*2001年05月14日:不快な字幕
*2001年05月15日:運動会考
*2001年05月16日:同人誌の原稿に難渋する
*2001年05月17日:恩人たち
*2001年05月18日:眠気の上の過ち
*2001年05月19日:評価無用
*2001年05月20日:異臭事件
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2001年05月14日:不快な字幕


 私だって、テレビ番組を全然観ないわけではない。実家に帰省した折りには、(実家の連中が観るので)つきあって観たりしている。連続ドラマの類は(どうせ次の週には観ないのだから)パスさせていただくが、特にNHKやNHK教育のドキュメンタリー番組の映像には、唸らされることが多い。

 概して、NHKは問題無いのだ。

 気になるのは、民放の昼の時間帯のバラエティ番組。内容の問題ではない。「字幕」が気に障るのである。外国語ではなく日本語で喋っているのに、「ふきだし」つきの字幕が現れる。一体いつ頃から、この不気味な慣習が始まったのだろう?

 機能的には、「アンダーライン」というか「強調」であるらしい。だからこそ、「馬鹿にするのもええ加減にせぇよ!」、と、腹が立つのだ。どこが大事か大事でないかは、視聴者である私が勝手に判断するから、その目障りなもんをどけろ!

 ..とはいえ、「あれはあれで便利なのだ」、という意見を、身近な人から聞いたこともある。テレビをバックグラウンドでつけっぱなしにして、別のことをやっている(つまりテレビの音声だけを聞いている)場合、何かを聞き逃した時、さっと画面を振り向くと、字幕が残っていることがあるからである。

 ..ま、そういう効用があることは認めるし、テレビならではの「新たな表現の可能性」なのかも知れないが..しかし、「一億総白痴化」という死語を、これほど如実に想い出させるアイテムも、またとあるまい。

*目次へ戻る


*2001年05月15日:運動会考


 私の勤務先の工場では、昨年度は「運動会」が中止になった。(「中止」というか、年度頭の福利厚生計画から外された。)その前の年は、開催したんだったっけ?(もしかすると、全体的に1年、記憶がシフトしているかも知れない。)

 ..と、一昨年度のことも憶えていないのは、私がもう何年間も(下手すると10年近く)運動会に参加していないからである。私だけではない。部署ごとにチームを作るのだが、私の部署からの参加者数は、非常に少ない(新入社員+新入2〜3年目くらいまでの数人しか参加しない)のである。他部署の参加率は、これよりはマシなようなのだが..

 中止に至ったのも、この「参加率の長期低迷傾向」が問題になったからである。その原因は「マンネリ化」にあると分析され、「ここでいったんリセットしよう」、という判断になったのであろう。

 もともとお祭り好きな私が、長年、参加していないのは、別に「マンネリ」に嫌気がさしたからではない。大体、「運動会」の種目なんて、そうそう新機軸を打ち出せる訳がない。マンネリでも構わないのだ。

 そうではなく、参加者の数が減ったから、参加しなくなったのだ。(参加者の少ない祭りほど寂しいものは、またとない。)同じことを考えた人は、私の他にも、当然、大勢いただろう。

 絵に描いたような悪循環。見事なデフレスパイラルである。「リセット」という判断は賢明であったが、再立ち上げは難しかろう。いったん「止めた」以上、以前と同じ企画では、通らない。よほどの新機軸を打ち出さなくては..(「たればんだ徒競走」とか、「たればんだ騎馬戦」とか..[;^.^])

*目次へ戻る


*2001年05月16日:同人誌の原稿に難渋する


 手塚治虫MLの同人誌、「ショート・アラベスク VOL.3」の原稿の〆切が迫っている。VOL.3 は、ブラック・ジャック特集号である。さて、困った..[;^J^]

 今回、依頼されている原稿は、基本的には、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の中の「全集未収録エピソードの解説へのリンク集:ブラック・ジャック」(計22作品分)の転載であり、これは基本的に再利用なので手間いらずなのだが、これに加えて、「未収録発掘エピソード」も、あわせて依頼されている。こちらが、問題。

 ..“発掘”も何も、無いのである [;^J^]。ブラック・ジャックの「解説」を書く以前に、既に「坂本智彦氏による「ブラック・ジャック エピソードリスト」」の存在は知っていたわけであって、(当時は、まだこれを私のウェブには掲載していなかったが、)この信頼性の高いリストに従って、現代マンガ図書館で閲覧しただけなのである。

 ..という事情を述べるだけでは、エッセイにならないので [;^J^]、いくらかでも読むに値する文章にしなくては..これが苦しい [;^.^]。(全くなんのネタも無い、完全なゼロからスタートするよりも、中途半端に(使えない)材料が揃っている今回のような場合の方が、一文捻り出すのはよほど難しいことが、よっくわかった。)

*目次へ戻る


*2001年05月17日:恩人たち


 一週間ほど前に読んだ本だが、荒俣宏の新刊、「パルプマガジン 娯楽小説の殿堂」(平凡社)は、お薦めである。(面倒なので、「パルプマガジン」自体の説明は略す。)量的に、やや物足りないのは確かだが、入門書(ガイドブック)なのだから、分厚すぎてもダメだろう。肝心要の図版(表紙写真)は豊富に収録されているし、とにかく楽しい読み物である。

 「あとがき」も、面白い。従来、パルプマガジンの収集は容易なことではなく、完全に壁にブチ当たっていたのだが、ネットオークション(イーベイ(米国版))の存在を知り、これを使って僅か2年で、本場アメリカのコレクターにも負けない、充実したコレクションが構築できた、というのである。

 もしもあなたが、(なんらかのジャンルについて)コレクターっ気があるものの、インターネット(特にネットオークション)には腰が引けていて、まだ手を出していない..という状況であるのならば..この、「パルプマガジンはこうして集めろ」と題された「あとがき」だけでも、立ち読みしなさい。「コレクターたるもの、この時代にあってネットオークションを利用しないなど、とんでもない怠慢である。自分の趣味(コレクション)に対して不誠実きわまりない」、と、痛感するはずである。

 同じく荒俣宏編の「世界神秘学事典」(平河出版社)を、読書中。こちらは古い(1981年の)本であるが、確か去年、(ネットではなく)古書店のカタログで発見・発注して、押さえていたもの。

 荒俣宏が、何か新しいものを生みだしていると言えるかどうか、人によって見方は分かれるかも知れないが、これらの書物の「まとめ」方は、その鮮やかな切り口(視点、角度)ともども、実にうまい。「澁澤龍彦がいなければ、戦後日本はどれほど退屈な国であっただろうか?」、というのが、誰の言葉だったかど忘れしたが(三島由紀夫だったかな?)、荒俣宏についても、同じことが言えよう。いや実際、荒俣宏なかりせば、われらの時代の日本は、いささかなりともつまらなくなっていた筈なのである。

 団伊玖磨、逝去。あぁ..

 百歩(いや、千歩、万歩)譲って、「夕鶴」や「ひかりごけ」は現代日本をさほど豊かにしたわけではない、と、強弁(まさに強弁)したとしても..あなたは果たして、「花の街」という合唱曲が存在しない「日本」を、想像できるだろうか?

*目次へ戻る


*2001年05月18日:眠気の上の過ち


 酒の上の過ちではない。(その眠気の原因が酒である、などというつまらない因果関係は、全く本質的ではない。)ま、いずれにしても、たいした話じゃないのだが。

 深夜の有楽街の屋台で、例によって、好物の「ニンニク・卵入りラーメン」を食べていて..とある事情で、目が覚めた..というだけの話である。

 (タクシーで帰宅してから洗顔・洗髪したことは、いうまでもない。)

*目次へ戻る


*2001年05月19日:評価無用


 先週末の土日に、ふと思い立って、ヤフー・オークションで10件ほど入札しておいたところ、いずれも無競争に近い状態だったので、(というか、無競争状態のアイテムばかり狙って入札したのだが、)今週の前半に全てバタバタと落札し、この一週間、送金その他の並行処理に追われて、オフタイムは結構忙しかったのだ。

 「出品者からの連絡待ち」「送り先の連絡」「送金」「送金したよという連絡」「検品」「礼状発送」「評価入力」、と、ざっと数えてもこれだけのアクションがあり、これらがアイテムごとに非同期に進行するばかりではなく、アイテムごとに(というか出品者ごとに)、微妙に異なる処理が要求されるのだ。抜けが発生しないよう、進捗管理表を作成・運用したが、それでも混乱しそうになった。

 ちなみに今回、かなり多くの出品者が、「私に対する評価は行わないで下さい」「原則として評価しないことにしておりますが、ご希望ならば評価します」、などと、メールに書いてきた。なんで..?(プラスの)評価点を貯めて「信用」を高めるのが、基本ストラテジなんじゃないの..? と、しばらく不思議に思っていたのだが..ようやく、理由が判った。

 とある取り引きが(相手から)「評価」されて「評価のページ」に掲載された場合、取り引きアイテムが公開されてしまうことになるのであった。なるほど、「評価」されては困る、あるいは(相手の立場を考えて)相手の「評価」をしない、という状況は、大いにあり得る訳なのであった。(..一体、どういうジャンルの物件を10件も落札したのか、余計な詮索をしなくてもよろしい。[;^J^])

 「世界神秘学事典」、読了。今後は、座右に置く。

*目次へ戻る


*2001年05月20日:異臭事件


 数日前(一週間くらい前?)から気が付いていたのだが..どうも、私の車の内部で、異臭がするのである。それも、油・無機物系ではなく、どこか有機質の異臭。

 最初は、気のせいかと思っていたのだが..日を追って、異臭(悪臭)が徐々に強くなってくる。会社への行き帰りに窓を全開にして空気を徹底的に入れ換えても、次に乗るときには、異臭が(さらに強くなって)こもっている。何か、車の中に、異臭の発生源があるのだ..

 今日になって、とうとうたまりかねて、よーく調べてみたら..助手席のシートの下、ちょうど死角になっているところに、腐った野菜屑の入ったポリ袋が..[;X_X] これだったか。

 ((死角とはいえ)どうしてこれまで発見できなかったのかというと、一度は、車内に異臭の発生源があることを疑い、そのときは、いかにも異臭源でありそうな「(車内用)雑巾」に目を付けたものの、それはなんら異臭を発生させていなかったので、「車内の一番怪しいアイテムが異臭源ではなかった」、が、いつしか、「車内に異臭源は無かった」、にすり替わってしまった、というわけ。良くある盲点である。閑話休題。)

 ..しかし、妙だ。これは私が捨てた(というか、置き忘れた)ものではない。とあるスーパーのポリ袋だが、私が知らない店である。内容物(野菜屑)にも、見覚えが無い。そもそもここ数ヶ月間、私は自宅では野菜を食べていない。(それはそれで問題だが、ここではおいておく。[;^.^])..一体、いつ、どこから、これが私の車の中に入り込んだんだ? 仮に誰かの悪戯だとしても..私は車を離れる時、それがどれほど短い時間であっても、必ずエンジンを止めて窓を閉め、ドアロックしている。異物を車内に持ち込むチャンスなど、無いはずなのだが..

 ..ま、いっか。軽微な謎は残しておくべき。それが人生を豊かにする。

 ..それにしても今回の経過は、以前、「死臭について、再び」という一文で、“多くの漫画や小説において死臭から死骸の発見にいたる経緯があまりにもワンパターンである”、と揶揄した、まさにそのパターンにはまってしまっていて、我ながら大笑いである。つまり、


 その悪臭が気になりだした初期の段階では、「おい、へんなにおいがしないか」「やっと気づいたな。おれはきのうから気づいてた。まったくいやなにおいだぜ」「なんのにおいだろう」..そして夜になって、「おい、においはだんだんひどくなるぜ」..そしてついに死体を発見して、(後略)

 ..というパターンである。[;^J^]

 やれやれ、と苦笑しながら、異臭源の野菜屑を始末してからエンジンをかけ、車内の空気を入れ換えるために窓を全開にして、(「フォーレ歌曲全集」をセットしてあった)カーステ(CD)のスイッチを入れたら..最初にかかったピースのタイトルが、「消えない薫り」[;^.^]..ったく。

 深夜、ネットで、聖レイの「黒い妖精」を、発見! 既にヤフオクで、「こんなに快感」を発見して入札済みであり、私の知る限り、この2冊で聖レイのコレクションは、コンプリートの筈である。

 無論、直ちに「黒い妖精」を発注したのだが、このネットショップは、毎月、月末〆で抽選を行っている。オークションの結果は月曜日には出るのだが、こちらが当選するかどうかは、しばらくやきもき、しなくちゃならない。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 23 2001 
Copyright (C) 2001 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]