*2022年03月21日:幻想美術選「まぐろ漁」サルヴァドール・ダリ
*2022年03月22日:展覧会行脚パズル/広域停電回避
*2022年03月23日:自転車出勤失敗 [;_ _]
*2022年03月24日:自転車症状出ず [;^.^]
*2022年03月25日:新メアド確保
*2022年03月26日:ミロ展/RECORD展/ポンペイ展
*2022年03月27日:「奇想のモード」展
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*2022年03月21日:幻想美術選「まぐろ漁」サルヴァドール・ダリ


 「幻想美術選」、第287回。ダリの作品をご紹介するのは、幻の馬車ザクロの周囲を一匹の蜜蜂が飛んだために生じた夢から目覚める一瞬前幻覚素の闘牛士シュルレアリスムの思い出:天空の象謎めいた要素のある風景ガラ酸とダリ酸のデオキシリボ核酸テトゥアンの大会戦聖アントニウスの誘惑に続いて実に9回目であるが、まだ「アレ」は出しませんよ [^.^][;^.^]。今回取り上げるのは、後期の代表作のひとつである。

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「まぐろ漁」(サルヴァドール・ダリ、1966〜67年)

 例によって、ダリは自作を「大いに」語っているので、彼自身による「解説」を、いささか長くなるが引用しておこう。

 「これはわたしとして最も野心的な作品である。副題として「メエソニエ礼讃」となっているわけだ。これは、いわゆる《前衛美術》の全時代にわたって、超現実主義グループを除き万人から過小評価された主題画(テーマ絵画)なるものの名誉挽回である。この叙事詩的な主題は父が話してくれたもので、わたしの父はカタルニヤ地方フィゲラスの公証人だったが、ホメロスにも似た話の名人だった。同時に父は事務室で版画をひとつ見せてくれたが、それはスウェーデンの《ポンピエ》絵かき(Wikipedia)によるまぐろ漁の図で、これもまた、この絵の実現に役立ってくれた。だが結局のところ、わたしが、生涯心にとめていたこの主題に立ち向う気になったのは、テイヤール・ド・シャルダン(Wikipedia)を読んでからで、その説によると、世界も宇宙も有限のものだろうというわけで、これは最近のいろいろな科学的発見によっても裏づけられていることだ。わたしは、そのとき、まさにこの有限性、矛盾、宇宙や世界の限界・制約こそエネルギーを可能にするものだと悟った。つまり、陽子、反陽子、光子、π中間子、中性子といった、すべての素粒子は、宇宙世界のこういう限界や矛盾の故にこそ、はじめてあの物凄い超芸術的エネルギーを発揮するのである。このことは、ある意味でわれわれをパスカル説――宇宙に比べれば生きとし生けるものも取るに足りない存在だという考えかた――からくる恐ろしい不安から解放し、宇宙も世界もすべて一点に集中するのだという考えにみちびくのであり、その一点こそ、この場合、「まぐろ漁」なのである。この絵の恐るべきエネルギーは、まさにそこからなのだ!魚という魚、まぐろというまぐろ、まぐろを殺している人間という人間は、ことごとく、限られた世界の化身であり、いうなれば、ダリ的宇宙がこのまぐろ漁という空間の中に制限され、それによって、すべての要素が最大限の超芸術的エネルギーを獲得するのである。この「まぐろ漁」は、それ故、すぐれて生物学的スペクタクルなのである。というのも、父の描写によれば、海――それはコバルト・ブルーなのが一面に血の赤に染まってしまうのだが――それは近代生物学の超芸術的な力だからである。生誕はすべて、それに先立って血のすばらしいほとばしりがあるものだし、「血は蜜よりも甘く」、血は血よりも甘いのである。そして現にアメリカこそは血の特典に浴しているものである。というのもアメリカの名誉は、ノーベル賞のワトソン(Wikipedia)を有することだからで、彼はデゾキシリボ核酸の分子構造を最初に発見したが、それは、原子爆弾とともに、ダリにとっては、生存と冬眠を行く末長く最大限に保証するものである。」

 ..ま、そういうわけだ [;^J^]。話半分に読んどいてくれ。[;^.^]

 舞台は例によって、ポルト・リガトであろう。この作品に盛り込まれた手法は、ざっと数え上げても、シュルレアリスム、アール・ポンピエ(Wikipedia)、点描法(Wikipedia)、アクション・ペインティング(Wikipedia)、タシスム(Wikipedia)、幾何学的抽象(Wikipedia)、ポップアート(Wikipedia)、オプ・アート(Wikipedia)、サイケデリック・アート(Wikipedia)等々..この「混沌」は、プログラミング言語で言うところの「マルチパラダイム」(Wikipedia)、音楽でいうところの「多様式主義」(Wikipedia)を想起させるところがあり、バラバラな印象になって当然なところをうまくまとめているのは、さすがである。とにかく、本当に「上手い」のだ。

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 私にとっては、ある特殊な理由で思い出深い作品である。どういうことかというと..これを初めて見たのは、「現代世界美術全集 25 ダリ」(集英社)という、おそらく1974年頃に購入した画集でなのだが、なんとこの「まぐろ漁」に限り、普通の複製ではなく美術館に展示されている写真なのであって、しかもこの作品の「前」に、ダリが立っているのである!「見えねーだろっ! そこどけっ![;-_-]凸」(..いや、どきませんけどね。[;_ _][;^J^])..という、強烈にネガティブなファーストコンタクトなのであったことであるよ。[^.^]



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*2022年03月22日:展覧会行脚パズル/広域停電回避


 ようやく、変装しなくても 大手を振って上京できる状況になったので、今週末の展覧会行脚のパズルを解き始める。これまで延々と後ろ倒しにしてきていたので、もう日時指定チケットが間に合わないものもあるのだが、仕方がない。

 26日(土)は、まず渋谷。Bunkamuraザ・ミュージアムの、「ミロ展 ―日本を夢みて」(4月17日(日)まで)と、Bunkamura Gallery の、「江口寿史 RECORD展 〜『RECORD』出版記念〜」(3月31日(木)まで)。東京国立博物館の「特別展「ポンペイ」」は4月3日(日)までであり、来週は無理なのでもうこの週末しかチャンスが無いのだが、空いているのは土曜日の16:30からのチケットのみ。閉館の18:00まで、1時間半か..極力ロスタイムを減らすために、列の先頭で飛び込まなくては..つまり、多少早めに着いている必要がある。

 27日(日)は、東京都庭園美術館で、「奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム」。これも4月10日(日)までだったので、結構ぎりぎりだった。東京都美術館の「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」(4月3日(日)まで)のチケットはやはり完売していたが、これは7月に大阪でフォローできる。

 蔓延防止解除に伴い、「原則として出社禁止」ではなくなったものの、各部署とも出社人数は少な目に、というお達しは出ている。できるだけ(可能な限り自転車で)出勤したいものであるが..とにかく、運動不足が..[;_ _][;_ _][;_ _]

 昼ごろから、不穏なニュースが流れ始めている。東電管内で夕方から広域停電するかもしれない、とにかく節電してくれ..と。やはり地震で火力発電所が止まっているのがこたえているようだが、もう少し早く警告を出せなかったのかなぁ..浜松には影響ないとはいえ、東京オフィスが停電したりすると、また後処理が..[;_ _]

 ..深夜。なんとか回避できたもようである。東電の現場の苦労が偲ばれる..[;_ _]

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*2022年03月23日:自転車出勤失敗 [;_ _]


 好天なので、ちょ〜久しぶりに自転車出勤だ! ルンルンッ♪ [^.^]、と、タイヤの空気を入れていたら、後輪のチューブバルブが壊れて?、まったく空気が入らない..とかしているうちに、エアが抜けてきた..

 ..しょぼーん [/_;] ..治さないとだわ。とにかく今日は自動車で出勤だ [;_ _]。久しぶりなのに。気候がいいのに..[/_;][/_;][/_;] ま、走り始めて途上で破損していたら目も当てられなかったので、これはこれで、ラッキーだったと考えよう。

 東電管内の電力逼迫警報、午前11:00に解除。とはいえ、引き続き不足気味だとのこと。

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*2022年03月24日:自転車症状出ず [;^.^]


 快晴だが、今日は出勤せずにテレワークとする。自動車で会社まで往復していると、帰宅後、近所の自転車屋に修理だししている時間がとれないかもしれないからである。

 ..中略(仕事はしてるんですよ [;^.^])

 昼休みに、ナカノサイクルセンターに自転車を持っていったら(後輪はいわば「パンク状態」なのでタイヤが傷まないよう前輪のみ接地させて運んだのでたいそう疲れたのだが [;_ _][;^J^])、なんと、症状出ず [;^.^]。ふつうに空気を入れられるではないか [;_ _] ..ま、あるあるだ。なにかのはずみで(どこかに引っかかって?)こういう状態になったのであろうよ [;^J^]。経験値、プラス1ということで。[;^.^]

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*2022年03月25日:新メアド確保


 ..というわけで、久々に自転車出勤だ! [^.^] やっぱ、いいな。朝45分、帰途50分というのは、きつすぎず緩すぎず、ちょうどいい感じの負荷なのである。

 以前書いたが、現在使っているメールアドレスは、6月15日に使えなくなる。諸事に紛れてなかなか手を打てていなかったのだが、ようやく新メールアドレスを確保し、正常に送受できることを確認した。kuratawataru@gmail.com である。現行の kurata@rinc.or.jp は各種登録等に非常に広範に使用されているので、これらを全部変更するのかと思うと、気が遠くなる..[;_ _][;_ _][;_ _][;*.*][;*.*][;*.*]

 さらに言うと、あなたが今読んでいる、このページのフッタのメアドが、まだ変更されていない。「倉田わたるのミクロコスモス」を構成している2千数百のファイルのすべてに、埋め込まれているのだ。これらも全部直さなくてはならない。もちろん、手作業は論外で、修正用スクリプトを作成して一括で書き換えるのだが、そのスクリプトにバグがあると被害甚大なので、入念にテストしなくてはならないのだが..[;_ _][;_ _][;_ _] ← ..と、《Sigh..》という顔をしているが、実はこういう作業が「好きで好きでたまらない♪」というなにをいまさらなカミングアウト(略)[;_ _][;^.^]

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*2022年03月26日:ミロ展/RECORD展/ポンペイ展


 曇天。昼から結構本気の雨になるらしい。長傘持参で6:10に発ち、バスで浜松駅へ。すき家で朝食。7:17のひかり。

 8:47に渋谷に着き、Bunkamura に向かうが..あまりに久しぶりで道を忘れており、109で(右の文化村通りではなく)左の道玄坂を登ってしまった [;^J^]。目的地の目と鼻の先で道を間違えるなよ、ほとんど見えてるだろ [;^.^]。おかげでラブホ街を軽く彷徨しましたわ、朝っぱらから。[;^.^]

 9:00過ぎに Bunkamuraザ・ミュージアム に着き、開館1時間前なので読書開始。10:00から、「ミロ展 ―日本を夢みて」(〜4月17(日)まで)..まず突っ込んでおくと、「ジュアン」なの?「ジョアン」ではなく? いずれにせよカタカナなので本来の発音とは違うのだろうが、いつの間に変更されたんだろう..ま、私の若い頃には、そもそも「ホアン・ミロ」でしたけどね。[;^J^]

 ミロはもともと日本(文化)好きで、日本人ももともとミロが好き..という、相思相愛関係をふりかえる展覧会。日本人のミロ好きの一助となったのであろう「ミロ(西洋美術文庫)」(瀧口修造、アトリエ社、1940)が、なんと、ミロについての世界初のモノグラフだったということは、私も初めて知った次第であるが、のちにこの書籍のことを知ったミロが、眷恋(けんれん)の日本を訪れたとき、「龍安寺の石庭」に感心したのは、それは確かにさもありなんと思うが、「銀座の(猥雑な)ネオン」にも歓声を上げたというエピソードが面白い。字が読めないからということもあったのではないかと思うが、意味を離れてグラフィカルに鑑賞したとき、そこには確かにミロの「玩具箱のような世界」と通じ合うものがあるような気がする。

 いちいちきりがないので、ご紹介するのはごくごく一部にとどめます。[;_ _][;^J^]

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 左は、初期の「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」。それこそ半世紀近く親しんでいる作品なのだが、実物を観るのは初めて。虹色のグラデーションが美しい。背後の壁には浮世絵を(なんの工夫もなく、ベタに [;^.^])貼り込んでおります。[;^J^]

 中央の「絵画(カタツムリ、女、花、星)」は、絵画とカリグラフィーの「融合」とまでは言えないまでも「混交」が楽しい。

 右の「絵画」は1966年の作品。この年に初来日を果たしており、日本の書画の墨の線描(面描?)の影響が見られるように思う。



 「独り語る」画像検索結果)は、トリスタン・ツァラの詩文との「合作」。「無題(瀧口修造へのオマージュ)」画像検索結果)は、日本との(いわば)「リエゾンマン」である瀧口修造との「合作」。「マキモノ」画像検索結果)も、なんとも楽しい作品である。

 11:30に退出し、そのまま同じビル内の Bunkamura Gallery で、「江口寿史 RECORD展 〜『RECORD』出版記念〜」(〜3月31日(木)まで)へ。

 正直に申し上げると、ここに展示されているジャケットイラストを江口寿史が提供したレコードの大部分を聴いていないのだが [;_ _][;^J^]、そういう 邪念 情報がなくても [;^.^]、とにかく高品質な「絵」を楽しめる。

 昼頃に出て、歩いてすぐのまんだらけへ。持参してきたダブり本を売る。収穫は無し。

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 12:30に出て、そういえばこのすぐ近所に、宮迫博之の例の「牛宮城」が開店したばかりのはずだが..と、興味本位で捜してみるが、見つからない。Google Map を見ながら近場を歩き回っても、見つからない..10分近くかかったかな [;^J^]。まんだらけから本当に目と鼻の先のオフィスビル?の5Fなのであった(右写真)。まぁ、幟(のぼり)を立てるわけにもいかないんだろうが、下からはもちろん見えないし、これでは隠れているも同然。予約などしてこの店を目指して来る客には問題ないのだろうが、フリの客はひとりも入らない(気がついてもらえない)と思う。どうでもいいけど。



 次の目的地は上野の東京国立博物館で、15:30には着いていたいところなのだが、時間が中途半端に余ってしまったので、ここはもちろん昼飲みである! [^.^] しばらく歩き回って物色して、12:45に「大衆スタンド カンダヤ」という店に入ってみた。コスパ良し。もつ煮込み、鉄板焼きハツ、わさび鷄から、クリームチーズ粗わさび、贅沢TKGに、酒を4杯つけて、2882円である。[^J^]

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 問題は、この「贅沢TKG」で..メニューの写真を見て、怖いもの見たさで発注してしまったのだが..実物はメニューの(小さい)写真よりも、遥かに怖かった [/_;]。そもそも、どんぶり飯に卵1個でも十分に美味しいのがTKGなのだが、小鉢とは言わないまでもたかだか中サイズ程度の丼に、Lサイズの黄身が5つ..これを食べていいものかどうか、マジでしばらく逡巡してしまった..[/_;][/_;][/_;] いやもちろん、意を決して、ぐちゃぐちゃにかきこわして食べましたけどね [;^J^]。そりゃ当然、美味しいんですけどね。[;^.^]



 14:30頃に発ち、上野へ。東京国立博物館。「特別展「ポンペイ」」(〜4月3日(日)まで)である。16:30予約の列の先頭から2人目に並ぶが、16:15に入れてもらえた。

 6年前の「日伊国交樹立150周年記念 世界遺産 ポンペイの壁画展」でもつくづく感じ入ったことであるが、フレスコやタイルで描かれたポンペイの壁画や床の装飾には、本当に、目が覚めるほど素晴らしいものが多い。そして、なんともクールで雅やかな大邸宅群..ポンペイを紹介する展覧会や画集等々からは、「古代理想都市」というイメージが香り立つ..

 ..が、もちろん、その(全部とは言わないが)ある程度大きな部分は「錯覚」なのだ。大邸宅に住めたのは、ほんの一握り(というか一つまみ?)の大富豪のみ。大多数を占める平民と奴隷の住居水準は、遥かに劣悪なものであった。その「奴隷」にしても、「解放奴隷」の存在の印象が強いので、「そう悪くはなかったんじゃないかな」と考えてしまいがちであるが、奴隷の生活が苦しくないわけがない。衛生問題にしても、上水道は整備されていたようだが、下水道は存在しなかった。道路などにぶちまけていたのである(..ま、この点は、遥かなのちのたとえば19世紀末のパリでも同じことですけどね。[;^J^])それに、治安も悪かった。(BS朝日の「地球大紀行 ローマ大発掘 悪徳の都 ポンペイ」(2020/03/20)の受け売りですが..)

 ..とかとか、そういうネガティブな要素を全部飲み込んだうえで、とはいえやはり素晴らしいものは素晴らしい、と、受容するべきなのだ。

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 ポンペイに限ったことではないが、ローマ帝国の発掘物の展覧会で私がいつも最も感嘆しているのは、たとえばこの左図、「水道のバルブ」なのである。凄いでしょ。これ、凄いでしょ。現在われわれが使っているものと本質的に同じであることは言うまでもないが、本当に凄いのは、これが「規格化」されていたということなのである。

 中図、「辻音楽師」たちの、この表情 [^.^]。いいねえ..[^.^]。右図、「ネコとカモ」の猫の瞳も、素晴らしい。[^.^]



 時間いっぱい鑑賞して、閉館時刻の18:00に出る。まぁ、もともと「90分以内の鑑賞をお願いします」ではあるのだが、とにかく、90分、めいっぱい使ってしまった。[;^J^]

 音声ガイドについても、ひとこと。「登場人物」はふたりで、ポンペイが滅びたのち、かつてポンペイに住んでいた男と、かつて彼を訪うてポンペイ市内を案内してもらった友人のふたりが、ポンペイの追憶に耽る(正確に言うと、街中を懐かしく散策したのち、「..でも、今ではもう、みんな無くなってしまったなぁ..」、と嘆く)という趣向で、なかなか悪くない。悪くないのだが、私ぐらい ひねこびた 洗練された趣味の持ち主ともなると、実はこのふたりとも、ポンペイと運命をともにした亡霊であった..という種明かしがあると楽しかったのにぃ、などと無いものねだりをしてしまうのだが [^.^]、そういうことをすると、罪もないパンピー(一般人)を混乱させるかもしれないね。[^.^]

 18:00に出る。ついに雨。風雨強し [;^.^]。19:55、横浜・鶴ヶ峰の家。

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*2022年03月27日:「奇想のモード」展


 快晴。鶴ヶ峰の家の前のバス停から、8:11のバスで発つ。9:50、東京都庭園美術館。10:00に入館。「奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム」(〜4月10日(日)まで)である。

 ダリの「抽き出しのあるミロのヴィーナス」画像検索結果)や「回顧的女性胸像」画像検索結果)、マン・レイの「イシドール・デュカスの謎」画像検索結果)や「贈り物」画像検索結果)など、プロパーのシュルレアリスム画家たちのオブジェは、毎度おなじみのものが多い。ファッションという角度から照射してみたということか。

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 詳しくは、前記の展覧会サイトへのリンクを参照していただきたいが、網羅的とは思えぬものの、なかなか興味深い展示である。撮影が許可されているエリアで撮った写真もいくつか。えーと、舘鼻則孝の「太陽へのオマージュ」シリーズのどれかと、串野真也の靴のシリーズから。中図の鳥の脚のやつは、履いて歩くのは無理そうだが、右図の毛深いアンモナイトっぽいやつなら、なんとか。[;^.^]



 11:30までには発つ。若い頃なら [;_ _] このあともうひとつふたつ展覧会等を回るところだが、自宅でするべき作業もあるので、品川からひかりで浜松へ。午後も早いうちに帰宅した。

 鈴木愛理の(結婚を前提とした)交際報道..全然平気である。

 平気である。

 平気である。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 31 2022
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