*1999年04月05日:ある追憶
*1999年04月06日:謎を自給する男
*1999年04月07日:これもまた、謎の自給
*1999年04月08日:久しぶりに..
*1999年04月09日:年は0から、月日は1から
*1999年04月10日:「携速」解決/「未来の世界」
*1999年04月11日:その硬度、いつまで保つか
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*1999年04月05日:ある追憶


 誰もが、不思議な追憶をひとつは持っていると思う。本当にそんなことがあったのだろうか? この記憶は正しい記憶なのだろうか?

 私にも、ある。それは「SL」についての記憶である。

 私は北九州市で生まれ、9歳の時にその地を離れた。だから北九州の記憶は、ほとんど残っていない。断片的な情景をかき集めても、数十以下だろう。(いっぺん死んでみれば走馬燈するのだろうが、それはさておき。[;^J^])

 その断片のうちのふたつが、どうにも説明がつかないのである。

 まず、SLの車内の情景。「煙が入ってくるからトンネルの中では窓を閉めなさい」、と、母に言われたことを憶えている。その「トンネル」とは、関門海峡の海底トンネルのことである。

 「そんなはずは無い」、と、親たちは言うのだ。当時、関門海峡をSLは走っていなかった、と。だとすると、この記憶はなんなんだ?

 もうひとつ。これはもっと不思議なのだが、SLの最後尾の車両からの光景である。その車両の後部には、小さなバルコニーが張り出している。汽車は草原の中をまっすぐ走っている。バルコニーに立っている私は、後ろへ、後ろへと、飛ぶように流れていく線路と草原を観ている..

 「そんなはずは無い」、と、やはり親たちは言うのだ。そんな場所にSLで出かけたことは無い。そもそも、SLの最後尾の車両は、そんな構造になっていない、と。

 この、小さなふたつの謎が、数十年間、解けずにいる。それは..真剣に解こうとしていないからでもある。解いてしまえば、真相はつまらない(散文的な)ものである可能性の方が、遙かに高い。そんなことをする位ならば、「謎」は「謎」として残しておく方がいい。自分の生涯にまつわる「謎」ほど、自分の人生を豊かにしてくれるものは無いのだから。

 そしてまた..上述した親の言葉。二つの否定。実はこれらもまた、遙かな昔の記憶なのである。私が憶えているSLの中の情景(あるいは、SLの中からの光景)は、それはあるいは偽りの記憶なのかも知れないが、それを否定する親たちの言葉の記憶こそ、実は偽りの記憶なのではないだろうか?

 仮に、偽りの記憶が偽りの記憶を包含し、外側の偽りの記憶が内側の偽りの記憶を否定しているのだとすると..偽りの中の偽りなのだとすると..それはもはや「偽り」とは言えないのではないか?..

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*1999年04月06日:謎を自給する男


 とにかく、字が汚いのである。小学生の頃から、クラスでもトップクラスだったと思うが、この10数年来、日常的な書き物がほとんどタイピングになり、鉛筆やボールペンで長い文章を書く機会が激減してから、一層磨きがかかってきた。とはいえ、手書きせざるを得ない機会は(役所関係をはじめとして)数多く残っている。中でも特に問題になるのが、手書きのメモである。

 私は学生時代以来、手帳は「能率手帳」と決めているが、過去17年ほどのそれを、捨てずに全部取ってある。(そういう性格なのである。)それを読み返してみると、如実に判るのだが..古い時代の手帳は、まだ読める。しかしここ3〜4年の手帳の内容は、半分以上読めないのだ。

 「数年前」どころか、最近では、もって「数時間」である。極力早く、清書(タイピング)しないと、メモがメモとして機能しなくなる。

 これに加えて問題になってきたのが、「仮に読めても内容を理解できない」メモが増えてきたことである。

 「分別たくしこみ、各部チェック」..“たくしこみ”とは、なんのことだ? 私は会社で30分間悩んだあげく、このメモを破り捨ててしまった。(解決できない問題は、なかったことにしてしまう方がマシである。)こんな例は、枚挙にいとまがない。

 この病気、治る気がしないのである。

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*1999年04月07日:これもまた、謎の自給


 昨日の続き。

 どうしてもなんとかしたい「癖」(というか「病気」)が、もうひとつ、ある。

 それは、手に持っているものを、意識も脈絡もなしに置いてしまう、という悪癖である。どんな場所に置くかは、全く予想出来ないのだ。

 このために、私は(体感時間で)1日に30分ないし1時間は、捜し物をするはめになっている。こればっかりは、人生の無駄遣い以外の何物でもない。

 天気晴朗なれど、波高し、もとい、風強し。午後から強風。ハンドルが取られる取られる。まっすぐ走るのが困難である。[;^.^]

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*1999年04月08日:久しぶりに..


 ..有給休暇を取って、振り込み(送金)などのヤボ用を、いろいろ片づける。

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*1999年04月09日:年は0から、月日は1から


 今日は「仕込み日」らしい。2000年1月1日に子どもを産むための、である。

 まぁ、好きなようにしてもらえばいいのだが..冷静に考えれば、子どもと母親を、「かなりの」とまでは言わないにしても、少なくともその他の平凡な出産日よりは、危険にさらすことになる。そもそも元日で医者と看護婦(助産婦)の絶対数が少ないばかりでなく、この日に産まれる予定の子どもの数は、恐らく平年の正月の数倍以上であるから、なおさら、まともなサポートが受けられる可能性が少なくなる。コンピューターが止まる可能性が高いかどうかは知らないが、まぁ1998年や2001年よりは高かろう。(実のところ、1999年の正月も、相当危なかったはずであるが。)

 しかし、それよりももっと根本的なところで「気が知れない」のは..一体全体、2000年1月1日が、どうして、「キリがいい」と思えるのだろう? 本当に理解できない。

 21世紀が2000年からスタートするか、2001年からスタートするか、という議論には飽きたので、これはもうどうでもいい。論ずるまでもなく、21世紀は2001年からスタートするのだが、これを理解できない人たちは、勝手に2000年に騒いでくれればいい。別に阻止する理由は無い。

 理解できないのは、彼らの「美意識」である。一体全体、2000年1月1日が、どうして、「キリがいい」と思えるのだろう?

 “千年紀の境目で「キリがいい」元日”というのは、2種類しかあり得ない。

 2001年1月1日か、2000年0月0日である。

 可能ならば、後者の方が美しかった。論ずるまでもないことである。

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*1999年04月10日:「携速」解決/「未来の世界」


 「携速95」(CD−ROMイメージをHD上に作る、超便利なユーティリティー)絡みで、ふたつのトラブル(というか不具合)に悩まされていた。ひとつは、平凡社の「マイペディア98」を処理できないこと。携速イメージファイルを作ろうとすると、事実上ハングアップしてしまう。もうひとつは「不具合」というよりは「サービスの不足」なのだが、「エンサイクロペディアオブ手塚治虫」が「ドライブD」を決め打ちしているのだが、こういうソフトのために、仮想CD−ROMドライブのドライブ番号をアサインしなおす機能が欲しいところである。(「携速」と同じジャンルのライバルソフトには、こういう機能がある、と聞いたことがある。)

 そこで、「携速98」を導入したのだが..状況変わらず。色々機能は増えたのだが、相変わらず「マイペディア」は処理できないし、仮想CD−ROMドライブのアサインし直しは出来ない。これでは「携速98」を買った意味が無い..

 ..と、思ったら。

 ふと思いついて、CD−ROMドライブを取り替えてみたら、あらま、なんの問題もなく、「マイペディア」を処理できたではないの。[;^.^]

 ふと思いついて、「エンサイクロペディアオブ手塚治虫」をインストールし直してみたら、CD−ROMのドライブ番号を入力するボックスが現れたではないの。[;;^.^]

 なんのことはない、「携速95」だ「98」だというレベルとは無関係な階層で、引っかかっていたのである。う〜ん。

 後者についていえば、今どき、インストール時にこんなことを設定させる(あとで融通が効かなくなる)ソフトは珍しいのではないかと思うが、文句は言えない。これは1995年、Win3.1時代のソフトなのであるから。

 数年前に、同僚のK君から借りていた、「学習科学図鑑シリーズ 未来の世界」(小学館)を読む。初版は1967年だが、1970〜80年代という「近未来」の世界にいる、という設定で、バラ色の科学とバラ色の社会を描いている。

 無論、的中したことも外れたことも(1980年どころか、ついに今世紀中には実現しないであろうことも)たくさん書かれているのだが、そういう個別の事例をことあげするのは、もはやマンネリであろう。それよりも、そのバラ色の記述の背後に、「そういう1970〜80年代を夢見たかった1967年」の事情を読みとる方が、面白い。

 目立つのは、「もう、農村と都市の区別は無くなりました」という記述が繰り返されることと、不必要なまでに「暗さ」を退け、「光」と「明るさ」を希求する姿勢であ。1967年当時に、何を(切実に)解決したかったのかが窺われて、興味深い。

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*1999年04月11日:その硬度、いつまで保つか


 月に一度の廃品回収と、統一地方選のダブルブッキング。違和感が全然無い。[;^J^]

 都知事に、石原慎太郎。

 首都防衛軍を編成し、独立戦闘国家を宣言して皇居と国会を占拠、横須賀の米軍と交戦状態に入る。その時、自衛隊の動向は? ..とか、こんなネタしか思いつかないんですが。[;^.^]

 しかしまぁ、1年もたたないうちに、牙も骨も抜かれて大人しくつまらなくなってしまいそうな予感がすることだよ。青島よりは粘るかも知れないが、官僚組織の慣性(というか抵抗力)は、一世代や二世代でどうこうできるものではあるまい。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 14 1999 
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