*2001年03月19日:「一億人の手塚治虫」
*2001年03月20日:お気楽グローリアオフ
*2001年03月21日:FDDの修理、こじれる
*2001年03月22日:AIBOには、無理かな
*2001年03月23日:久々のリブ30
*2001年03月24日:電化時代
*2001年03月25日:神の猿
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*2001年03月19日:「一億人の手塚治虫」


 というわけで、今日は日比谷図書館である。横浜の実家からは、バスで鶴ヶ峰 → 相鉄線で横浜 → 新橋 → 銀座 → 霞ヶ関、という経路。

 ..しかし私は何故、10時開館だと確認していたはずなのに、9時に霞ヶ関にいるのだろう? [;^J^] 開館時刻を間違えるのが、そんなに好きか? [;^J^]

 ノープロブレム。春うららかな素晴らしい陽気であるし、しかもここは、日比谷公園である。鞄の中から泉鏡花を取り出して、木洩れ日の下で読書と洒落込むが..鳥さんたちの相手ばかりしていて、ちっとも捗らない [;^J^]。ま、私が一方的に話しかけているだけで、鳩さんもカラスさんも雀さんたちも、全然、相手にしてくれなかったんですけどね。(ドリトル先生シリーズで、もっと真面目に勉強しとくんだった。)

 10時の開館を待って、児童資料室へ。「リリカ」誌の全数総チェックに再挑戦。(76/11 の創刊から 79/03 の廃刊まで、増刊号を除いて全29冊という、短命な雑誌ではあった。)一昨日の総チェックでは、拙速と注意力の不足から、見つけるべき記事のことごとくを見落としたのであるが、その轍を踏まぬよう、目次に頼らず全号の全ページを(地道に)開いて行く。結果、インタビュー記事など、計3件を確認。やれやれ。

 「リリカ」誌の総スキャン以外は、「手塚治虫著」の単行本のチェック、約20冊かそこらであり、しかもそのほとんどは、没後の刊行である。つまり「手塚治虫著」とはいえ、再刊・再編集ものと、(手塚プロの作品である)アニメものがほとんどで、これらにはほぼ100%、手塚治虫の(新規の)文章が掲載されていることは無いので、サクサクチェックが進むし、また、既に述べているように、日比谷図書館は出納が早い..ということで、10時から調査を開始すれば、「リリカ」誌込みでも、早ければ正午、遅くとも13時には完了すると見込んでいたのだが..エライものにぶつかってしまった。

 「一億人の手塚治虫」(宝島Collection、JICC出版局)である。

 本書は、「膨大な量の新規情報」を含む「没後刊行本」の、極端な例だったのである。

 これは、手塚治虫関連記事のスクラップの集積であり、ソースは、新聞・雑誌・単行本など、非常に多岐に及ぶ。実際、6〜7割、あるいは8割がたは、手塚治虫の言葉(著作物)では無い、関連記事である。これらをリストに収録することはしないのだが..多くの場合、現物に当たらないと、(手塚治虫の著作といえるか否か)判断できないのである。例えば、手塚治虫を含まないメンバーによる対談や座談会(からの引用)であれば、元記事に手塚治虫の言葉や文章は含まれていないであろう、と、99%の確信を持てる。(100%では無い。)しかしそれ以外の記事は、インタビューや対談などではない、普通の新聞記事であっても、最後に手塚治虫の談話が追加されていることが、珍しくないのだ。これは、初出誌(初出紙)にあたらないと、判らない。とにかく、要調査文献を、どんどんピックアップ(ノートに書き出し)して行くが..

 ..リブ100のバッテリーが、切れてしまった。(予定時間を大幅に超過してしまったからである。[;^J^])困った。既に私のリスト(「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」)に掲載されている記事は、もちろん、ピックアップするには及ばないわけだが、既に数千件もリストアップされている作品や記事(のタイトルと初出誌名、初出年月日)のことごとくを、憶えているわけがない。私はそこまで常軌を逸してはいない。当然、リブ100で検索しつつ、新規発見分をピックアップしていたのだが、検索・チェック出来ないとなると..

 ..そうだ! 「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の書籍版(「“手塚治虫漫画全集”総目録(全集 未収録作品リスト付き)」手塚治虫メーリングリスト発行)が、ここ、児童資料室の開架書架に、収められていたのだった! 早速、書架から探し出して、これを参照しつつ、残りのチェックをどんどん進める。1999/08/14 発行なので、これ以降に追加された(多量の)データは含まれていないとはいえ、これでも十分、使える。初めて、これ(書籍版)が、著者である私自身の役に立った。感動..[;^.^]

 結局、要調査案件としてピックアップしたのは、140件強であった。(初出誌紙調査の結果、リストに追加されるのは、3〜40件、といったところであろうか。)

 今日は、日比谷図書館/現代マンガ図書館/秋葉原、の3点セットを予定していたのだが、日比谷図書館を遅くとも13時には切り上げるという前提だったのに、既に15時半を回ってしまっている。現代マンガ図書館と秋葉原における作業は、大幅に予定を縮小せざるを得ない。(場合によっては、中野まんだらけにも寄る予定だったのだが、もはや論外である。)

 現代マンガ図書館では、手塚治虫関連調査を全部省略して、「劇画アリス」誌の 77/12 号を閲覧したのみ。これは、「まんだらけZENBU 10」で発見した不審物件3点のうちのひとつである。「まんだらけZENBU 10」のデータによると、この号に、吾妻ひでおの作品が載っているらしい。そんな話は初耳だ..

 ..閲覧したところ、案の定、他社の雑誌に掲載された作品の再録であった。(そんなことは、この雑誌のどこにも記載されていないが。)

 ちなみに、「まんだらけZENBU 10」不審物件のうち、他の2点は、ここ(現代マンガ図書館)には収蔵されていなかった。まだ検索していないが、まず100%確実に、国会図書館にも日比谷図書館等の都立図書館にも大宅壮一文庫にも、収蔵されていないであろう。(そういうジャンルの雑誌なのである。)無論、抽選には応募するのだが、当たるとは限らない(というか、外れる可能性の方が高い)ので、図書館等で調べられるだけ調べておこう、と、考えた次第。

 秋葉原へ。チチブで、リブ100の専用大容量バッテリーを買うつもりだったのだが、相談したところ、バッテリーの供給は、あと2〜3年は心配無しとのことなので、今日は見送ることにした。(リブ100自体はとっくに生産終了しているが、専用バッテリーパックは、今でも生産しているらしい。感心した。)私の手持ちのバッテリーのうち、標準バッテリーは、寿命が尽きて廃棄済み。大容量バッテリー3本のうち(3年前から使っている)1本が、既に2時間45分しか保たなくなっており、本日、日比谷図書館でバッテリー切れを起こしたのが、こいつであった。残り2本は、確か2年ほど前に購入した奴で、これらは、まだ4時間近く保つ。そして、リブ100をあと何年使い続けることになるか、さっぱり見当も付かない..(東芝が、このジャンル(サイズ)の後継機を出さないし、どのメーカーも出さない以上、あと5年は使うことになるかも知れない..)という状況で、4本目の(専用)バッテリーを、大枚1万8千円払って買うべきかどうか..これは実に難しい判断なのである。

 しかし、あと2〜3年は供給されるということであれば..ここは、現在もっともトレンディーなデシジョンスタイルである、「判断先送り」、と洒落込もう。

 結局、チチブ(というか、秋葉原)で購入したのは、リブポイントだけ。

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*2001年03月20日:お気楽グローリアオフ


 というわけで、お気楽グローリアオフである。会場は、最近の恒例となっている、木場(錦糸町)の「木のアトリウム」。

 バッハ、ビバルディ、プーランク、ラッター、以上4名の「グローリア」を演奏する、というオフである。(「バッハのグローリア」とは、「ロ短調ミサ」の「グローリア」のこと。)私の使命は、第一義的にはシンセの用意であり、シンセ(XP−50)は、バッハとビバルディではポジティブ・オルガン。プーランクではハープとホルンセクション。ラッターではパイプオルガンとポジティブオルガンとグロッケンとシロフォンのパートを担当。奏者はほぼ全てS氏で、ラッターのみ、LさんとFさん。私はラッターで、グロッケンとシロフォンのパートを弾いた。(「弾いた」と「弾けた」は違うということを、ここで確認しておく [;^J^]。)また、プーランクでは、S氏はハープに専念するほうが結果が良いはず、と、相談がまとまったので、ホルンセクションパートは、結局、ほとんど奏されなかったはずである。

 私の第二の使命は、合唱のバスパートだったが..いやはや、酷いもんだ。譜めくりを担当していたビバルディと、楽器を担当していたラッター以外の2曲、すなわち、バッハ(の2回目)とプーランクのみ、合唱席に行ったのだが..なんとか歌えたのは、何度かお気楽オフで歌っていて、さすがに憶えているバッハのみ。プーランクは..初見で音が拾える譜面では無かった..[;_ _] 曲が素敵なだけに、これは悔しいぞ。リターンマッチ希望。

 反省会は、「木のアトリウム」からは徒歩数分の、江東区役所の隣りの店。最近はここを使うことが多い。

 明日から仕事。今夜は「ながら」で浜松へ。(備忘:木場の反省会場から東京駅まで、地下鉄(東陽町駅)を利用して、35分はかからない..意識が明晰である限り。[;^.^])

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*2001年03月21日:FDDの修理、こじれる


 帰宅は朝の4時過ぎでもあるし、ここは無理せず、午前半休..無論、先週中に予約済みである。

 OAナガシマから電話。リブ100のFDDの修理完了(または症状出ずで修理せず)の通知かと思いきや..「症状が出ないので本体も預からせていただきたい」、という電話であった。こういう展開は、予想していなかった。

 いや全く、冗談じゃない。仕事とプライベートで、ほとんど一日中使っているというのに、一ヶ月も手放せるものか。リブ30ならあいているから、これを替わりに供出するか..しかし、これ(リブ30)で症状(リブ100、リブ30共用の外付けFDDの読み書き不良)が出るかどうか、確認したか記憶が無い。

 そもそも、本体と組み合わせれば症状が出るかも知れない、という見込み自体が、胡散臭い。本体の信号線に、ノイズが乗っているとか? これはもう、東芝サービスでは症状は出ない、と、決まったようなものである。見込みも無いのに、わざわざリブ30に環境を移して、一ヶ月、リブ30で作業して、挙げ句の果てに、やはり「症状出ず」でリブ100とFDDが帰ってくる、と考えると..全く、元気が出ない。どうしてくれよう。もう、いいか..FDで巨大ファイルを取り扱う機会など、今後は無いだろうし..しかし、容量一杯のFDを使うことは、今後とも大いにあるだろうなぁ..(早い話が、起動用ディスクは1枚に入りきらず、2枚に分かれているぐらいなのだから..)

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*2001年03月22日:AIBOには、無理かな


 どこで読んだのだったか、どうしても出典を思い出せないのだが..

 ..子どもが産まれたら、犬を飼い与えなさい、という箴言があったはずである。

 その子どもの幼児期には、犬は、保護者となるであろう。

 その子どもの少年期には、犬は、またとない友人になるであろう。

 そしてその子どもが大人になる前に、犬は、老衰で死ぬ。かくして彼は少年に、生きることの喜びと死別することの哀しみを、教え伝えるのである..

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*2001年03月23日:久々のリブ30


 午前半休を取る。(これは決して、昨夜、駅前でさんざん飲んだ帰りの終バスで寝過ごして、自宅から推定6キロメートル離れたバス停で降りたあげく、素直にタクシーを使えばいいものを、中途半端に近いのではないかという(酔っぱらいなりの)判断でタクシーを止めず、徒歩で帰宅し、それなりに疲労して喉も渇いたので、ウィスキーをストレートでがぶ飲みしたことの結果では、恐らく無い。)

 リブのFDDの修理については、腹を決めた。中途半端なことをしても仕方がない。東芝にリブ100本体を送ることにする。リブ30に環境を移してから、OAナガシマへ。「さぁ、これで症状を出してみやがれっ!」、と、リブ100をサービスカウンターに叩きつける。(誇張度当社比35%UP。)

 ..しかし、リブ30の遅いこと遅いこと..呆然。昔から、こんなに遅かったか? 参ったなぁ..まぁ、このスピードに(無理矢理)馴染んでしまえば、リブ100が返ってきた日には、天国だが..

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*2001年03月24日:電化時代


 ジョーシンで、冷蔵庫を購入する。(配達予定は31日。)2週間前の“掃除機購入事件”といい、この私ともあろうものが(意味不明)、白モノ家電づいているがごとくであるが..要は、リサイクル法施行直前駆け込み需要、という奴だ。思考を停止して世の中の流れに身を任せてしまうのも、時には心地よいものである。

 なにしろ、23年ぐらい使っている小型冷蔵庫である。「まだまだ使えるぞっ!」、と人に自慢するたびに、「それは絶対、電気代を損しているっ!」、と逆襲されていたのであった。まぁ、そうなのであろう。潮時か。

 しかし、選択肢がほとんど無いのである。店頭に並んでいる冷蔵庫は、小型のものでも、ほとんど、幅47cm以上。幅44cm以下、というのが、絶対の制約条件なのであった。

 学生時代に購入した、W42cm×D42cm×H80cmの冷蔵庫を、(寮生活を経て)現在居住しているアパートの流しの隣りに設置したのち、その残りのスペースにきっちり合わせて、書棚を組み込んでしまったのである。

 まぁ、なんとか、幅43cmのものが見つかったので、これを発注。2ドア式で冷凍庫付きなのが嬉しい。これまで使っていた奴には冷凍庫が無く、小さな製氷室だけで、これは、コンビニで買ってきたロックアイスを押し込むと満杯になってしまうので、冷凍食品を買うのも、ままならなかったのである。(私がいまだに電子レンジを持っていない理由のひとつが、これだ。)

 これからは、冷凍食品を買えるっ! 来週末には、電子レンジを買いに行こうっ! 21世紀なのだからっ! \[^O^]/

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*2001年03月25日:神の猿


 ネタが無いので、SFマガジンの今月号から引用しておく。クラーク特集の一環である、金子隆一、田巻久雄、宮武一貴の座談会から。


宮武 「猿のいない地域の人たちは、人間と動物のあまりに大きなギャップにばかり目がいってしまい、人間を特別視してしまうんですね。それが証拠に、猿の生息する地域では一神教は発生していないんです。すべて多神教なんです」
(52頁)

 ..そのせいかどうか、西洋人は、「猿」の存在を「野蛮」とリンクするらしいのだが、そういうことなら、猿のいる国にキリスト教を伝道するのは、やめてもらたいものである [^.^]。(「猿のいない世界」限定宗教、ということで。)あるいは、猿族を皆殺しにして、そういうものは地球上には「無かったことにする」とか。

 ちなみに、「神の猿」という慣用句は、「悪魔」の意。ついでだから、もう一例、引用しておく。澁澤龍彦の「貝殻と頭蓋骨」より「幻想美術とはなにか」。


「リアリズムが神だとするならば、たぶん、幻想芸術は神の猿、すなわち悪魔であろう」
「澁澤龍彦全集 13」河出書房新社(251頁)
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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 28 2001 
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