ここだけ読んでいれば幸せなのである [;^J^]。これを読む度に、日本酒を(廉くて)旨い肴で飲みたくなる。(それはそれとして、あの「ゆこう」「ゆこう」は、行数稼ぎだとは思いませんか? [;^J^])

 次に漫画で、「宮本から君へ」(新井英樹、モーニングコミックス)。

 例によって、記憶だけで書くが..実はそれほど好きな作品では無いのだが、物語の中盤(というか後半の序盤?)、宮本が、仕事がうまくいった!(「契約が取れた!」)と錯覚して、先輩とふたりで盛り上がりまくり、最高に幸せな酒を飲むシーケンスがある。ここが素晴らしいのだ。

 ふたりが一本ずつ一升瓶(とつまみ)をぶら下げ、河原の土手を登る。そして夕暮れの中、周囲に人っ子ひとりいない広々とした風景の中で、(これもぶら下げてきた)茶碗の埃を吹き飛ばして酒をつぎ、飲み続ける..

 ..これほど美味そうな酒の描写を見た(読んだ)記憶が、ほとんど無い。何よりも、このシチュエーション(ひとけの無い広大な風景と、残照)がいいのだ。これを読んだ私は、すぐさまこれの真似をしようと思い立ったのだが..いい歳をして(ひとりで)これをやると、ホームレスにしか見えないことに気がついて、思いとどまったのであった [;^J^]。

 最後に、「舞(まい)」(原作:工藤かずや、作画:池上遼一、SVコミックス)。

 学生たちが、ヒロインである「舞」(か弱い、あとげない少女だが、実はエスパー)を、悪者(国家権力)から奪取し、学生寮に保護するシーケンス。その寮の一部屋に寮生たちが集合し、善後策を練るのだが、その前に、缶ビールが人数分運び込まれ、(「ビールだ、ビールだ!」、と)わっと盛り上がって乾杯するのであるが、この数ページの、沸き立つような高揚感とスピード感は、最初読んだときに、思わず声に出して、「ほ、ほおぉぉぉ..」、と、溜息をついてしまったほどのものである。池上遼一の腕の冴え! 多分、原作では1〜2行で片付けられているシーンなのであるが..

 ..とはいえ、この時ばかりは、ビールを買い込んだりはしなかった。このシーンのビールの美味さは、ひとつの目的(「舞を守る!」)のために集まった若者たちの昂りあってこその、ものだからだ。

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*2001年11月07日:NAV 2002、届く


 さて先月末(10/29)、ショップシマンテックのページから Norton AntiVirus 2002 を発注できず(というか、このページに行くとブラウザが固まり)、怒りまくって、ショップシマンテックに(「一体、私としてはどうしたもんでございましょうかね」、という嫌味な [;^J^])FAXを送ってあったのだが..おや、NAV 2002 のパッケージが、いきなり届いたよ。ありがたい。嫌味を書いて御免ね [;^J^]。

 それはいいが..一体どうやって代金を払えばいいの? [;^J^] 請求書も、郵便振替用紙も、なんにも入っていない。支払い方法は、Webに書かれているのかな? ..だとしても、そこにはアクセス出来ないんですが [;^J^]。

 ま、そのうちなんか言ってくるでしょ。取りあえず、インストールだ [;^J^]。(今使っている NAV 2001 の、LiveUpdate サービス期間が、あと数日で切れてしまうのである。)

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*2001年11月08日:星界の果て


 ネタが無い(昔話をしている)日は、終日(遅くまで残業して)真剣に仕事をしていた日である、と、理解していただきたい。(対偶を取るには及ばない。世の中は、論理で割り切れるものではないのだ。割り切れないんだってば! [;^J^])

 ..さて、昔話である。[;^J^]

 PC−9801が「ゲームマシンの王者」であったことは、ただの一度も無い。ファミコン以前の時代には、コンピュータ少年(コンピュータ少女は少なかったねぇ)たちは、マイコン(あるいはパソコン)でゲームをしていたものだったが、そのプラットフォームは、PC−8001/8801であり、MZ−80K/C/Bであり、FM−7(または8)であり、X−1であった。PC−9801は、必ずしも「ビジネスマシン」として売り出されたわけでは無かったにしても、これらに対して明らかに高価であったし、恐らくそれが主たる原因で、少なくとも当初はゲームソフトの数は多くなかった。私の記憶では、「PC−9801時代の初期」に覇を争った「ゲームマシン」は、PC−8801、FM−7、X−1である。多くのゲームソフトは、取りあえず、この3プラットフォームに対応していた。

 しかし98は、ゲームマシンとしては高価すぎる機種であったということは、つまり、もっとも贅沢なハードウェアを持っていたわけであって、(当時としては)最高水準のゲームは、98で(98のみで)動いた。あるいは、まず98にインプリメントされ、そののち、(ハードウェアのグレードの下がる)別のマシンに移植されたのである。その、ごく僅かな「98専用ゲーム」の追憶である。

 なんといっても、まずは「田中のフライトシミュレーター」である。これは以前も書いたと思うが、とにかく、ワイヤーフレームの3D図形が「リアルタイムで」動いたのは、少なくとも日本のパソコン史上、初の事件だったと思う。(世界初かどうかは知らないが。)

 しかし、これは非常に操作が難しいゲームでもあった。今にして思うと、飛行機の動きには(バンクもつけずに旋回するなど)ほとんどリアリティが無かったのだが、それにしても「当時のゲーム少年たちにはリアル過ぎて」、難しかった。

 その数ヶ月後に現れたのが、確か「システムサコム」という(秋葉の)中小メーカーから発売された「Valiant」というゲームである。作者は「マーク・フリント」とかいう名前だったが、もちろん日本人。

 これが、まさに驚異的なゲームだったのである!

 ストーリーは、無いも同然 [;^J^]。ひたすら宇宙空間を飛んで飛んで飛んで飛んで、眼前に迫る敵機を打ち落とすのみ! ときどき惑星が現れるので、激突しないようにスピードを落とすと着陸でき、今度は惑星上空を飛んで飛んで飛んで飛んで、眼前に迫る敵機を打ち落とすのみ! 暫くすると、勝手に宇宙空間に離脱してしまうので、再びひたすら宇宙空間を飛んで飛んで飛んで飛んで(以下、繰り返し)..

 ..実に、ゲームオーバーのシーンすら無いのである。1時間も飛んでいると、(宇宙空間を?)一周してしまうのだが、そこはゴールでは無い。さらに飛び続けることが“出来る”。体力と気力が尽き果てるまで..[;^.^]

 まず、この“単純さ”がポイントである。もっともこの“単純さ”は、当時の大概の“コンピューターゲーム”に共通していたのだが、この「頭の中が真っ白になる」感覚こそ、“ゲーム”の醍醐味であろう。

 次に、その宇宙空間の“3D表現”の“リアリティ”が、まさに驚異的であった。宇宙空間の深奥に飛んで飛んで飛んで飛んで(もういいっちゅうに [;^J^])行くにつれて、“星の群れ”が迫り、後方に飛び去って行く。右に左に上に下に操縦桿を切ると、“星の群れの流れ”がリアルタイムに反応して、まさに宇宙空間の中で、その方向に向きを変えたことが実感できる。そしてその“星の群れ”は、決して一様ではなく、時々、全く星の無い空間(暗黒星雲と言うべきか)に飛び込むかと思えば、球状星団のごとき光の固まりが眼前に迫ることもある..

 ..それは、上記の「田中のフライトシミュレーター」よりも、圧倒的に派手で、面白かったのだ。

 私は、とことん、これにハマった。敵機を撃破することの快感よりも、むしろこの“リアルな宇宙空間”を飛ぶことの快感から離れられない、SF者として..

 しかし私は、当時から、このゲームの面白さの“秘密”は判っていた(ような気がする)。なぜ、「田中のフライトシミュレーター」よりも、これほど派手なのか。「田中のフライトシミュレーター」よりも遙かに大量のオブジェクト(宇宙空間を飛来し飛び去る星々!)を、これほど高速に動かせるのか。

 それは、“手抜き”をしていたからである。それぞれのプログラムのソースを見たことがあるわけではないが、「田中のフライトシミュレーター」は、ある程度真面目に3Dでワイヤーフレームの物体を動かす計算をしているようにみえる。それに対して「Valiant」は、3Dの計算は、非常にいい加減にやっているように見えた。しかし、結果として得られる、これほど派手な視覚効果の前では、計算の正確さ(不正確さ)などは、問題にならないのだ。(そもそも宇宙空間を、仮に超光速飛行できたとしても、星の海はこのようには見えない!)

 ここに、重大な教訓がある。仕事の話とニアミスするので適当にぼかして書くが、あるメーカーが開発した、非常にリアルなシミュレーション系の電子楽器は、発売されてから、もうかなりの時間が経っているが、今までのところ、マーケットに受け入れられていない。操作に熟練すれば、他のいかなる電子楽器よりも「本物」に近づけるのであるが、「その操作方法が難しいこと」「熟練したところで、結局、本物に“近づける”だけであること」が、大きな理由であると考えられる。要は、「熟練しがいがない」のである。

 「リアルであること」自体が価値を生むわけではない。肝心なのは、ユーザーに「(価格に見合った)喜び」を与えられるか否かである。「嘘でも良い」のだ、面白ければ!

 (ちなみに、このシステムサコム(マーク・フリント)は、(タイトルは忘れたが)PC−9801用のピンボールゲームも作り、これまた素晴らしい作品であって、秋葉原の店頭の多くのPC−9801ではこれがデモ用に走らせられていたのだが、そのおかげで(このゲームで使用する)ESCキーは、店頭の大概の98では壊れていた、という実話まである。また、のちには、確か「DOOM」という、地下洞窟探検型のゲームを作り、ここではまた、当時の他のパソコンゲームとは一線を画した、リアルなモンスターたちの滑らかな動きで我々を驚かせてくれた。ことほど左様に、初期のPC−9801ユーザーたちに、「数こそ少ないけれど、ぼくらは最高のゲームを遊べるんだ!」、という喜びとプライドを与えてくれた、忘れがたいメーカー(プログラマ)であったのである。)

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*2001年11月09日:ワールド・ミュージック・ライブラリー


 車通勤の友として、今度は遙か昔(10年以上前だと思う)に購入した、キングレコードの「ワールド・ミュージック・ライブラリー」を虫干ししている。全50巻。今でこそ、このジャンルの大規模なCDセットはいくらでもあるが、当時、50巻もの規模の全集は無かったと思う。だから、購入したのだ。20巻かそこらのセットは色々あったが、それでは結局「世界」を網羅できず、定番地域の音楽ばかりだからである。

 しかし、さしもの50巻ものライブラリとは言え..やはり世界は広い..というか、購入当時は気づかなかったのだが、南北アメリカ大陸の音楽が、全く含まれていない。また、ヨーロッパも、スコットランド、ギリシア、ブルガリア、ルーマニアの4枚だけ。アフリカも2枚だけ..

 つまり、圧倒的に、アジア、それもインドを中心とする南アジアと、東南アジアに偏っているのであった。このセットだけで、「ワールドミュージックは、OK!」、というわけにはいかないのである。ま、仕方がない。

 今日までに10枚ほど聴き返したのだが、ここまででの圧巻は、「砂漠のアラベスク 〜 アラビアの音楽」(KICC5104)に収録されている、「スーフィのジクル」(宗教儀式の実況録音)であり..あまりの迫力に、運転がお留守になりかける、という危険なものである! 10年前にも聴いていたはずだが、当時はスーフィのことを知らなかった。(CDの解説にも、スーフィ自体に関する記述は、ほとんど無い。)ささやかではあるが、いくらかでも知識を得てから聴き返してみたら、「違うもの」が聴こえてきた、というわけだ。「音による文献」としても貴重である。

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*2001年11月10日:落穂舎に4冊発注


 飛び込みの仕事で休日出勤。明日までかかる見込みである。

 帰宅したら、シマンテックから、NAV 2002 の代金の郵便振込用紙が届いていた。コンビニ可。よしよし、便利だ..が、NAV 2002 本体に同封していただけると、もっとよろしかった(支払い方法に関して気を揉まずに済んだ)んですけど [;^J^]。

 落穂舎の目録も届いていた。をを、探求書が4冊も載っている! 中には相場よりも若干高そうなものもあるが、それでも合計1万円である。これは考え方にもよるが、目の前に3000円の物件がある時に、本来ならば2000円で買えるはずであるとして、さらに5年間探し続けるべきか、もうここらで手を打つべきか..

 今回は、迷わず4冊(1万円)発注することにする。

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*2001年11月11日:耳を澄ませば


 朝いちで、落穂舎に4冊発注のFAX。

 休日出勤途上のコンビニで、シマンテックに NAV 2002 の代金払い込み。

 さて、昨日に引き続き、楽しい楽しいお仕事である..はずだったのだが..

 ..「業務上知り得た秘密」にならない範囲で、少し詳しく話そう。実に嫌な(不思議な)現象に遭遇したからである。

 適当にぼかして書くが、今回の私の仕事は、とある製品の「音色チェック」である。搭載される予定の(膨大な量の)音色を順番に聴いて、不都合が無いかどうかチェックする。チェックと言っても、音楽的なチェックではなく、ノイズが混入していないか、音量バランスは問題ないか、等などのいわば物理的なチェックである。従って、難易度はそれほど高くないのだが、何しろ音色数が多いので、終わり頃には大分疲労もたまってきた。

 不思議な“もの”が聴こえたのは、あと20音色ばかりを残した、まさに終わり際だった。

 ニュアンスとしては、“悲鳴”が最も近い。

 しかし、悲鳴そのものではないし、明確に聴こえるわけでもない。そのような“印象”を受けるのである。それも、最初は気がつかなかったのだが、繰り返し聴いているうちに、“それ”の存在が耳に付くようになってきたのである。そしていったん気づくと、もはや耳から離れることはない..

 ..もちろん、こんなものは心理的な錯覚である。夜、寝る時に、天井の模様に幽霊や怪物の顔を見つけてしまい、それが決して消えなくなってしまう、子どもの恐怖と同じことだ。単に疲れているだけなのだ。

 ..それにしても、何故、これほどはっきりと聴こえるのか。しかも、この“音”は、4つの部分音から合成(ミックス)されているのだが、ためしにどれかひとつをオフにすると、聴こえなくなる。4つ全部鳴らしたときにのみ、聴こえるのである。

 このことに気がつくまでは、「一体、どこでサンプリングされた音なんだ?」、と、調べようかとすら考えていたのだが..録音される時に、スタジオの外側(あるいは内部)で“何か”が起こり、それにスタッフが気づかぬうちに、回り回って、製品に実装されたのではないか、と、ありがちな怪談の可能性も考えていたのだが..4音同時に鳴らさないと“悲鳴”を構成しないとなると、その可能性は低くなる。この4音は、出所が全く異なる可能性の方が高いからだが..やはりそこまで調べるべきだろうか..この音を載せたまま発売しても良いものだろうか..

 現実問題、調べている時間は取れそうも無い。そもそもリリース直前の最終チェックであり、音色の差し替えというのは、日程的に想定外である。もちろん、明確に(ノイズ混入などの)事故を起こしている音色ならば話は別だが、この“悲鳴”は、他の人(スタッフ)には聴こえない可能性も低くない。私にしてからが、最初は気がつかなかったのである。「ほらほら、良く聴くと気持ち悪いでしょ?」、などという曖昧な根拠で、それこそ日程に影響を与えかねない提案(音色差し替え)をすべきではない..

 ..しかし..やはり単なる錯覚とは思えない。なぜなら、繰り返し聴いているうちに、“悲鳴”がさらに(音量的には小さいままだが)クリアになり、その内部の複雑な構造が聴こえてきたからである。それは“言葉”ではない。言葉ではないと思う。少なくとも人間の言葉ではない。人間の口は、こういう発音をするようには出来ていない。しかしそのニュアンスは、前にもまして、はっきりと“悲鳴”である。一体、誰の..いや、一体、“なんの”悲鳴なんだ..?(もう、夜も更けてきた。チェックを終えなければならない時刻である..)




..全部、嘘。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 15 2001 
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