*1999年03月15日:Sense of Distance
*1999年03月16日:DASACON賞入賞!
*1999年03月17日:G3の評価
*1999年03月18日:「二日酔いダンディー」発売!
*1999年03月19日:「遅れちゃう」
*1999年03月20日:久しぶりの国会図書館
*1999年03月21日:手塚治虫のすべて/鉄腕アトムクラブ/手塚ファンmagazine、等調査
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*1999年03月15日:Sense of Distance


 シルクロードの町、トルファン。私は、このオアシスの町を、約5年前に訪れたことがある。(「シルクロード 恐竜紀行 '94」の 第17章 以降を参照。)

 素晴らしい町であった。せめて一週間は滞在したいと思った。可能ならば、しばらく住んでみたいとすら思ったが、これはもちろん、気楽な(通り過ぎるだけの)旅行者の勝手な思い入れであることは、当時から承知していた。これほど不便な町で、長期間過ごせるわけがないのだ。この、日本での至便な生活に馴れきった男が。とにかく、人口3万の町に、在庫の乏しい書店が一軒だけで、しかも、その本はことごとく読めないのである。[;^.^]

 その数年後、確か96年か97年の前半ではなかったかと思うのだが、「トルファンで暮らしてみたい!」という思いが再燃した。それは、情報インフラの整備を精力的に推し進めている中国が、西域の砂漠の中に光ファイバーを敷設し、それがウルムチやトルファンを貫いている、ということを知ったからである。インターネットマガジンの記事だったと思う。

 書店が一軒、デパートも一軒。博物館がひとつ。ワイルドで異郷的なバザール。そういう辺境の地で物質生活の不自由さに悩まされようとも、インターネットが届いていれば、最低限の情報生活水準はクリアできたも同然である。

 そして、ここが肝要なのだが、この「情報生活」が「ただ1本の光ファイバー」に支えられている、ということに、いわく言い難い感興を覚えたのである。遙かな砂漠を越えて、ただ1本のケーブルで都市と結ぶ。その頼りなさ。その頼もしさ。

 この、辺境での生活を希望しながら、しかも、とことん(都市から、あるいは最先端の文明社会から)切り離されるのは嫌だ、という、甘ったれた想いは、「さかしま」(ユイスマンス)の主人公、デ・ゼッサントに通ずるところがある。(彼は、交通の不便な田舎に、自らの閉鎖的な「城」を作り、そこで人間社会から切り離された生活を満喫するのだが、実は、その「田舎」は、首都から電車ですぐの場所に位置しており、人恋しくなれば、いつでも都会の雑踏の中に、身を投じることができるのである。)

 しかし..この、遙けき想いは、憧れは..

 ..僅か半年とたたぬうちに、同じインターネットマガジンの記事によって、破られた。

 衛星通信である。

 全世界、どこにいようとも、たとえアマゾンの奥地であろうが、キリマンジャロの山頂であろうが、携帯用のアンテナを空に向けるだけで、インターネットと接続できるようになったのである。固定設備すら必要無くなってしまったのだ。

 たった1本のケーブルでつながっていたからこそ、遙かなる異郷(異境)だったのだ。今でも、トルファンを再訪したいとは思う。しかし、私の心の中のトルファンを彩っていた、あの Sense of Distance の輝きは、永遠に失われてしまった..

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*1999年03月16日:DASACON賞入賞!


 DASACON賞の結果が 発表 された。


読んで面白いサイト部門

1.59pts. A Ray of Hope(冬樹蛉)
2.58pts. 倉田わたるのミクロコスモス(倉田わたる)

3.55pts. nozomi Ohmori SF page(大森望)

(講評抜粋)

 ..一方、2位に入った倉田わたるのミクロコスモスは典型的な爆発得票型。同ページの日記でDASACON賞への言及があった翌日からものすごい勢いで票を集めはじめ、この日から2日ほどで全得票数の8割近くを稼ぎ出した。具体的な投票方法を指示した呼びかけが功を奏したと言えるだろう..


役に立つサイト部門

1.61pts. nozomi Ohmori SF page(大森望)
2.43pts. 倉田わたるのミクロコスモス(倉田わたる)

3.37pts. 独断と偏見のSF&科学書評(森山和道)

(講評抜粋)

 ..2位の倉田わたるのミクロコスモスは、「吾妻ひでお著作リスト」「手塚治虫全集解説総目録」などのリストに投票呼びかけのうまさが加わり、こちらの部門でも一時爆発的に得票数を伸ばした..


 ..なんちゅうか、その [;^.^]..

 ご協力、ありがとうございました。m[_ _]m [;^J^]

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*1999年03月17日:G3の評価


 もちろん、「ガメラ3」のことである。(どこぞのCPUの話のわけが無い。)

 当然、誉める人も貶す人もいるわけで、評価が分かれること自体は健全なことである。しかし、不思議に思うことが、ひとつある。

 それは、「これは続編がありますね!」という感想を持つ人が(少なからず)いると言うことだ。

 理解できない。G3のエンディングは、「続編を作れない」エンディングである。

 ネタバラシになりかねないので、詳しくは書けないのだが、これは、「シリーズを、一番美味しいところでぶったぎる」手法の、“定型”のひとつと言って良い。

 「話が終わっていない → 続編がある」という、幼稚な思考回路。もっと小説やマンガを沢山読みなさい。「中断することによって(結果的に)素晴らしい効果をあげることがある」、ということは、憶えておいて損はない。

 小説で、一例。「神州纐纈城」(国枝史郎)。この鮮やかな“中断”のあとに、いかなる物語を続けようとも、これほどの輝きも光芒も得られまい。

 マンガで、一例。「凄ノ王」(永井豪、講談社コミックス版)。考えられる限り最悪の災厄が降りかかり、そして事態はさらにどんどん悪くなっていくばかりの地球の上で、主人公の“抜け殻”と青沼が対峙する、この中断シーンの、底知れぬ凄み。のちの、「超完全完結版 凄ノ王」(KCDX、講談社)の「大団円」の“ぶざまさ”と読み比べてみると、良くわかるはずだ。

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*1999年03月18日:「二日酔いダンディー」発売!


 記憶すべき日となった。吾妻ひでおの初期の大傑作、「二日酔いダンディー」が、ついに発売されたのである。

 但し、コンプリートセットでは無い。私の把握している限り、全18エピソードなのだが、本書に収録されたのは、15エピソードである。まぁ、仕方が無い。

 リスト作成者としては、全ての初出誌を確認出来ていないために、(そして、この単行本には、各エピソード個別の初出誌情報が記載されていないために、)リストの中に、一部“?”マークが残っていることを、遺憾とする。作者の手元には全ての原稿が回収できているらしいので、作者に問い合わせれば、あるいは判明するかも知れない。しかし、作者に直接聞いた時点で、負けである。(あなたも当然、そう思うでしょう?)

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*1999年03月19日:「遅れちゃう」


 ずいぶん以前のことになるが、ニフのFCLAのRTで、「初対面」の人とおしゃべりしていたところ、彼が面白いことを言った。居住地は知らないが、月に一度ほど都内にCDを買いに行くらしいのだが、「月に一度は秋葉に出ないと、遅れちゃうよ」、と、我々田舎者に自慢してくれたのである。

 あまりの可笑しさに、みんな、この発言には気が付かなかった(読み落とした)フリをして、この話はここまでとなった。私としても、初対面の人を笑いものにするつもりは毛頭無いので、優雅に黙殺した次第。

 まず、「遅れちゃう」という感覚が、どこかおかしい。もちろん、クラシック音楽の世界にも流行はあるし、スタープレイヤーには追っかけもつく。それはポップスの世界と、なんら変わるところはない。しかしその一方で、今月買った新譜の録音年が1991年、なんてことも日常茶飯事の世界なのである。録音したまま数十年お蔵入りしていることだって、珍しくはないのだ。そして、発売後、すみやかに廃盤になったCD(レコード)が、数年(時には10年以上)ののちに再発売され、またしてもすみやかに廃盤になり..という世界なのだ。今月の新譜を追いかける、という感覚とは全く異なる時間が流れている世界でもあるのだ。「遅れちゃう」氏は、この時間流を認識できていない。

 次に、よし、新録音や「新・再発売」を追いかけることに命をかけるのなら、「月に一度の秋葉原」では、全然話にならない。最低でも、秋葉原、渋谷、新宿、池袋を、週に3回は巡回しないと、最先端からはまるっきり「遅れてしまう」。「月に一度の秋葉原」、というのは、恐るべき田舎者の感覚である。

 そして、もしも本当に「最先端」をキャッチアップしたいのであれば..足に頼っているだけでは駄目。インターネットで内外のウェブページ(カタログ)を、常時ウォッチし続けることが必要。(無論、各国の紙物(書籍)のカタログを定期購読するのは、大前提である。)といって、これだけではやはり、駄目なのだ。足も、通信も、休まず回し続ける必要がある。「遅れずついてゆく」ことは、それほど大変なことなのだ。

 そして私はもちろん、そんな努力をするつもりは無い。ふと思いたって買いたくなった書籍は、調べてみたら30年も前に出版されたもので、とっくに絶版。やれやれまたか、と、ため息をつきながら、古書店を探し始める..

 ..これが、怠惰な私の道楽なのだ。

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*1999年03月20日:久しぶりの国会図書館


 昨年11月以来、ひっさびさの国会図書館である。ほとんど勘が狂っていた。[;^J^]

 大物はほとんど残っていない。手塚治虫の細かいエッセイや談話や講演や雑誌グラビア記事を拾っていくという、末期的症状詰めの調査。

 ヒトコマ漫画は、まだまだ発掘しきれていないと思うが、それ以外の漫画作品(で、初出誌が収蔵されているもの)は、もうほとんど残っていない。「地下壕」(小説サンデー毎日、70/08)、「ゴミ戦争」(週刊朝日、73/11/01)などが、本日の閲覧分だが、ま、全集に収録されなかったのもやむを得ない、と、納得できてしまう駄作であった。[;^J^]

 「人間ども集まれ!(完全版)」(実業之日本社)の初出リストの誤りを確認。(実は、この有用な書物を購入してすぐに気が付いていた。)67/04/05 は休載とされているが、実は掲載されているのである。このことは、約2年前(97/04/19)に調査済み。念のため、本日、裏を取り直したという次第。

 渋谷まんだらけへ。「まんだらけZENBU」の第2号。これはとっくに発売されていたのだが、浜松のめぼしい書店を片端からあたっても、取り扱っていなかったのである。思うに、「ZENBU」になる前の、旧「まんだらけ」を廃刊にして、新雑誌を起こしたのだが、この機会に「縁」を切られたようである。書店の信用を失ったのだ。

 「怪奇版画男」(唐沢なをき)を700円で購入。もちろん、発売と同時に購入しているのだが、いつもの癖で「帯」を捨ててしまっていたのだ。この本は、「帯」を捨ててはいけなかったのである。ということで、「帯」を700円で買い戻した、という次第。[;^J^]

 横浜の実家に帰省。

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*1999年03月21日:手塚治虫のすべて/鉄腕アトムクラブ/手塚ファンmagazine、等調査


 国会図書館どうよう、Tさん宅も4ヶ月ぶりである。

 まず、「手塚治虫のすべて」(大都社)を調べる。81年の出版物だが、どうも収録作品の品揃えに見覚えがあると思ったら、昨年出版された「未発掘の玉手箱 手塚治虫」(立風書房)は、本書をベースにしていたのであった。

 書籍の性格が性格であるから、初出情報は、それなりに記載されている方ではある。しかし、ヒトコマ漫画については、全然駄目。数ページにわたって、多数のヒトコマ漫画を再録したあげく、データのページには、「以上の作品は、「話の特集」「漫画サンデー」「宝石」「赤旗」「読売新聞」「東京新聞」「PHP」「サンデー毎日」、その他」..これは名指しで喧嘩を売られている、と、理解した。凸[-_-メ]

 引き続き「鉄腕アトムクラブ」調査。特にこの雑誌で顕著なのだが、悩ましいのは「代筆」を含む「原作:手塚治虫」作品の扱いである。一概に切り捨てられないのだ。そうでなくともアシスタントは使っているのだから、程度問題という側面は、ある。また、最初のうちは手塚治虫の真筆であっても、終わりの方(最終回)は代筆、という作品も、珍しくはない。目録に入れるか否かの、明確な判断基準は、まだ確立できていない。

 さらに、「手塚ファンmagazine」調査。このファンクラブ会誌は、エッセイ(というより、談話や講演の記録)の宝庫なのである。また、旧作の再録を精力的に行っている点でも、貴重だ。国会図書館にも現代マンガ図書館にも初出誌が無く、全集その他の単行本に収録された形跡もなくて途方に暮れていた作品が、いくつも再録されている。「ヒョウタンツギタイムス」と双璧か。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 24 1999 
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