*1997年05月26日:白茶けた月曜日
*1997年05月27日:「聖アントニウスの誘惑」
*1997年05月28日:毎週火曜は半徹夜
*1997年05月29日:筒井康隆の顔文字について
*1997年05月30日:ヒョウタンツギタイムス/タイガーランド/アバンチュール21/黄金のトランク/ロップ君/ボンゴ/レオちゃん/ジャングル大帝(小学一年生版)等、調査
*1997年05月31日:データのミスを見落としていた理由
*1997年06月01日:FreeBSD に色目を使う
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*1997年05月26日:白茶けた月曜日


 午前半休を取って、さる医院へ行く。(何科の医者にかかったのかは、秘密である。)存外早く診療が終わったので、銀行、郵便局、デパート等を巡回して、各種所要を片づけるが、改めて感じ入ったのが、本年中に浜松から撤退する西武デパートの寂れかた。

 見るも無残なものである。月曜日の午前中というのは、どんなデパートでも客が入らない時間帯かも知れないが、それにしても、かなりの面積のある各フロアに、客は高々一桁で、下手をすると見渡す限りひとりもいない。(店員は、30人以上いる。)これで採算が取れるわけがない。

 午後から出社。昨日の事故現場を通り過ぎるが、二輪車だけ倒れたまま放置。どうなってんの?

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*1997年05月27日:「聖アントニウスの誘惑」


 5月10日に、紀伊國屋のページで、「聖アントニウスの誘惑」(北嶋廣敏、雪華社)を発注していたのだが、これが入荷したので発送した、というメールが届き、仰天。これは完全に“ダメモト”の注文だったのである。

 これは西洋幻想美術史上、重要なテーマ(画題)である「聖アントニウスの誘惑」についての書物であり、これを国会図書館で発見して閲覧したのは、何年前であろうか? 他の調査の合間をぬって拾い読みしただけだったのだが、基本図書として手元に常備する必要を感じて、直ちに注文したものの、既に版元品切れであったのだ。こんなオタクな本が再版されるとも思えず、古書店巡りや、古書カタログに目を通す時など、ずっと気にかけていたのだが、ついぞお目にかかれなかった書籍なのである。

 紀伊國屋のページで、何の気なしにこれを検索してみたら、まだ絶版扱いにはなっていなかったので、一応発注してみたのである。2週間たっても音沙汰なしなので、落胆もせずに忘れていたのだが..増刷されたのだろうか?

 おぉ、帰宅したら、もう届いてる! 奥付けを確認したら、これは84年の初版。流通在庫か返本に、うまいことヒットしたらしい。こういうことがあるから、諦めてはいかんのだ。いずれにせよ、読む時間が取れるのは、だいぶ先になってしまうが..

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*1997年05月28日:毎週火曜は半徹夜


 この日記は、毎週、火曜日の晩に更新しているのだが、昨夜は帰宅も遅く、本当にグロッキー状態で、まだ半分も原稿をまとめられないうちに1時。起きていられる状態ではなかったので、やむを得ず目覚し時計をかけて仮眠を取り、4時に飛び起きて、出社直前の7時までかかって、今週も無事に更新をすませる。

 実際、仕事がたてこんでくると、土日も深夜も関係なしに、ベターっと、仕事に埋め尽くされる日が続く。そういうこと(仕事)とは無関係に、一週間単位の周期的なリズムに、否応無しに乗らざるを得ないのは、(それがどんなにしんどくても)健全な生活と言えば言えるだろう。(← 自分に言い聞かせている。[;^J^])

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*1997年05月29日:筒井康隆の顔文字について


 今日の夕刻になって、ようやく、事故現場から(もはやオブジェと化していた)バイクの残骸が、片づけられた。

 ボイトレのあと、洋風居酒屋R。やはりここの料理は美味い。なんだかんだで5000円越えてしまう日が多いのは痛いが。

 既に断筆を解除した筒井康隆だが、氏がパソコン通信やインターネットで活躍を続けていたのは、皆さんご存知の通り。先日、その筒井康隆のページというか、彼が主催していた(ニフで言うところの)会議室のログのようなものを、ネットワーク上のどこかで見た。(今、探したら見つからないのだが。)そこでは筒井康隆も(有名なハンドルネーム、笑犬楼(だったかな?)名義で)発言しているのだが、氏も“顔文字”を使っており、それが

(^_^)

なのである。

 強烈な違和感。いや、別に筒井康隆が“標準アイコン”を使ってはいかん、とは言わないが、やはり

[ "]

ではないだろうか?(山藤章二風。)

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*1997年05月30日:ヒョウタンツギタイムス/タイガーランド/アバンチュール21/黄金のトランク/ロップ君/ボンゴ/レオちゃん/ジャングル大帝(小学一年生版)等、調査


 有休をとって、国会図書館へ。本当は仕事の上では、休暇を取っている場合ではないのだが、このままでは次に行くチャンスは7月中旬か、下手すると夏休みまで無い。今ならまだ、部下・同僚に(さほど)迷惑をかけずに、1日の休みを取れる。(その代わり、明日も明後日も出勤である。)

 まず、ヒョウタンツギタイムスの残り全巻をチェック。このファンクラブ会誌には、初期・中期のレアな作品が多数復刻されており、実に貴重な情報源なのである。レアな作品でなくても、初出の雑誌掲載の状態と単行本に収録されてからの状態が異なっていることが少なくないので、それの調査・照合のためにも、有用なのだ。

 これの第21号から第23号にかけて「手塚治虫漫画家生活40周年記念特集」が組まれており、各界からのメッセージが寄せられているのだが、第22号(85年2月1日発行)の「パート2」に、吾妻ひでおからのイラスト付きメッセージを発見した。

「手塚先生、40周年おめでとうございます。
 40年もの間、一線で漫画を描き続けるのは
 まさに驚嘆すべきことだと思います。
 わたしはもうダメです。さようなら。」

 ..[;^J^] この時点で、吾妻ひでおは連載を5本抱えていたが(「幕の内デスマッチ!!」「ななこSOS」「ひでおと素子の愛の交換日記」「輪舞」「ときめきアリス」)、4ヶ月後に、その全てを落として潰れることを、これを読んでも誰にも予想できなかったのだろうか? 没落直前の吾妻ひでおの、貴重な肉声証言である。早速、「吾妻ひでお 著作リスト」に登録する。

 吾妻関連で、以前から気になって仕方がなかった「ナマズン」の初出誌調べを(少しだけ)する。この作品は、初出誌・初出年月日不明なのである。

 1973年の(それも恐らく前半の)「冒険王」ではないか?と思われるフシがあったのだが、数年前にそこで調査が止まってしまっており、止めた理由の記録が残っていない。私の性格から考えて、追い込める要素があれば、調査の手を止めるはずがない。今日、改めて「冒険王」を閲覧請求して、得心がいった。この年の「冒険王」は、7、8、10、11、12月号しか蔵書が無いのである。そしてこれらには掲載されていなかった。今日は現代マンガ図書館は休館日なので調査できないが、確かこの時代の「冒険王」の蔵書は、無かったのではないか、と記憶する。なるほど、ここで行き詰まっていたわけか。

 アニメのコミカライズ作品であり、そちら方面からの切り込み方もあろう。今日はこれ以上、時間を取れない。この件の調査は、後日に回す。

 手塚治虫に立ち戻り、「小学二年生」の81年12月号を閲覧して、思わず天を(天井を)仰ぐ。やられた! 「鉄腕アトム(小学二年生版)」の最終回(「富士山の決闘の巻」)が掲載されている! これは全集の初出データでは、81年11月号に掲載、とされていたものなのである。

 「小学二年生版」の連載は81年11月号まで、という全集のデータを、特に疑問を差しはさむこともなく採用してきたのであるが、「まんだらけ」のカタログで、81年12月号の掲載作品中に「鉄腕アトム」があるのを発見して、このカタログの記載ミスか、さもなくば12月号に掲載された(本来の)最終回が、全集収録時にカットされたのだろう、と予想して、この12月号を閲覧したのだ。全集の初出データのミスプリであったか。

 恐らく、休載があったのだ。全集の編集者はそのことに気がつかずに、初出データを前詰めにしてしまったのだろう。うーん、これで「小学二年生版」の初出データは(最終回を除いて)全部、信用出来ない状態になった。(前記の予想から、今日は全集のこの巻を持ってこなかったので、照合調査が出来ない。)“初出年月未詳”クラスに格下げするほどのこともないので(というのは、エピソードの順番の差し替えを行っている、と考える理由はなく、最大でも1ヶ月しかずれていないと予想されるから)、取り敢えず初出年月に "?" をつけてしのぐが、最優先調査事項である。この件は、7月にケリをつける。

 新聞連載をビシバシチェックする。「タイガーランド」「アバンチュール21」「黄金のトランク」。

 小学館の学年誌に移り「ロップ君」「ボンゴ(小学一年生版)」「レオちゃん」。

 実はこのあたりの調査の“本命”は、「ジャングル大帝(小学一年生版)」と「ジャングル大帝(小学三年生版)」なのである。この、ジャングル大帝の児童向けリライト版は、ご覧の通り、初出データがいささかややこしいのだ。(他に、全集未収録エピソード群もある。)複数の学年誌に、同時に連載していたからである。毎月各誌に別々の原稿を渡していたという訳でもなく、年齢層でグルーピングして、複数の雑誌で同一内容の連載が進行していたらしい。そのせいで、どの資料を読んでも、いまひとつ実状がクリアでない。結局は、この時代のこれらの学年誌を、全部自分で読まなければ、本当のところは判らない。今日、取り敢えず「ロップ君」「ボンゴ(小学一年生版)」「レオちゃん」を片づけたのは、いっとうややこしい、1965年から1966年にかけての各誌同時連載に先行する、他の連載作品群の連載期間をクリアにして、不確定要素を減らしておこう、という心積もりからであった。

 幸い、これらは描き直しもエピソードの入れ替えもなく、欠号もほとんど無かったので、調査はサクサク快調に進み、「ジャングル大帝(小学一年生版)」にも、一部食い込めた。次回の調査で、ジャングル大帝・学年誌版を、全部片づける予定である。

 閉館後は神保町へ。中野書店で、鉄腕アトムのカッパコミクス版の売価をメモする。かつてはかなり高かったカッパコミクスだが、最近はなぜか相場が軟化し、1000円もだせば、まずまずの状態のものが入手出来るようになってきた。2000円なら美本に近い。800円でも問題はない。さすがに(この店では)500円になると、結構、難ありである。背表紙が半分取れていたり、とか。

 数年前に、中野のまんだらけで32冊の全巻セット(別巻2冊が含まれていたか否か、記憶が定かでない)が、7万円で出たことがある。昨年末には、3軒茶屋の2階のマンガ屋で、別冊を含むコンプリートセットが40万円で出、これの抽選の応募者が42人。もはや青天井状態かと思っていたら、大阪のまんだらけで、美本のセットが10万円で出たという情報が。相場というのはそういうものなのだろうが、こうも荒れていては、美本・コンプリート物には、恐くて手が出せない。バラなら1冊1000円なのである。(バラで買い集めてコンプリートにするのは、非常に難しいとは思うが。)

 それに、ことこのシリーズに関しては、私はなぜか、美本が欲しいとは思わない。私は元来美本指向で、雑誌を買うときも文庫本を買うときも、必ず数冊を見比べて、もっとも美しい物を買う。SFマガジンの場合、不用意に表紙を開くと折れてしまうので、ペーパーナイフを使って、表紙の付け根の糊を丁寧に“開封”する。(← 状況が判りにくいとは思うが、説明もしにくいのだ。)なのに、カッパコミクスについてだけは、美本が欲しいとは思わないのだ。むしろ逆に、3000円以上のツルツルの美本(よくも今まで、この状態で保存してこれたものだと、感服する)を手にとって見ると、そのあまりのよそよそしさに、非常な違和感を感じるのである。

 これはつまり“ノスタルジア”のせいなのだ。幼き日々にカッパコミクスを、破くわクレヨンで落書きしまくるわ、と、散々に痛めつけてきた私は、カッパコミクスの“美本”など、見た記憶が無いのであった。[;^J^]

 という訳で、カッパコミクス版鉄腕アトムを、バラで買い集め直そうと思っているのだ。(確か毎号、超豪華メンバーの執筆陣が、ショートショートを載せていたりするなど、本編のマンガ以外にも、付加価値の高いシリーズだったと記憶する。)そこで取り敢えず、主要古書店での相場のチェックから始めた次第。3軒茶屋の2階のマンガ屋と、まんだらけ渋谷店&中野店にも寄るつもりだったが、疲れていたので、それらはパス。高岡、グランデ、三省堂、八重洲ブックセンターと回り、色々しこたま買込んで(疲れていたんじゃなかったんか? [;^J^])、八重洲地下街のやきとり屋でビールをがぶ飲みしてから、浜松へ戻る。

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*1997年05月31日:データのミスを見落としていた理由


 「鉄腕アトム(小学二年生版)」の、全集の初出データが誤っていた件だが、その他の従来資料を調べ直してみたところ、「手塚治虫の軌跡」でも「手塚治虫物語」でも、81年12月号まで、と正しく明記されている。参った。完全な見落としである。

 見落とした理由について、分析しておく。これは文献調査の際の“盲点”に、ものの見事に(実に鮮やかに)はまってしまった事例だからだ。

 全集の(誤った)データを信じてしまった(というより、十分に疑わなかった)第一の理由は、“それが詳細だった”からである。全部まとめて「何号から何号まで」と記されている場合は、疑うより何より“内訳が判らない”ので、これは調べざるを得ないのだが、今回のように各エピソード毎に初出号が明記されている場合は、いきなり疑ってかかるのは難しい。データがこのように詳細であっても、誤りが含まれていた事例(例えば「ミッドナイト」)は、あったのだが..

 第二の理由。これは(この場合は)全集側ではなく、「手塚治虫の軌跡」「手塚治虫物語」などの、従来のリストの見方の問題だが、これらには、正しいデータが“期間表記で”記されていたのに、なぜ、それらと全集の初出データとの矛盾に気づかなかったのか? それは、不一致箇所が、連載期間の範囲表記の“終点”にあったからである。こういうデータ型の場合、始点にはかなりの注意力が注がれるのだが、終点に対しては相対的に意識が“浅く”なる。つまり、連載の開始号に対しては、非常にセンシティブなのだが、終了号の扱いが、ぞんざいになりやすいのである。これは、私だけの問題でもなさそうだ。実際、複数の資料の間で矛盾が発生する時、多くは、この(連載などの)期間の“終点”で起こっているのである。

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*1997年06月01日:FreeBSD に色目を使う


 突然、FreeBSD を導入したくなった。

 理由は単純で、ある意味では情けないものだ。苦労せずともインストール出来そうな情勢になってきたからである。翔泳社から、非常に良い参考書が出版されるらしい。ノートブックへの導入に、かなりのページを割いており、しかも著者(のひとり)は、開発環境がリブ30だと言う。これは買うしかない。

 しかしこの本は、浜松市内の主たる書店を、休日出勤中の会社から抜け出して車で走り回って探しても見つからない。ま、仕方がないか。今日発売の本なのである。浜松にはまだ、入ってきていないのかも知れない。

 仕方がないので、他の FreeBSD 本を立ち読みしてみたが、ふむふむ、なんということもない、普通のUNIXではないか。(当たり前の話だが。)こう見えても、数年前までは、SunOSの管理者だったのだ。錆付いているとは言え、腕にはおぼえがある。ますます導入したくなる。

 街中に出たついでに、晩飯を居酒屋Eで。この店の、酒をグラスからなみなみと溢れさせて、グラス受けの小皿も一杯になるまで注ぐ流儀について、やはり気になったので尋ねてみた。これは飲むものなのかどうか、と。グラスに注ぎ戻して、全部飲むものらしい。いや、安心した。飲まずに捨てるのが正式な“作法”だったら、この店に来るのは、もうやめようかと思っていたところだ。(バブルの頃には、そんな愚かな店や作法があったかも知れないし、今だって、わかったもんじゃないが。)

 しかしそういうことなら、最初からもう一回り大きいグラスを用意すればいいのに。グラスの外側が酒で濡れてしまうので、いちいち指先を丁寧に拭き取らないと、キーボードが汚れてしまうのである。(するなよ。[;^J^])

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 5 1997 
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