*2000年12月25日:寒波襲来
*2000年12月26日:畜生道に堕ちる
*2000年12月27日:夢のリアリティ
*2000年12月28日:悪夢のリアリティ
*2000年12月29日:ウィルス襲来! \[^O^]/
*2000年12月30日:「はりきり弁慶」データ確定
*2000年12月31日:「20世紀の終わりに」
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*2000年12月25日:寒波襲来


 さ、寒い..時折、雨。浜松ですらこれだから、東京は凍っているのではあるまいか。

 一昨日と昨日、上京している間は暖かくて、本当に助かった。私の日頃の行いが、これほど善かったとは、知らなんだ。せっかく今日は暖かいのだから、と、立川駅から徒歩20分の多摩図書館に行っておいたのは、正解だった。

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*2000年12月26日:畜生道に堕ちる


 昨日よりも、さらに寒い。雪がパラつく。トホホ..

 経緯は略すが、自家用PCを組み立てることになった。早速、パーツ等の情報収集にかかる。

 これまで無縁だった(というか避けて通ってきた)世界である。それに加えて、3年近く前(1998年4月)に、リブレット100という、ほとんど理想的なPC環境をうっかり手に入れてしまったがために、それ以来、買い換える必要を感じることもなく(未だに感じておらず)、この世界の最新情報のキャッチアップが、完全にストップしてしまっていたのだ。(トレンディなCPUの名前もクロック数も、知らない始末である。)

 実のところ、やりたいこと(解決すべき問題)があるから、新たにPCを組み立てようとしているのではなく..「始めに組み立てありき」、という、手段が目的というか本末転倒な状況なのではあるが..(といっても、この世界に棲息している者共は、皆この類のような気もするが、それはさておき [;^.^])解くべき問題は、探せばすぐそこにあった。画像のスキャニングだ。

 もちろん、リブ100で出来るし、実際、行っているのだが、リブ100の最大の弱点である「メモリMAX64M」が、足枷になっている。CPUも速くはないので、15Mの画像の90度回転に、結構な時間がかかる。そもそも、机上(作業台上)に縛り付けになる作業なのだから、ミニノート(リブ100)で行う必然性は、特に無い。これを、最新鋭のハードウェアで高速処理してやることにしよう。

 ..しかし、この世界に詳しい先達によると、もはやPCの自作というのは、時流から外れているそうなのである。廉価な高性能PCに、完全に主流が移っているとのこと。(確かに、会社でPCを買い足す時も、呆れるほどのハイスペックの小型マシンが、798かそこらだわなぁ。)

 今、この世界で生き残っているのは、既製品には目もくれない、ひたすら高性能(または最新鋭)のパーツを組み合わせて悦に入っている極道か、ジャンクに走る外道。あるいはそのアマルガムだけだそうな。これで私も、その同類か。トホホ..

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*2000年12月27日:夢のリアリティ


 最新のPC(あるいはPS2等のゲームマシン)のRPGやシミュレーションゲームは、全くプレイしたことが無い(他人がプレイしているのを、肩越しに眺めたことしか無い)ので、以下の妄言は、眉につばを付けて読んでいただきたい。

 確かに、素晴らしいグラフィックスである。ゲームシナリオにも、気が配られているのだろう。しかし..(これが、何故、私がそれらに手を出さないか、という理由でもあるのだが、)それ(グラフィックス)が、なまじ中途半端に“リアル”であることが、非常に気に障るのである。「俺は、こんなキャラクターと同一化したくない!」「こんな変な顔をした奴らとチームを組みたくない!」「こんな敵と戦いたくない!」..

 あなたは、「ローグ(rogue)」という、ダンジョン型のゲームを知っているだろうか? 私も正確な起源は知らないのだが、キャラクタディスプレイでプレイするのだから、相当古いものである。UNIX初期だろうか? 無論、現在主流の3D型ではなく、真上から俯瞰して、主人公(すなわち、プレイヤー)をカーソルキー(viエディタ式のhjklキー)で移動させ、アイテムを拾ったり、それを敵に投げつけたり、さらに下の階への降り口に辿り着いたりするのだが..カーソルキーで動かす主人公というのが、実に、単なる「アットマーク(“@”)」なのである。

 落ちているアイテムも、襲い来る怪物たちも、全て、一文字のキャラクターなのだ。だからこそ、素晴らしいのである。一切の具体性が欠如しているからこそ、プレイヤーは、想像力だけで、この地下迷宮世界の全てを組み立てることが出来る。プレイヤー自身の容貌も、洞窟の光景も、怪物たちの形状も、その闘いの細部も、全て、自分自身で思い描けるのである。それを邪魔する(中途半端にリアルな)グラフィックスも、音楽も、セリフも、一切無いのだ。

 逆に、“それ”が出来ない(苦手な)人、「己の想像力で世界全体を維持し続けること」を負担に思う人には、現在の、絢爛たるグラフィックスと音響の世界、もてなしの良い世界の方が、遙かに心地よく感じられるのだろう。(これは、想像力が全ての「積み木遊び」と、現代的な高性能の玩具との対比にも、例えられるかも知れない。)だから私は、これらの良し悪しや優劣を論じているのではない。

 実際、私にだって、現代的なRPGやシミュレーションゲームを、楽しめると思うのだ。ファイナルファンタジーやドラクエをプレイしたことこそ無いが、もっと前の世代のグラフィカルなRPGをプレイしたことはあるし、確かに、そこそこは面白かったのである。要は、(キャラクターの顔やデザインも含めて)その世界の約束事を、受け入れてしまえれば良いのであるが..

 「戦後ギャグマンガ史」(米沢嘉博、新評社)の155頁から引用しよう。


「劇画の絵は具体性を求めて描き込んでいく為に、この(彼方にある実像へとつないでくれる)回路機能を喪失していく。残されるのは、ゆがんだそれだけの絵姿だ。手塚マンガはマンガの記号性に安住することで、論理レベルでの展開を深化させ、描線や記号の充実によって、エロチシズムやグロテスクへの回路としても充足していった」

 ..現代のRPGやシミュレーションゲームは、ただひたすら、「劇画」を目指しているように思われてならないのである。

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*2000年12月28日:悪夢のリアリティ


 昨夜とは異なるベクトルから、再度、ゲームのリアリティについて考察しよう。

 現代の高精度グラフィックスのリアリティは、無論、「現実世界の(あるいは空想世界の)イミテーション」として、一定の水準に達しているし、それは正しい方向性だろう。しかしそれが全てでは無い。それとは異なる種類のリアリティ、“悪夢のリアリティ”としか呼びようがないものも、存在するのである。

 それは、昨夜述べた「アットマークの抽象性」ともまた、異なる世界だ。

 5年以上前に購入したのではないかと思うのだが、とある、CD−ROMベースのアドベンチャーゲーム。これは、実に「ガクガクした」構造をしていた。つまり、場面場面で、実装方法が異なるのである。

 例えば、コンビニの店内では、見回す(というか4方向を見る)ことが出来る。商品をクリックすると、それが拡大表示される。これらは(店内の情景も商品も)単なるグラフィックデータの表示。その店のドアをクリックして店外に出ると、夜の街路。これはgifやjpegやBMPの張り付けではない、描画した風景であり、スピーカーからは街の騒音が(密やかに)聞こえてくる。(先ほどの店内では無音だった。)とあるホテルの玄関を入ると、受付の男性が案内をするが、これはムービーデータ。そして彼が席を外すと..

 ..つまり、これらの裏側にある「プログラム」が、透けて見えるのだ。データ構造から配列からループ文から定数の持ち方まで。そしてこれがまた、なんとも“心地良い”のである。

 特に、身震いするほど感動したのは、上記の「夜の街路」である。ここには、全く、なんの「実体」も無いのである。

 現代のRPGだったら、こうは行かない。無論、虚構は虚構だが、それにしても確かな「実体」がある。それは、ゲームシナリオにそって用意された、膨大な量のデータ群だ。ひとつの作品世界全体が、統一された構造を持って構築されている。ところが、上記の「夜の街路」は、違う。

 これは(一応は、画像データやムービーデータを用意してある)前後のシーンとは異なる、完全な“つなぎ”のシーンであり、これを実現するために用意されたのは、簡易な描画を行うためのデータ(線分の両端の座標と、ペイントのための色情報)の配列、及び(これだけでは前後のシーンからの落差が激しいので、いくらかでも“リアリティ”を増すための)サウンドデータ。そしてこれを実行するためのサブルーチン(関数)がひとつ..つまり、その光景というより、ほとんど(それを実現している)プログラムが見えてしまうのであり..そしてここが肝要なのだが、これが全く興醒めにならない。むしろ、「ゾクッ」と来るのである。

 それは、こういう“(実体の裏付けの無い)虚構性”こそが、夢の本質だからかも知れない。

 何度か話題にしていると思うのだが、乱歩の「パノラマ島奇譚」の(作り物の)人工楽園においては、芝生はまるで緑のカーペットのごとく、そこには落ち葉も雑草も小石もゴミも混じっていないのである。ノイズが無い、非現実的な、スッキリと整理された世界。私自身が(レム睡眠下で)観る夢も、同じだ。「林」は「林」であり「木」は「木」であり「川」は「川」であり「女」は「女」なのだ。それらはシンプルに実装された、完全な記号であり、複雑なテクスチャを持たない。

 「夜の街路」の“超虚構性”は、これに通ずるのではないか。

 あるいは、P.K.ディックの「ユービック」だ。ここでは、見えている個所だけが(というか、夢見るものが“知っている”個所だけが)実装されている、空虚な“世界”が、戦慄的な“リアリティ”をもって描き出されている。

 膨大な量のデータが投入されている現代的(劇画的)なRPGからは、こういう感興は、なかなか得難いのではなかろうか。

 聖レイの「蜜色お嬢さま」が届いた。これで24冊目。あますところ、「乳首にピアス」(JOY COMICS)、「こんなに快感」(コミックパック)、「黒い妖精」(WORLD COMICS)の、3冊である。

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*2000年12月29日:ウィルス襲来! \[^O^]/


 やたっ! ついに来たっ!

 毎週、金曜日の早朝3:00に、ノートンアンチウィルスに、リブ100全面スキャンを定時走行させているのだが、今朝、起きてみたら、ノートンが警告メッセージを出して止まっていた! ウィルスを検知したのである!

 良かった..[/_;] 本当に良かった..[/_;] これまで長きに渡って、ずーっと、ずーーーっと、スキャンしてもスキャンしても、ウィルスが検出されたことなどなく、もしかして私は全く無駄なことをしているのではなかろうか、こんなことを続けていても、なんの意味も無いのではあるまいか..と、いささか悲愴な想いに苛まれていたのである。私がこれまでスキャンし続けてきたのは無駄では無かったことが、これで証明された!

 実のところ、昨夜、「これは怪しい」、というメールを受信していたのであった。怪しいどころか、Subject: も 本文も空欄で、添付ファイル(EBPROGEB.EXE)のみ、という、「頼むから何も言わずに私を削除してくれぇ〜〜っ!!」、と、悲鳴を上げているも同然のメールだったので、ご要望どおり、即座に削除。さらに、単に削除しただけではメーラ(Becky!)のゴミ箱に入るだけなので、ゴミ箱からも削除しておいたのである。

 ところが、これだけでは削除しきれていなかったのだ。Becky! が作成する「受信メールのバックログファイル」の中に残っており、ノートンは、これを検知したのであった。なるほどなるほど。万一の誤操作(消しすぎ)に備えて、バックログファイルを作成する設定にしてあるのだから、この設定を変更するのは本末転倒。バックログファイルは、時々手動で消しているのだが、こういう、「とことん削除すべきメール」を受信した時には、忘れずにバックログファイルも消す、という運用を徹底すればいいだろう。(この程度には、自分自身を信用しても構うまい。)

 ちなみに、どういうウィルスかというと、「W95.Hybris.Gen.dr」「発生頻度:まれ」としか、ノートンはレポートしてくれない。そこで、ネットでざっと検索してみたところ、「トロイの木馬型」「レジストリ情報への不正な書き込み、および、WSOCK32.DLLの変更」とのことであった。

 それにしても、良かった..[/_;] ウィルス到来が21世紀に間に合って、本当に良かった..[/_;]

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*2000年12月30日:「はりきり弁慶」データ確定


 帰省日である。7:40のバスで、いつもより1本遅い、8:06のひかり。これに乗ると、新宿伊勢丹に、ジャスト10:00に着くはずなのだが..

 ..今回は、シンセ持参であり(帰省最終日に、横浜で演奏オフがあるのだ)、これを銀の鈴待合所の大型コインロッカーに放り込まなければ、都内で身動きが取れないところに持ってきて、銀の鈴のコインロッカーが満杯で、臨時手荷物一時預り所は10:00オープンと来たもんだ。いいよいいよ、どうせ伊勢丹大古本市は今日が最終日なんだし、めぼしいものは、漁られ終わっているんだから、今さら開店直後に飛び込む理由は無いよ。

 で、10:30頃に伊勢丹着。事前に注文していた2冊は、共に抽選負け。悪運くじ運の強い私にしては、珍しいこともあるものだ。

 収穫は、石川古本店のガラスケースの中に展示されていた、「はりきり弁慶」(手塚治虫、おもしろブック付録)の「カバー付き」を、検分出来たこと。Tさん宅にもあるのだが、これはカバー無し。他で見たこともあるのだが、いずれもカバーが無かったのである。

 何故、カバーを見たかったのかと言うと、これが「何年の」付録なのか、カバーにしか、記されていないからであった。「手塚治虫全史」「手塚治虫マンガ大全」には、「1954/02 付録」、その他の全ての資料には、「1953/02 付録」と記載されているのである。そこで一応、私のリストでは「1953/02 付録」説を採り、「未解決の諸問題」のページに、「「1954/02 付録」説もあり」、と記載していたのであった。

 ようやく、真相が判明した。カバー裏には、「おもしろブック 昭和29年2月号付録」、と明記されていたのである。手元の(リブ100内の)データベースは、直ちに修正したが、これがウェブに反映されるのは、1/11 になる予定である。

 その他の収穫は、文庫本、2冊のみ。

 お茶の水に回って、神保町(の、既に年末年始休暇に入っている古書店群のシャッターの前)を軽く素通りしてから [;^J^] 秋葉へ..と、その前に、神保町古書店群の秋葉側の外れ近くにあるN書店をチェック。これまでのところ、ネット以外で聖レイをゲット出来たのは、この店のみ。その実績を重んじて、神保町に寄る度にチェックを入れていたのだが、その後、全く収穫が無かったのである。今日は久々に、聖レイが1冊補充されていたが、残念ながら、購入済みの「小悪魔遊び」。しかも、3500円 [X_X]。

 私が聖レイを集めだしたのは、この3月だが、この間に、相場が10倍とまでは言わないにしても、軽く5倍以上に跳ね上がっている(ような気がする)。まぁ、ビンテージエロ劇画の相場が全体として高騰しつつあるのは確かだが、それにしても「自業自得」の4文字が目の前にちらつくのを強引に振り払って [;^.^]、秋葉へ向かう。

 LAOX・ザ・コンビューター館で、PC自作系の書籍と雑誌を、計3冊。石丸電気ソフトワンで、DVD×2。石丸電気3号店で、CD×2。

 横浜の実家へ。

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*2000年12月31日:「20世紀の終わりに」


 ..という曲が、昔あったと記憶しているが..ヒカシューだったっけ? もしかして、20年位前か? きょうびの若者が知っているわけは無いか。

 というわけで、今夜で20世紀も終わりなのだが、たかがWeb日記で今世紀を振り返っても仕方が無いので、そういう不粋というか牛刀な真似はしない。いつもどおりに行く。

 聖レイの「乳首にピアス」をネットで発見。即発注。

 紅白歌合戦。前半の若い連中は、どうでもいい。小林幸子も、どうでもいい。

 西城秀樹。名曲「ブルー・スカイ・ブルー」を歌うも、いささか崩しすぎ。もっと伸びやかに、それこそ、青空の彼方へ“想いを届け”なくては。かつての秀樹には、それが出来たのだ。

 ピンクレディー。後半、いささか息切れしていたようだが [;^J^]、このアクションは、ご立派。

 アリス。「チャンピオン」は、やめといた方が良かったな。パワー感、皆無。“燃え尽きる”曲なんだけど、それ以前に、火がつかなかった。

 アシモ君が登場したのは、嬉しい趣向でした。

 昨日買い込んできた「PC自作入門書」と「その類の雑誌(ムック)」を読みふける。

 3Dゲームは、しない。DVDの再生も、当面、予定無し。(大体、既にDVDプレーヤーを持ってるんだし。)先日も書いたとおり、主たる用途は、画像のスキャニングである。

 となると、CPUはまぁ、なんでもいいだろう。6〜700MHzもあれば十分か。(中途半端に性能が低いと、かえって割高、ということはありうるかも。)メモリは128M×2。まぁ、SDRAMだろう。DDR SDRAMの速度が、要るだろうか? PCIスロット数だが、SCSIとLANは必須として..あとが思いつかんが、しかし先々、何を考えるか判らないので、3スロットでは心細いかも知れないなぁ。HDは数十Gクラスを適当に。それと、CD−RW/DVD−ROMドライブ。ケースはちゃんとした奴。マイクロタワーだと問題あるかな。

 問題は、ビデオカードだ。現在のビデオチップメーカー(僅か4社)は、3Dグラフィックスの性能争いにしのぎを削っているらしいのだが、3D(ゲーム)に興味が無い私は、そもそも相手にしてもらえない感じ [;^J^]。2Dグラフィックスの性能争いは、もはや完全に飽和しており、どれを買っても一緒。画質は各人の好み次第、という状況である由。Matrox の Millennium G450 というのが、良いような気がする。3Dグラフィックス的には、全くお薦めでは無いらしい、というのも、潔くて気に入った [;^J^]。

 ..とかなんとか、ネットも併用して、買ってきた書籍と雑誌のページを、ああでもないこうでもない、と繰っているうちに..鎮めておいたはずの、呪われたマニアの血が、フツフツフツフツフツフツフツフツ..

 ..ああ、畜生道..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 3 2001 
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