手塚治虫エッセイ集 4

*未来への小包

 タイム・カプセルについて。三千年も昔のピラミッドの遺品を見ても、現代の形と驚くほど似ており、むしろ、より芸術的、実用的なこともある。とすると、三千年後の子孫が我々のタイム・カプセルの内容を取り出したときも、案外同じような驚嘆の念をもって見られるかも知れない。

 このあと、人工臓器、寿命の延長、人工受精、人類のミュータント化、について、1960年代ならではの“バラ色の”展望が展開されるが、最終段で、

「しかし、これらの大事件は、残念ながらよほどの外的条件が加わらないかぎり、実現不可能のような気がする … 平穏無事な人生を送れる時代に、なんの大革命の必要があるだろうか?」

と、クールに押えるところは、さすがである。

*鉄腕アトムと超特急

 新幹線試乗記。1964年には、夢の超特急だったのだ。ほとんどロボット装置で操作されることに目を丸くしている。

「たしかに、窓から見るとまだ荷車なんかがガタゴトすれちがうような日本には、場違いなぜいたくかもしれない」
*二十一世紀の夢

 文字どおりばら色の宇宙時代を、おおらかに夢想している。

「いまのところ隘路はエネルギー問題と、人間の食糧と時間だけだ」
*アポロに思う

 月着陸時に、しみじみとした興奮にひたれるのは、童謡や民謡で月を愛でてきた世代までだろう、という感慨と、「静かの海」の索漠とした空しさへの感慨。そして、世界情勢は錯綜を極め、あらゆる問題が噴出しているのに、その当事者連中が手のひらを返したように、人類の宇宙進出をこぞって祝福することの、マンガっぽさを思う。

*月をめぐる幻想

 月をめぐるイメージが、科学の進歩でどんどん現実的に、そして貧困になってきたことは、一面、やむを得ない。しかし、現代には現代の幻想がある。1.生命が現存するか。2.過去の生命の遺跡が存在するか。3.(地球を含めて)他の天体から飛来した生命が存在するか。

 月への第一歩の映像を見て、一番無感動なのは、子どもたちだろう。しかし、子どもたちは子どもたちなりの、月の神話、月の伝説を作ってゆくだろう。そこには、天女も月の都も登場しないだろうが。

 人間の(人間の子どもたちの)想像力への讃歌。

*私と万国博

 お祭り騒ぎに徹すれば良い。ニューヨーク博やモントリオール博で、どうにも見本市的な日本パビリオンを出してしまった反省を生かして、今回は、芸術的な見世物に仕立てたパビリオンが多いらしいが、外してはいないだろうか?という指摘。

 プランナーやアイデアマンが不足しているのではなく、生かす術を知らなさ過ぎるのだ。

「ぼくもいくつかのアイデアを、ほとんど奉仕のかたちでもっていかれてしまったが、仲間と、もう二度と縁の下の力持ちはするまいと誓ったくらいだ」

とのこと。

*アンドロイド“鉄腕アトム”の未来学

 万博で、作者がプロデューサーとなって、フジパンロボット館をはじめとして「子どもだまし的な、チャチな」ロボットを展示したことを、怒られているという。なんと、1970年当時の日本人(に限らないだろうが)には、アトムのようなロボットは、もうすぐ出来ると思っていた人が、少なくなかったらしいのである。無知をわらうのは、たやすいが..アポロが月に降りた時も、月と火星とどちらが遠いのか、という質問が(誰へだか忘れたが)多数寄せられたという。平均的日本人が、特に無知とも思えない。こういうものか。

「SFやマンガの世界でアトムのような純機械人間が活躍するのは、ぼくはあくまで二十世紀的なお伽話として扱ってよいと思う」
*産業用ロボットと鉄腕アトム

 「青騎士」で読者にひどく失望されたと言うが、私(倉田)は面白く読んだけどねぇ。「青騎士」「アトム復活」「メラニン一族」と続く、“人間の敵・アトム”シリーズは、それなりにスケール雄大で、胸踊る展開であったと思うのだ。

「当時の読者の何人かにそのエピソードの印象を思いだして語ってもらった。『アトムが急に怪物化してむやみに怖くなった』という声が多かった」

ということだが、私の印象・記憶とは、全く異なる。

「私は『鉄腕アトム』や、その他もろもろのロボットマンガをずいぶんたくさん描いてきた。それらを描く発想は、なにも現在日本が迎えようとしている、ロボット王国へのアプローチではない。単純にいえばピノキオの寓話のバリエーションにすぎない。(中略)あくまでも人間賛美のファンタスティカリティなのだ」
*鉄腕アトムができる日

 アトムの未来予測は、かなり当たっているが、その理由をきかれると恥ずかしい、なにしろほとんどあてずっぽうなのだ、とのこと。

「ましてやロボットなんか一億もの人口を抱える日本で人間代用の作業をさせることなど実際にあり得ない状況だったのだ」

 そして、日本でロボット産業が進んだ理由は、日本的な思想にあっているからだろう、と、考えている。以下、少し長くなるが、重要なので最後まで引用する。

「つまり、日本人は古代から山川草木に人格を認め、それらを人間と同格に愛してきた民族だ。だから、自然のいろんなものを擬人化した民話伝説が多いし、鳥の声やせせらぎの音と対話ができたのである。
 別のことばでいえば、これほどアニミズムに大きなかかわりをもちながら文明の進んだ国はない。信心や宗教意識をほとんどもたない若い人たちでも、無生物や自然の中に“霊”を感じている人が多いのだ。愛車に話しかけたり、機械に愛称をつけて可愛がったりといった習慣は、その奥にアニミズムとの強いきずなが存在しているからこそだと思う。
 そこで、ロボットが“いのちをもたぬカラクリ人形”だと知りつつ、そこに人格や“霊”を認める、という結果を生んだのではなかろうか。
 科学合理主義と、アニミズムとの共存は、西欧人には理解しがたい思想である。だからこそ日本人はすんなりロボットを受け入れた。そのことが外国人記者には謎に見える。
 おそらく、アトム的ロボットと共存せねばならなくなった未来社会にあっても、日本人はその難問題をあっさりと解決するだろう、そういった資質を十分もっているような気がする」
*懐かしい虫たち

 珍しい蝶や、カブトムシの雌雄型を獲った追憶。いずれはこれらの昆虫も、昔語りになってしまう日がくるだろう..

*オオムラサキのことなど

 少年時代に、蝶をはじめとして数多くの虫を殺してきたことへの悔い..しかし実際には、乱獲よりも、農薬の普及と伐採の方が、影響が大きいのだ。

「人間の狩猟本能は、少年時代の虫採りを含めて仕方がなかろう。
 問題はつまり、それと直接結びつかぬ次元で、そういう生きものたちがどんどん追いやられ死に絶えつつあることを、地域社会の利害関係の中で考えてくれるだろうかということだ」
*レザリアムとぼくの作品

 プラネタリウム狂い→天文学マニア→SFマンガ家、という軌跡を辿って来た。そのプラネタリウムの進化形であるレザリアムのショーに、「火の鳥」のイメージがぴったりだとして取り上げられるのは、だから当然の帰結なのである。

「たいへん独善的でSF的偏見にみちたぼくの宇宙観は、内宇宙も外宇宙も、時間も空間も生命もひとつの機構に統合される。
 それはある定理に従って運行し、緻密にからみあって大自然をかたちづくる。その定理をさして人は創造者といい、神とあがめる」

 もっとも、この、火の鳥のテーマにしても、あくまでもマンガ的発想なのだから、まじめに考えずに、ああ面白かった、と言ってくれれば幸いである。レザリアムも同じだ。

「−−ああ、すばらしかった。
 それだけで十分なのであり、それが、また、いちばん貴重な体験なのだ」
*人ごとでない話

 高齢化社会に対する不安。

「医療は、充実した有限の人生を送るためのプロテクターだ、という観念に変わるだろう」
*介護ロボット販売競争が始まる
「各国でコンピュータを軍事機器の開発に向けることが最優先されるけれども、平和を維持できる日本では、おそらく先端技術の21世紀への当面の目標は、老人介護ロボットということになるのではないか」
「安く、安全で、実用的な介護ロボットの開発を争うのは、自動車メーカーの貿易摩擦なんかよりずっとありがたいことである」
*タンクロー型住宅

 未来の住居は、タンクロー型になる? 究極のパーソナルスペースなのだ。夢か悪夢かは、わからないが。[;^J^]

*2001年ウサギ小屋

 世界最高水準のウサギ小屋を作れるのは、日本だけである。

「たとえば、大型の車が小型車にとってかわられたように、日本はいち早くコンパクト住居の開発を進めて、だだっ広い欧米型住宅をリードしていくに違いない」
*二十一世紀の前夜祭

 科学万博へ向けてのメッセージ。大阪万博とのあまりの違い。展示内容も、万博を取り巻く科学と社会の状況も..

*双方向システムとその実用性

 科学万博ネタ。C&Cシアターは、こんにちで言うシミュレーションゲームというよりは、RPGに近いもののようである。これは教育に用いると、絶大な威力を発揮するであろう、という手塚治虫の読みは確かであるが、

「しかし、このシステムが高度で複雑な展開を必要とすればするほど、用意されるプログラムは膨大な量となり、ソフトの点できわめて高価なものについてしまうことは否めない。作家や脚本家が仮にこのシステムを使って創作(といっても単に意表をついたストーリー展開をねらったものになるであろうが)をものにしたとしても、それに要する経費は、残念ながら個人の財力ではとうてい賄いきれない金額であろう。したがってソフトを含めたこのシステムの利用は当分のあいだは限られた分野の機関になるだろう」

という予想は、半分当たり、半分外れである。まともな(大規模な)“創作”に、億単位の金がかかる、という点ではその通りだが、その巨費が投じられている分野が、やはりゲームである、というところまで見通せていただろうか?

*2001年の正月
「(『鉄腕アトム』で描いたように)既成文化と先端技術が調和よく併存する社会こそ、めざす未来社会でなければならないと思う」
*マイナスの未来予測

 クローニングや遺伝子組み換え技術の着実な進歩について述べたのち、これらに伴うさまざまな問題を見極め、マイナスの未来予測をし、対処すべきである、と提言している。

*土星の輪

 ボーンステルの宇宙画も、いまや色褪せてきた。画伯はなおも、ボエジャーからの新情報を絵にすることに意欲満々だが、

「しかし、それすらもいずれ古色蒼然となり一切が塗りかえられるだろう。人類の英知をもってしても、この塗りかえは永久に続くものと思われる」

 手塚治虫の、この発想は、逆ではないだろうか? 人類の英知があればこそ、知識の塗りかえは永久に続くのである。

*未知との不遭遇

 宇宙は悠久で広大である。宇宙人と出会うチャンスは、万にひとつもあるまい..手塚治虫はこのように、「マンガ的発想(ここでは宇宙人とのコンタクト)」の現実性については、しばしば極めて醒めた感覚を持っている。宇宙人と簡単に出会えてしまうような“小さな宇宙”よりは、宇宙人同士、何万年かかっても、お互いに探し出せないほどの宇宙の“広大さ”に、より大きな夢とロマンを感じているのだ。

*この小さな地球の上で

 ナスカの地上絵よりも、その周辺の大地に無数に刻まれた、幾何学的な壮大な直線群に目をみはって、ここに人類の偉大さと可能性を見、イースター島の絶滅のあとの廃虚に、人類の愚かさを見る。

 この、脆くて壊れやすい地球の上では、人間も他の生物もなんの差もなく、等しく運命共同体だ。

「空襲で大勢の人間の死体が散乱している中に、牛や犬の死体もあって、人間の死体といっしょくたに燃えていた光景が、いまでも目に浮かぶ。彼らはわけも知らずに人間の殺しあいのまきぞえを食ったのだ」

 作者の生命観・倫理観を端的に吐露した、短いが重要なエッセイ。

*地球の新品

 ほんの少し前まで、人間は地球の資源が有限であるということに気づかず、資源の豪勢な浪費こそ文明国の特権であると考えていた。(これは本当である。私(倉田)は、1970年前後の「少年朝日年鑑」に、「パルプの消費量が文化のバロメーターとされていますが、日本はこの点では、欧米諸国に比べてまだまだです」というような記述があったことを、いまだに憶えている。)また、いつかは不老不死(に近いもの)を獲得したい(獲得できる)と、夢見ていた。

「限られた天命で限られた資源を使わねばならぬ人生を明示されたとき、人間ははじめて漠然とした『生き甲斐』について真剣に考えねばならなかった」
*未来へ

 世紀末の混乱と退廃。19世紀末も20世紀末も。しかし「宇宙開発」と「医学による延命の限界」がブレイクスルーとなって、人間は、生命を有意義なものにするために、真剣に努力を払うであろう..

 1960年代ではない。1985年のエッセイである。手塚治虫が最晩年まで、この青臭いとしか言いようの無い理想主義を捨てなかったことに、感動する。

*これからの旅行界

 マンガや映画やSFで描かれた、さまざまな荒唐無稽な旅行。ミクロの決死圏、地球貫通鉄道、テレポート。やはり普通の旅がいい、と、作者。

*旅で決まる運・不運!

 作者のジンクス。正月旅行の雰囲気の如何で、その年の仕事の運が決まってしまう。

*アトムといっしょにヨーロッパ旅行

 ヨーロッパ人は水を飲まない..のは、いいとして、風呂が嫌い。10日間くらい平気で風呂に入らないから、夏場は男も女も臭い。だから香水が発達するのだ。国が変わると、トイレもさまざま..などなど、まだ海外旅行にすれていない、素直な感性でレポートされている。

*ボクの旅行記1

 “食”の話題。アメリカでは何もかも不味く、しかも量が多い。その上、残すと嫌な顔をする。美味いのは、海老、牡蠣、川鱒など、自然のままの料理。要するに、アメリカ人は調理したり味付けしたりしては、いかんのだ。

*ボクの旅行記2

 チップに戸惑う話。英語が通じなくて苦労する話。アメリカやイギリスでは向うの英語が達者で、ちっとも通じない。ドイツやフランスでは、片言どうしなので通じる。

*ボクの旅行記3

 ハリウッドに、ディズニーの撮影所を訪れた時の、エピソード。往年の、長編マンガアニメの総本山的イメージは、もはやない。

*ニューヨーク博見てある記

 アメリカ人は“見世物”を作って“楽しませる”のがうまい。フォード館、ゼネラル・モーター館、IBM館。そこへ行くと日本館は、展示品は群を抜いて立派なのだが、ただ並べているだけなのは、いただけない。

*鉄腕アトムのカナダ万国博見物

 未来の集合住宅、映画と芝居のハイブリッドショーなどを、イラストマンガで紹介。日本館は、アメリカ館と並んで、もっともつまらない、と、地元新聞に評されていた由。所詮はお祭りなんだから、展示品を並べるだけでは..

*モントリオール万国博

 マンガ家仲間と見学に。女しか目に入らない富永一朗を馬鹿にするが、帰ってきてみたら、手塚治虫も女のことしか憶えていない。漫画サンデー掲載の、1頁マンガ。

*酒中日記 阿呆失格

 漫画集団の、阿波踊り旅行記。

*漫画集団の旅行

 漫画集団は、毎年夏に団体旅行をしている。これがいちばんの楽しみなのだ。1回目のヨーロッパ旅行以降は、日本各地の夏祭り巡り。北海道のカッパ祭り、徳島の阿波踊り、高知のよさこい祭り、そして今年は山形の花笠祭り。なにもかも忘れて、遊びほうけ、踊りほうける心地よさ。

*快食快眠快便 アルプスの和風トイレ

 便秘で長トイレ。洋式トイレは嫌い。アルプスでは和式だったので感激した。こんなに寒いところでは、冷え切った便器に尻を乗せていられないからだろう。

*味覚採点 ゲテモノ食い

 ゲテモノ食いの経験さまざま。カイコの蛹はカロリー満天の栄養源としてひところ貴重だったが、それの代わりに他の蛾の蛹を仲間たちと食った時、ひとりがかじった蛹は、既に中で蛾になっていた。

*食べる話

 今(1974年)と異なり、ほんの14〜5年前まで、ロサンゼルス、ハワイ、ローマなどを別にすれば、外国ではおよそ日本語、日本文字にありつけなかった。ヨーロッパや南米の田舎に行くと英語すら通じず、こうなるとむしろ、一切を日本語で通した方が便利である。マンガ家には筆談ならぬイラスト談という手もある。

 ニューヨークで驚くのは、十何年も市内に住んでいるくせに英語をほとんどしゃべれない人間が多いことと、食事がまずいこと。しかも残すとイヤミを言われる。その他、各地での思い出話。

*鬼瓦の味

 ドイツやイタリアの町並みは、綺麗に調和が取れていて、ブロックごとに色も形も統一されている。パリで面白いのは、一見規格品のはめこみのように見える手すりに、実はひとつひとつ個性的なデザインがほどこされていて、ひとつたりとも同じものがないこと。

 日本にも、こういう文化はある。鬼瓦である。これも、ひとつたりとも同じものがない芸術品である。

 町並みを乱す、凝りに凝った珍奇なデザインの住宅よりも、一見地味でも、細かい部分に趣向を凝らす、パリの手すりや、鬼瓦のような工夫が、奥床しく味わい深いのではないだろうか。それもままならぬ団地住まいであれば、窓辺に花を飾ってみては?

*もうひとつのサービス

 客に対するサービスは、スカイラウンジや売店や、客室にカラーテレビを入れることばかりではあるまい。例えば夜半に食事のできること。また、静電気が発生していることをエレベーター・ボーイが注意してくれることがあるが、こういうきめ細かいサービスが嬉しい。海外のホテルは、サービス精神が雑で、無愛想なことが多い。

*イースター島は世界のヘソだ

 イースター島旅行記。手塚治虫はデニケン説(宇宙人説)を採っているような表現をしているが、実は頭から信じている訳ではない。「三つ目がとおる」でも明らかなように、デニケンらの仮説(あれは仮説ではなく、決め付けか…)を大々的に採用しているが、面白いマンガを描くためには、面白い考え方はなんでも取り入れるのだ、という姿勢なのである。

 絶海の孤島と、その上で営まれている人々の生活のレポートは、非常に魅力的である。

*ナスカは宇宙人基地ではない

 ナスカの地上絵を描いたのは、インディオである。あれが宇宙人の仕業だというのは、白人によるでっちあげだ。白人は、キリスト教文明の及ばぬ遺跡を発見したときは、それは宇宙人が造ったものだということにしてしまいたいのだ..という主張の紹介。手塚治虫も、これを受け入れている由。

 エッセイの全体は、古代を舞台とするフィクションを組み合わせて“円環状”に構成されているが、この仕掛けは“全く”効果的でない。素直に書けばいいのに。[;^J^]

*アンデスの不可思議

 マチュ・ピチュの謎。宇宙の謎とロマンが失われていく今、地球上に、未知なるものが残ることへの感謝。

*アマゾンの日系一世たち

 日系日本人は、何十年ブラジルに住んでいても“日本人”であるらしい。確立された日本人社会の中に孤立して、インディオに対して、大変な差別意識を持っている由。

*中国往来

 中国人は(欧米で人気上昇中の)醤油などには興味を示さない。生ものを食べる習慣がないので、刺身や寿司も喜ばない。どうしても一度は食べてみたいと執着するのは、何故か、新幹線の折り詰め弁当らしい。世にも不思議な割り箸と、配列の美しさの神秘故?

*旅と酒

 海外旅行では、酒の上での失敗を繰り返しているそうな。

*日記から

土砂降り

 ロサンゼルスでは、大雨が降ると道路が川になる。排水の配慮がされていないからだ。体験したことのない事態への対策とは、かように難しいものなのである。遺伝子工学への一連の試みについても..

赤黄黒白

 ヨーロッパの地方都市は、概してグレーやセピア調で、いかにも地味である。だからこそ、鮮やかな色彩のポスターや観光客が引き立つ。日本では、派手な原色系の装飾が多い。これは中国の影響かも知れないが、おかげで派手な宣伝ポスターも、さっぱり目立たない。

十一人目

 カイロで雇ったガイドが、妾を10人持っていて、その地に来ていた銀座のママを11人目にしようとして(当然ながら)断られ、そのことで腹を立て..という経験談。カルチャー・ギャップとは、かくのごとし。

北京空港

 北京空港での体験。最後の便の乗客だったのだが、エプロンを通り抜けるとエプロンの、税関を通り抜けると税関の、そして空港を出ると空港の照明が、消えてしまうのである。エネルギーを無駄遣いしている日本の世相への反省。

ピカソの壺

 マドリードのプラド美術館で、あわやピカソの壺を壊しかけた経験談。

立ち往生

 メキシコはユカタン半島の、チチェン・イツァの遺跡のピラミッドの頂上に登ったはいいが、高所恐怖症なので、そのあまりの急勾配に足がすくみ、降りられなくなった。観光客が減ってから、ぶざまに這うようにして石段を降りた。この臆病さで、あの戦争を生き延びたのである。

兎小屋

 カナダなどでは、未来の高層住宅のプランを立てる時にも、各室は可能な限り広く、と考える。日本とは異なる、大陸的な発想であろうか。中・小型車で世界を席捲した日本の誇る兎小屋住宅こそ、未来の過密都市のソリューションであろう。

腕白坊主

 マチュピチュ遺跡の近くにすむインディオの子どもたちは、スイッチバック式の道路を降りるバスを、急斜面を直線コースで駆け下りて先回りして、観光客のウケを取り、小遣いをせしめる。かつては日本の腕白坊主も、そういうたくましさを持っていたものだが..

村の名所

 アウトバーンに沿った、小さな村。その村の名所は、しっくいの壁に撃ち込まれた、無数の砲弾や銃弾の跡であった。

マーフィーの法則

 マーフィーの法則の紹介である。今では誰もが知っているのだが、1983年当時には、目新しいものであったらしい。

著作権

 韓国では、今(1983年)でも著作権が確立していない。アジア各国も同様。日本でも数十年前までは同じだった。著作権は、さらに強くなって欲しい。

異邦人

 「外人」という言葉には、意識下の差別感場がありはしないか。もっと親しさにあふれた適切な新造語は作れないものか。

*上海とクスコで

 上海にもクスコにも、まともな文具店がなくて、苦労した。やはり日本は超一級。とはいえ最近、しっかりした文具店の数は、急速に減っている..

*スペースシャトルの思い出

 ほんの7〜8年前(1987年のエッセイだから、1980年頃)に、まだまだ噂程度だったスペースシャトルが、たちまち実用化し、チャレンジャーの事故をものともせず、打ち上げが再開されようとしている。「火の鳥」のイメージをだぶらせる人もいると言う..

*旅のお礼状

 礼状を出すタイミングを逸すると、誰からもらった名刺だかわからなくなってしまう。出さないよりはマシか、と、適当な礼状を出すと、全くの行きずりの人からの名刺だったりする。

*サ・セ・パリ・サミット

 第2回、日仏文化サミット参加記。フランスの(人も企画も)いい加減であること。

*男の花道

 マドリードでの闘牛観戦記。スペインではビゼーの「カルメン」は、全く評判が悪いと言う。(さもありなん。ビゼーはフランス人であり、フランス人の想像した“幻想の(憧れの)スペイン”だからこそ、あれほどまでにインターナショナルなヒット作となったのである。)

 下手クソな闘牛士には、遠慮無くブーイングと座布団の雨が浴びせられ、警官隊に守られて逃げてゆく。名手はファンの肩車に乗せられ、拍手喝采の中を意気揚々と引き上げてゆく。

「その明暗は、実に極端で、ぼくは勝負の世界のきびしさを見た。
 まるで新鋭マンガ家の花道と、老残マンガ家の運命を表しているかのようで、これがいちばん印象的だったのです」

*手塚治虫漫画全集 別巻10 392

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 11 1997 
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