*2022年04月04日:幻想美術選「大いなる森」マックス・エルンスト
*2022年04月05日:4〜5月の展覧会観覧予定
*2022年04月06日:メアド登録地道に変更
*2022年04月07日:不就労日/藤子不二雄A、逝去
*2022年04月08日:「怪奇幻想漫画家事典」より
*2022年04月09日:引き継がない
*2022年04月10日:カレンダーは引き継ぐ [;^.^]
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*2022年04月04日:幻想美術選「大いなる森」マックス・エルンスト


 「幻想美術選」、第289回。この画家の作品のご紹介は、天使の声沈黙の目 近づく青春発動期、またはプレイアデス素朴な人々の世界都市の全景雨後のヨーロッパ U慈善週間 または七大元素(小説)聖アントニウスの誘惑に続いて、9回目となる。

Picture

「大いなる森」(マックス・エルンスト、1927年)

 エルンストは、特に1925年から42年ぐらいまでのあいだに、森林や密林を主題とする作品を多く描いている。この時期の「森」の特徴は、フロッタージュ(Wikipedia)やグラッタージュ(現代美術用語辞典)を駆使して「木」の物質感を際立たせ、いわば「化石化」していることである(画像検索結果)。

 エルンストの森への「偏愛」については、彼自身の言葉を引いておこう。「マックスがはじめて絵画に接して感動をうけたのは、三歳のときに父親の描いた《孤独》と題する小さな水彩画を見たときで、それにはぶなの森の中で一人の隠者が書物に読み耽っているところが描いてあった。葉が一枚一枚丹念に描かれ、そのおそろしく静かな雰囲気が子供心をつよく把えた。『隠者』という言葉さえマックスにはマジックなちからをもってひびいた。その後間もなく父に連れられて現実の森のなかに入ったときの魅力と怖ろしさとはいつまでも忘れられなかった。こうした感情がのちのエルンストの森林や密林の作品に反映しているのである。」(『かれ自身によって語られたM.Eの青年時代の数時期』)

 彼の「森」はまさに「ドイツの森」であり、それはアルトドルファーからドイツ・ロマン派(カスパー・ダヴィット・フリードリヒら)に至る大伝統を継承するものであるが、ロマン派、あるいは象徴主義の森が「美化」「理想化」されているのに対して、エルンストの森には「迷宮」や「牢獄」のイメージがつきまとう。実際、この作品にも、先ほどご紹介した画像検索結果の「森」の多くにも、「鳥」が囚われている..となると、たちまち「精神分析」の登場とあいなるのであるが [;^J^]、私はそちら方面には、あまり興味はない。

 エルンストのこれらの「化石の森」を特徴づけているのは、「囚われの鳥」ともうひとつ、「円環状の月」である..いや、あるいは太陽なのだろうか? 日食(金環食)の暗黒の輝きの下に広がる光景なのだろうか? ..いったんそう見えてしまうと、なにか神話的・黙示録的な含意を読みとりそうになってしまうし、精神分析的解釈を一度は退けたにもかかわらず、「集合的無意識の世界の破滅の情景」などと、妄言を書き連ねてしまいそうになる [;^.^]。筆が(指が)滑ったついでに書きとめておくと、「日蝕」と「精神分析」を掛け算すれば、答えはひとつ。ピンク・フロイドの「狂気(The Dark Side of the Moon)」である。[^.^]

 なお、エルンストの「森」には別の系統もあり、その中でも特に大きな流れが、デカルコマニー(Wikipedia)を駆使したものである(画像検索結果)。「幻想美術選」で採り上げた作品から例をあげると、「沈黙の目」「雨後のヨーロッパ U」「聖アントニウスの誘惑」、そして「天使の声」の中のいくつの画面など。この系統の「神話的傑作」もまた枚挙に暇がなく、まだまだご紹介したいのであるが..

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*2022年04月05日:4〜5月の展覧会観覧予定


 こいつら全部、ゴールデンウィーク(まで)に片付けてやるっ! [;^.^]凸

*東京国立博物館
 「特別展「空也上人と六波羅蜜寺」
 〜5月8日(日)まで

*東京国立近代美術館
 「没後50年 鏑木清方展
 〜5月8日(日)まで

*平野美術館
 「花鳥画展ー花は根に鳥は古巣にー
 〜5月29日(日)まで

*サントリー美術館
 「大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―
 4月16日(土)〜6月12日(日)まで

*東京都現代美術館
 「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展
 〜6月19日(日)まで

*東京都美術館
 「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち
 4月22日(金)〜7月3日(日)まで

 ..第7波襲来との競争になるけどね..[;_ _][;_ _][;_ _]

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*2022年04月06日:メアド登録地道に変更


 ..というわけで、メアドが kurata@rinc.or.jp から KurataWataru@gmail.com に変わったわけだが、各システム(サイト)への再登録と、関係各方面への連絡の手間が、もう半端ではなく..[;_ _] とにかく、旧メアドに届くのは6月中旬までなので、支払い(請求)の連絡先となっているシステムと、メアド自体がライセンスキーとして使われているシステムだけでも、4月中に確実に再登録を済ませておかないと..

 それらに比べて、個人的なメールの送受の相手への連絡のプライオリティが落ちてしまうのは、まったくやむを得ないことである。私から変更連絡を(まだ)受け取っていないあなた、別に、「こいつには連絡する必要はない」と切り捨てているわけではありませんので..m[;_ _]m [;^J^](ま、最後の最後まで忘れている可能性もあるっちゃーあるが、そのときはそのときだ。[;^.^])

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*2022年04月07日:不就労日/藤子不二雄A、逝去


 初の「不就労日」である..聞きなれないよね? 私も今般、初めて聞いた [;^J^]。私は現在、定年後の「嘱託社員」の身分なのだが、嘱託社員として再雇用されるにあたって 理不尽に 減らされた給与に見合う分、就労日も減らされることになったのである(..違うかな。[;^.^])仔細は省くが、ざっくり、週休3日になる。土日以外のアドオンされる休日を「不就労日」と呼び、私は原則として水曜日に取得することにしたのだが、随時移動可能で、今週は早速木曜日に変更したという次第。

 蜆塚の郵便局で固定資産税を払う。(住んでもいない家の固定資産税を払っているのである..別荘かよ。[;^.^]凸)昼頃から自転車で浜松の街中に発つ。前から気になっていた KAGIYAビル。木曜日の13時頃というのは、ほとんどの店が営業時間外なのであったが、たまたま開いていた 須浪亨商店 の展示会で、なかなか味のある「いぐさ」の鍋敷きを購入した。

 有楽街などを自転車で回る。どんどん閉店している..[;_ _] トンカツの名店「幸楽」にも、しばらくの間休ませていただきますという貼り紙が..[/_;] 老夫婦のみで切り盛りされている店である。しばらく「止めた」あと、「再起動」するエネルギーがあるだろうか..? [;_ _][;_ _]

 ビックカメラのカメラ売り場で、店員と話す。旅行需用は僅かながらも戻りつつあり、それにつられてカメラの引き合いも増えてきてはいるのだが、いかんせん、売りたくてもタマがないとのこと [;_ _]。たとえばニコンのレンズは、タイで作られているものが多いのだが、新製品の予約枠がはけたあとは、もう、何ヶ月も入ってこない、と..「他の店舗に在庫があれば、回せるんですけどねぇ..」..「ビックカメラ」の店員が、こう言っているのである。[;_ _][;_ _][;_ _]

 夕方、帰宅。

 藤子不二雄A、逝去。享年、88。さすがに..さすがに、感慨深い..合掌..

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*2022年04月08日:「怪奇幻想漫画家事典」より


 藤子不二雄A追悼の意を込めて、日本幻想作家事典」(東雅夫、石堂藍編、国書刊行会)に併録されている「怪奇幻想漫画家事典」より「藤子不二雄」の項を、いささか長くなるが全文引用する。乱暴なことをすると思われるかも知れないが、構わない。この項を執筆したのは、私だからである。最初は、安孫子素雄に関する記述だけを切りだそうかと思ったのだが、藤本弘と対比しての記述に意味があるので、全文引用とした。また、「怪奇幻想漫画家事典」であるので、バランスが微妙に安孫子よりである。(2009年刊行であるので、13年前のデータであることにご注意されたい。)

 藤子不二雄(ふじこ・ふじお)は、藤本弘(ふじもと・ひろし 一九三三〜九六、富山県高岡市生)と安孫子素雄(あびこ・もとお 一九三四〜、富山県氷見市生)の共同筆名。高校生時代に合作を始めた。五一年、『毎日小学生新聞』に投稿した「天使の玉ちゃん」が採用されてデビュー。当初の筆名は足塚不二雄で、五三年から筆名を「藤子不二雄」に変更。八七年にコンビを解消してから以降は、藤本は藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお)、安孫子は藤子不二雄(A)(ふじこふじお・エー)に筆名を変更した。初期のSF長篇には、時間旅行テーマの「四万年漂流」(五三・『少年少女冒険王』連載)、手塚治虫のSF三部作の影響を受け、大戦後の新世界を舞台に独裁者と人類同盟の闘いとロボットの反乱を描いた『UTOPIA 最後の世界大戦』(五三・鶴書房)がある。これらを含めて、初期には二人で―つの漫画を描くという完全な合作を行っていたが、やがて、別々に執筆した作品をそれぞれが藤子不二雄名義で発表するという、共同筆名方式をとるようになった。五四年、上京。「海の王子」(五九〜六一・『週刊少年サンデー』他連載)は初期の重要な合作であり、少年漫画史上初めてのメカ・アクションである。日常性に立脚する主人公の側がスマートな〈白のイメージ〉であるのに対して、異界の存在であるグロテスクで不気味で強大な敵は〈黒のイメージ〉であり、それぞれを藤本と安孫子が担当したと考えられる。ふたりの基本的な資質の違いが、ここに明確に現れている。これ以降の合作で重要な作品といえるのは「オバケのQ太郎」(六四〜六六・『週刊少年サンデー』、六五〜六七・『小学二年生』などの小学館の学年誌他連載)のみである。

 〈黒い藤子不二雄〉である安孫子は〈ホラー志向〉であり、〈記号的〉であるよりは〈映像的〉〈絵画的〉な画面構成を特徴とする。時として版画を思わせるほど強い光と影のコントラストは、怪奇幻想漫画において特に目覚ましい効果をあげており、絵物語的な見せ場として配される大ゴマの一枚絵も、特徴のひとつである。「白魔きたる」(五九・『少年』)は、映画「遊星よりの物体X」を想起させる先駆的なSFホラーであり、「シルバークロス」(六〇〜六三)には仮面劇的要素が色濃く漂っている。軍事科学小説的展開に「白鯨」のモチーフを絡めた「ビッグ1」(六二・『週刊少年サンデー』連載)は幻想的な映像美が印象的であり、「恐怖探偵局」(六三・『少年』連載)は本格的なゴシック・ホラーである。日常的シチュエーション・コメディである「忍者ハットリくん」(六四〜六八・『少年』連載)にも非日常的な〈仮面〉への嗜好がほの見え、「怪物くん」(六五〜六九)は怪物博覧会として子供たちの情報源となった。ブラックユーモア路線の嚆矢となったのが、六八年に『ビッグコミック』に掲載された「黒ィせぇるすまん」であり、同誌には引き続き、日常生活が悪夢のように変貌していく「ひっとらぁ伯父さん」(六九)、主人公が理不尽に人肉食の罠に陥る「北京填鴨式」(七〇)、シュルレアリスムの幻想が現実を侵犯する「マグリットの石」(七〇)など、極めてダークで〈奇妙な味〉の短篇群が掲載された。主人公のトリックスター的キャラクターが強烈な印象を残す「黒ベエ」(六九〜七〇・『週刊少年キング』連載)によって、少年漫画にもブラックユーモアが本格的に導入された。ひ弱で根暗ないじめられっ子が怨みを陰湿にはらす怪奇漫画「魔太郎がくる!!」(七二〜七五・『週刊少年チャンピオン』連載)は、今も昔も変わらぬ〈いじめ〉が主題であるが、社会派的なポジティブな解決によらぬ、闇の力を持つダーティ・ヒーローによるネガティブな復讐譚としたことで多くの少年たちの共感を得、大ヒットした。その後の作品には、「プロゴルファー猿」(七四〜八〇)「ブラック商会変奇郎」(七六〜七七)「まんが道」(七〇〜七二、七七〜八二、八六〜八八)「少年時代」(七八〜七九)「まんが道スペシャル 愛…しりそめし頃に…」(八九、九〇、九五〜)などがある。

 〈白い藤子不二雄〉である藤本は〈SF志向〉であり、手塚治虫直系の〈物語志向〉の作品群を作った。藤本の作品においては、背景や物は、〈絵画的〉というよりは、多分に〈言語的〉〈記号的〉である。「すすめロボケット」(六二〜六五・『小学三年生』などの小学館の学年誌他連載)は、日常の中に侵入してきた〈少年の夢〉の世界を描く、「オバケのQ太郎」や「ドラえもん」に連なる系列の原点といえる作品である。安孫子との合作「オバケのQ太郎」はアニメも大ヒットして、それまではシリアス作品のイメージが強かった藤子が、ギャグ漫画家として認知される契機となった。その後も、日常感覚から遊離せぬ児童SF漫画として、子供のスーパーマンを主人公とするヒーローコメディ「パーマン」(六六〜六八・『小学三年生』などの小学館の学年誌、六七・『週刊少年サンデー』他連載)、未来社会を舞台とするコメディ「21エモン」(六八〜六九・『週刊少年サンデー』連載)、平凡な家庭に入り込んできた宇宙人家族の繰り広げるSFギャグ「ウメ星デンカ」(六八〜六九・『小学三年生』などの小学館の学年誌他連載)などを発表し続けた。藤本作品としては暗くシニカルなトーンを持つ宇宙放浪物語「モジャ公」(六九〜七〇・『週刊ぼくらマガジン』他連載)は、ギャグ漫画に留まらぬ広がりを内包する本格的なSF漫画である。六九年から『ビッグコミック』に大人向けの短篇SFを発表し始める。第一作の「ミノタウロスの皿」は、カニバリズムをモチーフとして、理解し合えぬ異文明同士の出会いを描いた力作。この後各誌に発表されていく短篇群には、SFの古典的なアイディアを軽く捻ってリメイクしたタイプの作品が多く、あたかも、SFの様々な基本パターンを紹介し始めたかのごとくであった。七〇年には、ライフワークとなった「ドラえもん」の連載が始まる。その後の作品には、「エスパー魔美」(七七〜七八・小学館『マンガくん』他連載)「T・Pぼん」(七八〜七九・潮出版社『少年ワールド』他連載)などがある。藤本のSF漫画の特徴のひとつに、日常的な感覚から大きく逸脱することがない親しみやすさがある。また、児童漫画・少年漫画において、常に〈子供の夢〉という視点を忘れなかった。それ故、手塚治虫の後を継ぐもっとも正統的な〈SFの伝道者〉たり得たのであり、若い世代にSFの基本を啓蒙し、伝え続けた功績は、絶大である。

 藤子不二雄として、六三年「すすめロボケット」「てぶくろてっちゃん」で第八回小学館漫画賞、「ドラえもん」で七三年第二回日本漫画家協会賞優秀賞、八二年第二十七回小学館漫画賞児童向け部門を受賞。また八四年に映画の日特別功労章を受章。藤子・F・不二雄として、「ドラえもん」で九四年第二十三回日本漫画家協会賞文部大臣賞、九七年第一回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。また、九六年に映画の日特別功労章を受章。藤子不二雄(A)として、〇五年、全作品に対して第三十四回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞が贈られた。

 評論に、米沢嘉博『藤子不二雄論 Fと(A)の方程式』(〇二・河出書房新社)など。

▼『藤子不二雄ランド』全三百―巻(八四〜九一・中央公論社)

【シルバークロス】連作。六〇〜六三年『少年』連載。アフリカに突如出現した謎のスケルトン帝国は、黒人を奴隷化し秘密の軍隊を組織して、世界の脅威となりつつあった。世界の平和を守る〈十字警察〉の一員、シルバー・クロスは、仲間たちと共にスケルトン帝国に潜入し、独裁者カリギュラ総統と、彼が率いる秘密警察の最強カメンバー〈ビッグ・5〉に立ち向かう……。敵も味方もマスクで顔を隠している、一種の仮面劇であり、手に汗を握るアクションの連続もさることながら絵の魅力が圧倒的で、光と影を強烈に対比させた異様にスタイリッシュな画面と敵怪人たちのコスチュームは、〈中世的〉〈魔術的〉なムードを濃密に漂わせている。

【怪物くん】短篇連作。六五〜六九年『少年画報』、六七〜六九年『週刊少年キング』連載。人間世界にやって来た怪物ランドの王子・怪物くんが、ドラキュラ、オオカミ男、フランケンをお供に引き連れて、様々な怪物がらみの事件を解決していく。怪奇映画のモンスターをパロディ化するギャグ漫画であるだけでなく、怪奇映画、怪奇小説、神話、伝説など、あらゆるジャンルを横断したモンスター・カタログでもあり、折りから訪れ始めていた怪奇映画ブームと互いに影響を与えあったと考えられる。六八〜六九年と八〇〜八二年にテレビアニメ化され、八一年と八二年に劇場版アニメが公開されている。

【黒ィせぇるすまん】短篇連作。六八年に『ビッグコミック』に読み切り短篇として掲載された後、六九〜七一年に『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)に連載。八九〜九二年にアニメ化された際に「笑ゥせぇるすまん」と改題された。その後も掲載誌を変えつつ、何度も連載されている。喪黒福造は、客に対して、一回だけという約束で束の間の夢を叶えてやるが、客のほとんどはその夢を忘れられず、自ら暴走して、あるいは、もう一度夢を叶えてくれるよう喪黒に懇願した結果として、破滅する。喪黒福造という名前自体に、幸福と不幸が表裏一体であるという寓意が込められている。九九年には、実写ドラマ化された。

【ドラえもん】連作。七〇〜九四年に『小学四年生』などの学年誌、七九〜九六年に『コロコロコミック』(小学館)など、多くの雑誌に連載された。運動も勉強も駄目な、ぐずでのろまなのび太を、未来からやって来たネコ型ロボット・ドラえもんが、ポケットから様々な道具を出して救うが、毎回結局、それらの道具を不適切に使って大失敗をしてしまう。この定型的なパターンから教訓を読みとることは容易だが、それよりも、その道具によって実現される、束の間ののびのびとした夢の楽しさが本質的であり、それは、もっとも多用される道具が、人間のもっとも基本的な夢である〈空中飛行〉を実現するための〈タケコプター〉であることからも明らかである。テレビアニメは第一次は七三年、策二次は七九年から今なお放映中。劇場版アニメは、八〇年以降、〇五年を除く毎年、公開されている。

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*2022年04月09日:引き継がない


 一昨日に書いた「不就労日」の導入により、今年度からはざっくり「週休3日」になるのだが、もちろん、それだけではすまない。前年度からの有休の未消化分が15日あり、それに、今年度に新規に追加された20日を加えると、35日。これを全部使い切ろうとすると、夏季冬季の休暇や国民の祝日も加えて、まぁざっくり、「週休4日」になる..

 ..多すぎる。[;_ _]

 ..休暇地獄である。[;_ _][;^.^]

 「たくさん休めてよかったね♪」、などという、能天気な話ではないのだ。仕事はあるんだから..チームで仕事をしてるんだから..[;_ _]

 だからもちろん、いくらなんでも「週休4日」は無茶で、つまり、有休は(昨年度からの15日は、腐らせないよう、なんとか今年度中に取得するとしても、今年度の20日分は)来年度に持ち越しになる。来年度の9月で、私は完全退職である。約半年。制度の詳細は知らないが、有休はたぶん、来年4月に新規に10日、追加されることになるんじゃないかな。つまり、合計最大30日。それを来年の4月から9月までの半年で..[;*.*]

 こうなると、できるだけまんべんなく散らして取得..というのは諦めざるを得ず、つまり(一般的に行われていることだが)退職日直前に「残り全部、まとめて」取ることになる。ということは..退職日が9月30日なのだが、もしかすると8月中..盆休みの存在を考えると、8月上旬が「最終出社日」になる可能性すら、ある..

 つまり、私が例年9月に行っている(半期ごとの)業務は、ほぼ確実に、行えない。その他の(年いちの)業務も、私自身が行えるチャンスは、あと1回しかない..そして、業務の引き継ぎOJTをしている暇なんか、ないのである..OJTにかかる手間はどなたもご存じの通りだし、週休3日(〜4日)なんだしさ。[;_ _]

 ..となると、結論は自明である。

 「引き継がない」!

 私が今やっている業務(のやり方)は、私の退職とともに、強制終了! \[^O^]/\[^O^]/\[^O^]/

 実際、そうあるべきなのだ。この老兵が、自分の作った手順書に従って、何年間も(その手順書を洗練させ、磨き上げつつ)執行してきた業務のやり方には、もう「先」がない。これ以上、効率を上げようがないところまで(ローカルに)最適化されてしまっているのである。

 こんなやり方を、若手に引き継いではならない。彼の頑張りと工夫次第で、さらに10%かそこらはパフォーマンスを向上させられるかも知れないが、そんな数字は、改善のうちにも入らない。若手社員は、もっと創造的な仕事をしなくてはならない。

 全部やめて、ゼロから作り直す(あるいは、その業務自体を「止める」)べきなのである。

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*2022年04月10日:カレンダーは引き継ぐ [;^.^]


 ..というわけでメアドの更新を地道に行っているのだが、Google Calendar を、ようやく kurata@rinc.or.jp のアカウントから KurataWataru@gmail.com のアカウントにコピー完了。たいして難しくない作業なんだが、iPhone の「さいすけ」でなぜか両方のカレンダーが(だぶって)表示されるなどの、マイナーな問題が発生しましてね [;^J^]。まぁ、強引に片づけた。

 全部いちから手入力してできないことはないぐらいの、微妙な件数ではあったのだが、さすがにそれをしちゃいかんでしょう..プライドもあるし..[;^.^][;^.^][;^.^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 14 2022
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