*1999年02月08日:信用取引としての納税
*1999年02月09日:夜の快楽について
*1999年02月10日:大人になる日
*1999年02月11日:天網恢々
*1999年02月12日:ある報道への、ささやかな疑惑
*1999年02月13日:風とともに
*1999年02月14日:「天狗」
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*1999年02月08日:信用取引としての納税


 午前半休を取って、税務署へ。毎年のこととて、書式も手続きも(自分なりに)マニュアル化出来ており、テンプレートから書き写すだけなので、楽なもんだ。

 当然のことなのかも知れないが..証拠のひとつも求められない、というのは、妙な気分がするものだ。書式が完備してさえいれば、こちらの申告内容を「鵜呑み」にするのである。

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*1999年02月09日:夜の快楽について


 半分以上、作り話だとは思うのだが..とある金持ちがやらかしたという、道楽について。

 彼はベッドルームに、ベッドをスポーク状に並べたのである。最初のベッドの冷たいフトンの中に飛び込んで..そして暖まってきたら、隣のベッド(の冷たいフトンの中)に飛び移る。それが暖まってきたら、(以下、繰り返し、)..そして、一周回ってきた頃には、最初のベッドのフトンは、十分に冷え戻っているので、また“気持ちよい”冷たいフトンに飛び込める..という趣向である。

 これは、ほとんど究極の贅沢ではあるまいか。

 これに要する費用など、知れたものである。大金持ちどころか“小金持ち”でも、十分に実現できることだ。金銭の問題ではない。こんな馬鹿なことを「実行してしまう」という精神の豊かさこそが、「究極の贅沢」の証明なのである。

 しかし私がショックを受けるのは、この逸話を紹介しても、多くの人が、「それのどこが贅沢なわけ?」、と、キョトンとしてしまうことだ。

 なんたることだ。彼らは、「冷たいフトン」の悦びを、知らないのだろうか? 暖かいフトンに、なんの値打ちがある。冷たいフトンの中で“かじかみ”、身をすくめ、時には歯の根も合わぬのを耐えながら、少しずつ温もってくるのをじっと待つ..

 暖まってしまえば、もう終わりである。終わる(少し)前に、また最初からやり直す。そしてそれを睡魔に倒されるまで繰り返す..

 この、究極のアイデアと快楽が、理解できないのだろうか?

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*1999年02月10日:大人になる日


 人は、いつ「オジン」「オバン」になるのであろうか。(以下の私論(試論)の適用範囲は、ある程度の規模(社員数)を持つ企業であることに、注意されたい。)

 それは、自部署に配属された「新入社員」の顔を憶えなくなる時である。

 自分の後輩社員たちの、入社年度の前後関係がわからなくなる時である。

 就職1年目は言うまでもない。同期のつきあいも多い。私の経験では、5年目くらいまでは、後輩たちの「地層」も、完全に把握できている。自分たちの同期づきあいどころか、「後輩たちの同期づきあい」にも、疎くはない。(「あぁ、A君は君の2年下だったね。彼、今度結婚するのか。2次会にはB君やCさんも呼ぶのかい?」..)

 それがいつしか、わからなくなる。顔が「憶えられなくなる」のではない。「憶えなくなる」のである。もう、どうでもよくなってしまうのだ。後輩たちの同期づきあいどころか、自分たちの同期づきあいも、とっくに終わってしまっており、もはや誰が同期だったかすら、思い出せなくなる。

 かくして人は「オジン」「オバン」に、企業の中核を担う「中堅社員」に、脱皮するのである。

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*1999年02月11日:天網恢々


 今日も休日出勤だが、珍しくも朝から雨。

 御慶。

 年が明けて以来、ほぼ全ての土日に出勤している(というか、基本的に休日は無く、風邪をひいた日だけ休んでいる)のだが、このところ、ずっっっっと、土日は快晴(か、それに準ずる天候)だったのだ。

 今日、予定されていた行楽は、台無しだろう。

 胸のつかえがおりた。

 得心がいった。

 これで心おきなく働ける。

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*1999年02月12日:ある報道への、ささやかな疑惑


 新潟のZ社で起こった毒物事件の容疑者が、逮捕された。大方の予想どおり、内部犯行だったらしい。(まだ、真相が全て解明されたわけではないが..大体、物証がほとんどなく、状況証拠だけ、という(検察にとって)危うい状態である。)

 新聞報道によれば、彼は91年に同社新潟支店に移ったあとは、


「昨年11月まで7年間、経理や総務などの事務を統括していた。1千万円以上の経理伝票の処理を怠って社内で問題視され、当日は本社による「経理指導」の日だった。元同僚らによれば、「昨年春ごろから未決書類がOさん(容疑者名)のところでストップしていた」という」

(「日本経済新聞」99年2月12日付け朝刊より)

 ..とのことなのだが、毒物投与はそもそも論外としても、こんな社員を7年間も要職につけ、未決書類が1年近くも放置されているのを見逃してきた会社の方が、実は問題じゃあないか、と、会社で同僚たちと、休憩時間に日経を読みながらダベリング..

 ..ふと、違和感を覚えた。日経は会社で読んでいるのだが、今朝、自宅で、これとは全然異なる報道を読んだような記憶があるからである。

 帰宅してから、早速、今朝読んだ「朝日新聞」朝刊を読み直して、目を疑った。


「同僚らは「まじめ」「仕事熱心」と口をそろえる」

(「朝日新聞」99年2月12日付け朝刊(社会面12版)より)

 完全に矛盾している。

 よほど大規模な事業所であって、他の社員たちが、色々な顔を使い分けていた容疑者の一面しか、それぞれ把握できていなかった、というのなら、このような「見解」の相違が発生しても無理はないが、非常に小規模な支店なのである。

 「経理伝票の処理はしないし、未決書類もため込んでいるけど、それはそれとして“まじめ”で“仕事熱心”だよ」、という評価は、あり得ない。なぜなら、彼は「経理」と「総務」のプロなのであって、まさにその「本業」を怠っていたのであるから。

 例えば、“まじめ”で“仕事熱心”な“プログラマ”が、「特許レポート」の処理を半年以上にわたって数十件も滞らせることは、あり得るであろう。(たとえ話である。)同様に、“まじめ”で“仕事熱心”な“プログラマ”が、部署で購入しているソフトのアップグレードの通知を(やはり半年以上にわたって)数十件もため込んでしまった挙げ句、何件かは期限切れでアップグレードしそこなってしまった、という失敗も、あるかも知れない。(だから、たとえ話だってば。[;^.^])

 しかし今回の事件は、この例とは状況が全く異なる。プログラマにとっては「特許レポート」も「ソフトのアップグレード処理」も、確かに大切な仕事だが、基幹業務でないからである。

 だから、日経の記者と朝日の記者が、同じ社員たちに取材した結果の解釈(あるいは視点)が、それぞれ異なってしまった、という問題ではないのだ。どちらかが「取材せずに書いている」。(「嘘を書いている」、とまでは言わない。この場合、“偽りの報道”をする“利益(理由)”が無いからである。)

 論ずるまでもなく、信用できないのは「朝日新聞」の記述である。「日経」の記述には、事実関係を取材した、という「具体性」があるが、「朝日」の「同僚らは「まじめ」「仕事熱心」と口をそろえる」という記述には、それがない。全くの定型文に過ぎない。なんらかの事実は取材したのかも知れない(したのだろう)が、それは一切読みとれない。早い話が、サラリーマンが事件を起こした場合、必ず「ペースト」される「文字列」に過ぎないのだ。

 この一事をもって、「だから朝日新聞は..」という結論に持っていく気は、ない。しかしもう何年も(10年近くも)前から、「話半分」にしか読んでいないのも、事実なのだ。そんな新聞を、なぜ、高い金を出して購読しているのか。

 ネタになるからである。

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*1999年02月13日:風とともに


 ある人に立て替えていたお金が、図書券で届いた。(正確には、昨日のことである。)

 図書券の方が現金よりも嬉しい、というのは、珍しい感覚ではない、と思う。なぜ嬉しいのか。それは恐らく、「書籍」の購入にしか使えないので、「食費」や「衣料費」などに「消える」心配がないからであろう。(「書籍」の購入以外の金の使い方は、基本的に「無駄遣い」である、という認識については、議論の余地は無いと思う。)ま、最近は、図書券でCDでもなんでも買える、「便利な」店もあるのだが。

 久々に休日に休む。布団干し。掃除。

 私の掃除の仕方は、名付けて「大自然流」である。「“大自然の呼吸”流」とも言う。

 つまり、窓を全て開け放しておいて、風が来るのを待つのである。そして風が来たら(正確には、その気配を感じたら)、素早くハタキをかける。

 すると“風”が、わきあがった“埃の雲”を、屋外に運んでいってくれるのである。

 原則として、掃除機は使わない。だから、床の上も(上記のタイミングで)ハタキがけする。

 “いい風”が来るまで、時間がかかることもある(というか、そもそも不定期である)ので、この掃除法をとると、大体1時間以上はかかる。ハタキ片手に本を読みながら、来たな、と感じたら、ハタキをかける..

 電気を使わない、エコロジカルな掃除法である。おおいに参考にしていただきたい。(「掃除機を出すのが面倒だ」、などという真実の一面は、取るに足らない些事である。)屋内の埃が出ていった分、屋外の埃が入って来ているはずなのだが、それはそれ。

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*1999年02月14日:「天狗」


 久々に、浜松駅前の居酒屋「天狗」。この店には、滅多に来ない。

 「天狗」は全国チェーン店である。「天狗」=「やかましい」「客層が若い(若すぎる)」店、として認識している(していた)のだが、どういうわけだが、この浜松の店は、「アダルト」とまでは言わないが、立地条件のせいか勤め帰りのサラリーマンが多く、妙に静かで落ち着いた雰囲気がある。

 BGMが無いからだ。今夜、初めて気がついた。

 ついでにもうひとつ気がついた。私が知っていた、他の地方の「天狗」というのは、実は全て「渋谷」の店であったのだ。「若いサラリーマンと学生ども」の「滅茶苦茶な騒がしさ」、というのは、「天狗」の特性ではなく、「渋谷」の特性だったようだ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 17 1999 
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