*2001年04月16日:胃カメラ! \[^O^]/
*2001年04月17日:久生十蘭集
*2001年04月18日:あるいは秘境
*2001年04月19日:「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」
*2001年04月20日:大腸ファイバー! \[^O^]/
*2001年04月21日:可愛い娘ではあるのだが..
*2001年04月22日:小泉氏、圧勝
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*2001年04月16日:胃カメラ! \[^O^]/


 胃カメラ検査を翌日にひかえ、21時以降の一切の飲食を禁止されていた倉田わたるは、制限時間の21時ぎりぎりまで、市内の某クラブで、一晩分(以上)の水割りとオンザロックを飲み溜めてから、帰宅したのであった。

(以上、前夜までのあらすじ)

 ..案の定、深夜3時頃に、焼け付くような渇きで目が覚めた。21時までのウイスキーで、舌が上顎に貼り付いてしまうほど喉が干上がっているにも関わらず、水を飲んではならないので、フトンの中で、朝まで七転八倒する。(← 馬鹿。[;^J^])

 ..睡眠不足の目をこすりながら、S病院の予防検診科へ。

 胃カメラ検査の結果は、全く問題なし。年齢相応の、ごくごく軽い(自然な)胃炎が、周囲が綺麗なだけに、かえってバリウム検査で目立っていたのだ、とのこと。念のため、生検(組織採取)も行った。結果は後日郵送される。

 帰宅してから、Nさん資料第6便の、データ整理を行う。今回送られてきた資料群のうち、あっ!と思ったのが、雑誌のあとがきページの「一言コメント」(近況報告等)の類である。これは、完全に盲点だった [;^J^]。

 私の手塚治虫リスト(全集未収録作品リスト)は、ほとんど断簡零墨に至るまで、収録対象としている。実際、ちょっとした「談話」が含まれているという理由で、数多くの新聞記事を収録しているのだが、それらの「談話」の中には、“雑誌のあとがきページの「一言コメント」”よりも短いものも、いくつもあるのだ。

 しかし、これらをまともに掲載するとなると..可能性としては、あらゆる掲載誌の再チェックが必要になる。量的にも、爆発する..

 ..私のリストには、収録しないことにしよう。結局、これらはほとんどの場合、「その号に掲載されている連載(あるいは単発)作品の、附属品」として考えることができるからだ。これは決して、言い訳では無いぞ。[;^J^]

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*2001年04月17日:久生十蘭集


 「怪奇探偵小説傑作選 3 久生十蘭集」(ちくま文庫)を読む。

 ほとんど全て、既読の名作である。遅読の私は、作品集に既読の作品が含まれている場合、原則としてスキップして、いくらかでも時間を稼ぐことにしているのだが、今回は、全て再読することにした。

 いやはや、なんとも素晴らしい! 無論、なかには、昔は極めて高く評価していたのに、再読したら(もちろん佳作ではあるが)それほどの大傑作ではない、と、評価を下げた「予言」「母子像」、あるいはその逆に、昔よりも大幅に評価が高くなった「骨仏」のような例もあるが、時と共に評価が変わるのは、当たり前のことである。これからだって、どんどん変わるだろう。それは、これらの作品が、私にとって“生きている”からだ。

 超特選が、「黒い手帳」。これはやはり、物凄い! 特選が、「月光と硫酸」「海豹島」「地底獣国」「ハムレット」。他、「湖畔」「墓地展望亭」「昆虫図」「水草」「虹の橋」「刺客」、全て傑作である。

 これらの傑作群を、もしも読んでいないのならば..あなたは幸せである。 書店に走れ! 今すぐ!

 (「紀伊國屋 BookWeb」をクリックしろ! 今すぐ! ..という方が、こんにち的で実際的なのだが..表現として字面として気合いが入らないのは、いかんともしがたいわなぁ..)

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*2001年04月18日:あるいは秘境


 ほのぼのとした、いい話(..つーか、なんちゅうか)。

 http://auto.ascii24.com/auto24/issue/2001/0417/38nec_si0417_01.html?sm である。このリンクがいつまで有効なのか判らないので、ニュースの内容をかいつまんで紹介しておくと..

 先月、島根県内で山陰自動車道の一部区間が開通したが、他の地域では考えられないトラブルが起きているとのこと。同県内初の高速道路とあって、一目見ようと、地元の老人が「自転車で走行」したり、(同自動車道は対面通行式なのだが、)出口を誤って通り過ぎてしまったため、「対向車線を横切って、反対側の出口から降りようとする」、あるいは、「有料道路であることを知らずに入り、料金所手前で強引にUターンする」、などの事例が続発。


高速道路に慣れた他県のドライバーからは「いったい何を考えているんだ!?」というクレームが相次いだことから、県警では「高速道路は自動車専用道であり、自転車や歩行者の通行はできません」と注意を呼びかける一方、“高速道路の正しい使い方”という宣伝チラシを急いで製作。周辺の自治会などへの配布を開始し、周知徹底させるという戦略に出た。

 (「戦略」ではなく「戦術」だと思うのだが、まぁいいや。)日本は広い。まだ、こんな地方が残されていたのか..(島根県の人、すみません。m[_ _]m ..なにしろ、山陰に行ったことのない私の、内なる「山陰イメージ」は、水木しげるの「地底の足音」(※)レベルなんで。)

ラブクラフトの「ダンウィッチの怪」を翻案した、初期の大傑作。確か最近、文庫化もされているはず。超必読。
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*2001年04月19日:「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」


 「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(立花隆、文藝春秋)を読む。快著である。本編たるブックガイドパートで取りあげられた、ほとんど全ての本を、今すぐ読みたくなる。最高のブックレビューというべきだ。(まともに購入予定リストに追加した日には、どエライことになってしまうのが悩ましいが..[;^J^])

 しかし本書を購入した主たる理由は、ブックレビューより、むしろ、「大量読書術・驚異の速読術」を述べた「序 宇宙・人類・書物」である。立花隆の「大量読書術と速読術」の秘密を、知りたかったのだ。

 何度も書いているように、私は遅読であり、これが悩みのタネなのである。そのため、「速読法」の類の本を何冊か読んだり、PC用の速読トレーニングソフトを試してみたこともあるのだが..全て挫折した..というより、それらの手法と私の抱えている問題には、“関係が無かった”のである。

 私の遅読の主たる原因は、感情移入のあまり、その書物の中に“入り込んでしまう”ことであり、どうかすると数行ごとに頁を閉じて、あっちの世界に行ってしまうのだから、「視線の合理的な動かし方」も「頁全体の図形としての認識の仕方」も、ちゃんちゃらおかしい。それ以前の問題なのであった。

 最近立ち読みした「速読法」の本に至っては、なにやら、「生き方」「人生観」にまで踏み込んでおり、もはや、宗教・オカルトの領域である。こんな不気味なものに、手を染めるわけにはいかない..

 ..そこで、立花隆なのである。別に“権威”にすがるわけではない。正体不明な作者による、まるで「**セミナー」のテキストのような、有象無象の「速読法本」よりも、現に仕事として膨大な量の本を読みまくっている著者による“現実的”な“速読法”にこそ、確かなリアリティがあるはずだからである。

 ..そして、一読。

 ..まさに、逆転の発想である。目から鱗が落ちた。

 ひとことで言えば、「速読出来ない本は、読まない!」のである。[;^J^]

 速読できない本というのは、「本質的にタイムコンシューミングにできている、趣味性が高い内容を持った本」であり、例えば、小説である。多くの小説は、逐文章的に読まないと、読む意味を失う。(典型的には、ミステリなど。)だから、「忙しい人は、私がそうであったように、そのようにタイムコンシューミングな本はカテゴリカルに読むのを放棄せざるを得なくなるのである」、と言う。「一般的にいって、読むこと自体を楽しもうという本は、速読しないほうがいい」、とも言う。

 安心した。私が速読できない本は、立花隆も速読できない(あるいは、しない)のである。

 そして、立花隆が、とんでもないペースでガンガン速読している類の本に、適用している速読法というのも、ある意味で常識的というか、私の直感から外れていないものであった。

 まず大前提として、速読の基本は、「テクニックより熱中である」。

 逐文章的に読まずに、構造・流れをまず掴むことが重要なのであり、そのために、パラグラフの頭だけ読んで行く。わからなくても先に行く。(← これが重要。)そしてとにかく、書物の最後まで目を走らせる。(この時点で、ダメな(または手に負えない、あるいは自分には関係ない)本であれば、それが判るはずなので、その場合は放棄する。)流れが掴めたら最初に戻り、今度はもう少し余分に文章を拾いつつ、(例えば、各パラグラフの最初の文章に加えて最後の文章も読みつつ、)2回目のスキャンをする。(無論、1回目のスキャンでは読みとれなかった個所だけである)..


 「イメージとしては、グレードの低い作品が沢山まじっている、作品の数だけはやたらと多い美術展や美術館に行ったときのことを考えてもらうといい。ハナから一つ一つの作品を何十分もかけてじっくり見ていくなどというのは愚かかつ時間のムダというものである」


 まさに、そのとおりである。実際、私も、新聞記事の読み方は、ほぼこのとおりである。(社説などは、最初の3行と最後の3行。気が向いた時に限り、これに加えて真ん中あたりの5〜6行。)これを徹底せよ、ということか。できるできない(するしない)は別として、大いに啓発された。

 巻末には、「『「捨てる!」技術』を一刀両断する」、という一文も収録されており、これもまことに痛快である。

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*2001年04月20日:大腸ファイバー! \[^O^]/


 月曜日の胃カメラに続く、「ミクロの決死圏」週間の第2弾である。前夜(昨夜)の食事は、20時以降は禁止であった。(20時以降24時までは、アルコールと牛乳以外の水分は、おおいに取るべしとのことだったので、麦茶をがぶ飲みしたのであった。)

 大腸ファイバーは、5年ぶり。午前中に2リットル飲まされる洗浄液の味は、この間、進歩していなかったことである。ま、(トイレが近くなって落ち着かないことを除けば)暇な一日になるので、絶好の積読片付日和なのではある。(私だけではなく、同日に大腸ファイバーを受診するほぼ全員が、数冊の書籍を持ち込んでいた。)

 問題無し。観察しやすくするために、空気を吹き込みながら管(カメラ)を挿し込んで行くので、腹がパンパンに張るのがいささか苦しいが、医者の解説つきの、「セルフ・ミクロの決死圏」は、なかなかの“みもの”なのである。まだ、これを受診したことが無い方には、お薦め。

 もしもポリープなどが見つかれば、手術するまでもなく、その場で(電気で焼き切って)切除可能なのである。その場合は、もちろん、(無用の出血を防ぐために)アルコールも激しい運動も禁止なのだが、結果が問題なければ、節制は無用である。

 ということで、もちろん、「天狗」。(理由のいかんを問わず [;^J^]。)滅多に知己と出会うことも無いのだが、久々に、Y君とT君も天狗に来ていた。しばらく飲んだあと、これまた久々に、「赤ちゃん」へ。(帰宅したのは、3時過ぎだったかな?)

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*2001年04月21日:可愛い娘ではあるのだが..


 ..頭痛で、少し寝過ごした [;^J^]。

 インターネット環境の無いNさんに、手塚治虫リストの最新版(6a版)を送るために、プリントアウトする。相当な枚数であるが、プリンタ(というか、プリンタのスプーラ)の調子が悪く、少々てこずった。

 マーラーオフは、もう一週間後に迫ってきた。念のため、接続実験をしておく。なに、別にたいしたことではない。私がFCLAのオフにシンセサイザーを持ち込む場合、ほとんど常に、音源は私のXP−50だけである。鍵盤が1台では足りない場合、外部MIDI鍵盤からMIDI情報を流し込み、マルチチンバーモードのXP−50で、その分も鳴らす。しかし、XP−50には、MIDI IN 端子はひとつしかない。2台以上の外部MIDI鍵盤を使う場合には、どこかでマージして1本にまとめてから、XP−50に流し込む必要がある。

 私が、この用途で使っているのは、MOTU(Mark of the Unicorn, Inc.)というメーカーの、Micro Expressという製品(小箱)である。これは、4つの MIDI IN をマージして、6つの MIDI OUT 端子に出力することができる。(他にも、いーっぱい、機能があるのだが、ここでは説明を割愛する。)

 使い方は簡単なのだが、なにしろ年に(高々)1〜2回しか使わないので、念のために試運転をしておく方が良い。(細かいtipsは、忘れているであろうし。)実際、MIDI OUT 6 が不調であった。この端子は使わないよう、「NG」シールを貼っておく。(今度のマーラーオフでは、2 IN 1 OUT しか使わないので、全く問題は無い。夏オフ等での、もっとも大規模なセッティングでも、高々 4 IN 1 OUT なので、これを修理に出すつもりは無い。)

 ..ということで、もはや「常春の国 マリネラ」状態の「天狗」で飲んでいたら..この店においては、やや珍しいシチュエーションに遭遇した。

 大テーブルに座っていた私の隣りの隣りくらいに座っていた、5人の団体で来ていた女性客のうち、恐らく一番若い(学生もしくは社会人、25歳以下)が、完全に潰れたのである。噴水状態といいますか。

 まぁ、感心はしないにしても、ここまでは仕方がない。問題を感じたのは、このあとの処理であり、残りの4人の女性が、まるでまともに介抱しないのである。店員から渡されたタオルで周囲の始末をして、あとは、テーブルにつっぷしている彼女に、時々(「意識ある?」とか)話しかけながら、談笑してるだけ..

 その、潰れた娘の顔に、どうも見覚えがあるような気がして、(このこと(見覚え)自体は、勘違いだったのだが、)しばらく前からちらちらと視線を走らせて観察していたので、経過が判るのだが..くだを巻き始めてからほどなく、上体が泳ぎ始め..ガバッ..なのである。

 もう、大昔の記憶なのだが..ほぼ同じ状態に陥ったことがある私の経験から言えば..こうなると、もはや主観的には、ほとんど人間では無いのである。ただ、悪寒と向き合っているだけの、思考すら止まっている存在。何を話しかけられても、耳に入らないし、身動きも出来ない..

 この状態の人間を、座らせたまま放っぽらかしても、どうにもならない。1時間やそこらで「自然治癒」することは、あり得ない。多分、朝まで死んでいる。

 残り4人の女性は、彼女を洗面所まで連れて行くことすらしないのである。まぁ、こんな「不快なこと」は脇においといて、楽しい時間をさらに長く過ごしたいという気持ちは理解できるが..といって、当事者たちが「困っていない」のに、(衆人環視のなか、)私が名乗りを上げて(運び出すのを)手助けするわけにもいかんし..(まるで、下心ありありに見えてしまうではないか..)困惑 [;^J^]..

 彼女(彼女ら)の運命を最後まで見届ける前に、私の方が終バスの時間になってしまったので、先に天狗をあとにしたのだが..どうなったんでしょぅね。

 ジュゼッペ・シノーポリ、逝去。

 ペーター・マーク、逝去。

 (名指揮者の訃報が重なるのは、珍しい。)

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*2001年04月22日:小泉氏、圧勝


 小泉氏、地方選で地滑り的圧勝。そういう空気は醸成されていたとはいえ、もはや一方的である。まぁ、いまさら橋本氏の出番は無いのでしょう。

 ここでちょっと、橋本氏に焦点を当てる。

 実際のところ、「失敗に学ぶ」ことが下手(苦手)なのが、日本(日本人)の大弱点である。米国では、会社を潰した人間に、どんどん投資する。「貴重な経験をしている/前より賢くなっているだろう」、という期待がかけられるからである。その「敗者復活戦」で、見事成功する「元・失敗者」も多いのだ。これは、社会(経済)全体として、確実に有益なことである。(無論、またしても(あるいは何度でも)失敗する −− 社会に損失を与え続ける −− 人間も多いのだろうが。)対して、日本では、これは非常に難しい。一度でも失敗した(会社を潰した)人間は、社会全体として、ブラックリストに載せてしまう。これによって、その人間が失敗を繰り返すことの損失を予防できているわけだが、そのかわり、彼が(今度こそ)成功して社会にもたらしたかもしれない果実は、予め奪われてしまっているわけだ。

 米国流と日本流、それぞれ得失両面あるので、どちらが良いとは一概には言えないのだが、現時点では(「失敗の経験を認める」)米国流の方が良い結果が出ているのは、明らかである。

 そういう視点から見ると、「あれほどの大失政をしでかした橋本氏」は、総理大臣としてまことに得難い経験値を積んだに違いないのであって、彼こそ、この不況下の国政をまかせるに相応しい、と、考えられなくはないのだが..しかしやはり、「いくらかでもフレッシュに思える」小泉氏を圧倒的に支持してしまうのが、日本国民のメンタリティなのである。(今回の地方選は、無論、自民党内だけのことであるのだが、母集団を一般国民全体に広げても、ほぼ同じ様な結果が出たであろうことは、直前の、いくつかの調査結果からも明らかである。)

 そして私に投票権があれば..やはり、そういう選択をしたであろう。「失敗経験の価値に重きを置かない日本的価値観」の持ち主か、と問われても、言下に否定はしがたい。

 「失敗者に投資するのは、彼が“学んだ”と期待できる場合に限るのであって、現在の橋本氏は、学んだようには見えないし、仮に学んでいるとしても、その学習成果を発揮できる力があるようには見えない。そもそも、過去の失敗体験を生かして..という発想があるのかどうか、疑わしい」..とは、確かに言えるのだが..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 25 2001 
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