*2014年09月01日:「ぬいぐるみ殺人事件」
*2014年09月02日:アストロ球団の想い出
*2014年09月03日:オルセー美術館展、やっぱ行くか..
*2014年09月04日:毎年、この日が来ると..
*2014年09月05日:「ヴァロットン展」図録より
*2014年09月06日:デ・キリコ展
*2014年09月07日:浜松ジオラマファクトリー
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*2014年09月01日:「ぬいぐるみ殺人事件」


 23:30まで残業。[;_ _]

 発注していたぬいぐるみ殺人事件が、届いた。オリジナル(漫画の手帖臨時増刊号、1986/10/05)を持ってるというのに..[;_ _](吾妻ひでお作品が掲載されている書籍は買わなければならないという、呪われた業(カルマ)のために..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])

 これは、伝説的な同人誌に連載された伝説的な連作マンガ(一部小説)。一般的な意味で傑作といえるかどうかはなんとも..[;^J^](「支離滅裂」を無条件に「傑作」と読み替えてしまいがちなタイプの人なら、問題なし。[^.^])上記アマゾンのページに、豪華な執筆陣の名前が列挙されているので、このあたりの漫画家のファンなら、押さえておいてもいいと思うよ。

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*2014年09月02日:アストロ球団の想い出


 今日になるまで知らなかった。中島徳博氏が、8月28日に逝去されていたとのこと。享年64歳(若い..)、死因は大腸癌。合掌..

 やはり、「アストロ球団」の漫画家(原作:遠崎史朗)として、もっとも有名であろう。今更「アストロ球団」について贅言は要しないであろうから、今でも記憶に残っている(そりゃ倉田の記憶に残っていても不思議はない、と、大方の読者が納得されるような [;^J^])シーンについて、簡単に触れるだけにしておこう。

 誰だったかな..まったくあてにならない微かな記憶によれば、確か球四郎だったのではないかと思うが..バッターボックスに向かうときに入場テーマ曲を要求し、「俺のテーマ音楽は、ベートーベンの「英雄」でぇっ!」..すると、大編成の軍楽隊(というより金管楽器群)が、「ベートーベンの「英雄」」を、高らかに吹き上げるのである..

 ..原作者も漫画家も(編集者も編集長も)聴いたことねーな、「ベートーベンの「英雄」」を。[;^J^](この曲を知ってる人だけ、受けてくれればいいです。[;^.^])

 今日は右耳の状態、普通といえば普通。以後、また有意に悪化するまでは、この話題はクローズとしよう。

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*2014年09月03日:オルセー美術館展、やっぱ行くか..


 8月29日に録画した「ぶらぶら美術・博物館」をプレイバックして、気が変わった。国立新美術館で10月20日(月)まで開催中の「オルセー美術館展」、やはり観に行こう。

 当初、さほど乗り気ではなかったのは(言うまでもなく)印象派がメインだったからである。何度か書いていると思うが、古今東西の美術に対してほとんど好き嫌いなく分け隔てなく観に行く私が、唯一、苦手としているのが「印象派」なのである。(その原因というか遠因については、なんとなく見当がついているのだが、話が発散するので今夜はやめておこう。)..が、どうやら、印象派とその時代というか、印象派が生まれる背景もまとめての展示らしいし(それなら非常に興味がある)、また、この番組で解説(案内)を担当していた国立新美術館の主任研究員の宮島綾子さんがチャーミングでねぇ..[*^.^*][*^.^*][*^.^*] いや、展覧会を観に行ったからといって、会えるわけではありませんが。[;^J^]

 印象派が誕生する前の時代にサロン/官展で活躍したアカデミズムの画家たちの作品も数多く展示されているのだが、その中のひとつ、当時激賞された、アレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」画像検索結果)について、「ヴィーナスは海の泡から生まれてきたっていうんですけれども、まさに誕生していて、それでキューピットがパラパラ舞っているっていう、なんの中味もないというか..(笑)」などと、口走ってしまうあたり。[*^.^*][*^.^*][*^.^*]

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*2014年09月04日:毎年、この日が来ると..


 ..自動的に、満年齢がインクリメントされてしまう。[;^J^]

 ..というわけで、56歳である。もはや少年時代の私の「想像の中の自分の未来図」を遥かに超えた、「超限領域」と言ってもよい。まさかこの歳になるまで生きるとはね。

 ..つまり、定義域を飛び出してしまったので、値域には責任をもてない..日本語に訳すと、あとは死ぬまで何やっても構わんわけだ(論理的には。[^.^] )

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*2014年09月05日:「ヴァロットン展」図録より


 朝、本降り。すぐ上がる。昼頃までは不安定。

 だいぶ前に観た「ヴァロットン展」の図録を、ようやく通読できた。時間がなかったことも確かだが、ほとんど未知の画家だったので、私にとっては新規情報が多く、読みとばせなかったからでもある。例によって、抜き書きしておこう。(要約する手間は、省略する。[;^J^])

「ヴァロットンにはひどい女性蔑視がある。さらに彼は、著作の中ではいつも女性に厳しかったが、しかしまた同時に、女性に魅了されてもいたのである」(21頁)

「一人の少女が猫をなでているところをヴァロットンが描く時に、それを見ていた人は「その子は、いつ猫を殺すのか。」と言い合って笑ったという。ヴァロットンは、殺したいという欲望の共犯者へと私たちを仕立てあげてしまうのである! この意味で、ヴァロットンはその画業を通じて、ヒッチコックの詩学にそっと触れているのである」(25頁)

「ヴァロットンの絵画の特徴でまず目を引くのは、色彩に対する素描の優位である」(58頁)

「ヴァロットンの大半の裸婦画には顔が描かれておらず、それゆえ人物に個性はない」(59頁)

「ほとんど「機械的」な遠近法によって作り出される空間表現の拒絶は、ヴァロットンの絵画が自身の木版画制作から継承したものの中で重要な要素である」(78頁)

「しかし反イリュージョニズムの技法で最も頻繁に使用されるのは、「視点の移動」である。多くの場合、前景を見下ろすように、視点を画面前景で真っ直ぐに上げる。その高さは主題によって変動する。その結果、ただ1点の消失点によって生じる架空の奥行きの代わりに、下から上へと展開する透視的空間が出現する。これによって空を描くスペースは狭まり、時には画面から空を押し出すまでに水平線が非常に高い位置まで上がる」(79頁)

「西洋のカリカチュアの歴史を引き継ぐ一方で、浮世絵や「漫画」(倉田注:現代の「マンガ」のことではなく、19世紀にヨーロッパに紹介された「北斎漫画」などのこと)など庶民のための日本の美術作品に見られる戯画的要素や、遊びの感覚、軽妙酒脱さを芸術作品に取り入れる柔軟な姿勢は、ヴァロットンのジャポニスムにおける重要な側面である。しかしながら、こうした遊びの感覚が日本美術においては多くの場合観る者を驚かせると同時に愉快にさせるのに対し、ヴァロットンの作品では、反対に、一見楽しげな描写の影に辛辣な諷刺や背筋を冷たくするような歪んだ心理が隠されているのである」(203頁)

「「正直に言うと、この〔リヴィエールの〕独自性は、日本の美しい版画の数々の隷属的な模倣に基づいているに過ぎないと言わざるを得ない――それは、我々には無い視点の取り方から、その描き方に至るまでについて言えることだ。すなわち、これらの視点を与えることが適切な時は良いが、それ以外の場合は理にかなっていないのである。我々の取るべき態度としては、これからも日本美術を良く見て参照することのようだ。残念なことに、本物の日本美術は例えそれが凡庸なものだとしても、我々の間の最上のものよりも常に上をいっているのである」(ヴァロットン)
 このように、大いに日本美術を称賛し参照すべきとしながら、隷属的な模倣を批判する慎重かつ自発的な姿勢は、そのままヴァロットン自身のジャポニスムのあり方を体現している。ヴァロットンは、日本美術の単なる模倣ではなく、常に独自のフィルターを通した咀嚼と翻案こそが重要であると考えたのである」(204頁)
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*2014年09月06日:デ・キリコ展


 朝から快晴。よし、洗濯を済ませたら、ひさびさに自転車で出動しよう! ..とはりきっていたら、洗濯機が小破損 [;_ _]。まぁ、枝葉末節的な個所だったので性能には影響はないが、さすがにそろそろ、寿命なのかなぁ..いつ買ったのかは記憶にないが..何しろ二槽式でしてね [;^J^]。多分、寮を出たときに買ったんじゃないかなぁ..1986年に。[;^.^]

 9:30過ぎに自転車で出動。9:45に、浜松市美術館「パリ市立近代美術館所蔵 ジョルジョ・デ・キリコ展」である。

 全体として、なかなか興味深く、面白かった..どういうことかと言うと、デ・キリコの作品(特に後年の作品)を評価するに際しては、少なくともデ・キリコに詳しい人であれば、ある種の屈折の仕方をせざるを得ないのであるが、今回の展覧会で、新たな視点を教えられたからである。(以下の6図版、いずれも、ショップで購入してきた絵葉書からのスキャンである。)

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 たとえば、この2点を観ていただきたい。左が「吟遊詩人」、右が「不安を与えるミューズたち」。デ・キリコファンなら、誰一人として知らぬもののない名作であるし、デ・キリコを知らない人でも、どこかで観たことがあるのではあるまいか。問題は、この展覧会に出展された「吟遊詩人」は1955年、「不安を与えるミューズたち」は1974年の作品だということである。いずれも、オリジナルは1910年代..

 デ・キリコは1910年代に、のちのシュルレアリスム(に限らず、20世紀絵画の諸潮流)の嚆矢とも予言とも予見とも予知とも呼べる、まさに偉大なる作品群(この2作(のオリジナル)もそうである)を量産したあと、古典絵画の作風に回帰した。この時点で(デ・キリコを範とし、リスペクトしてきた)シュルレアリストたちを失望させ、ディスられることにもなるのだが、こんなのはシュルレアリストたちの一方的な片想いに過ぎず、ひとりの画家が生涯にわたって何度も作風を変えていくのは当たり前のこと。前衛画家が古典に回帰する例も枚挙に暇(いとま)がないほどで、その意味では、実に「ふつーの」経歴に過ぎないのだが..デ・キリコに特徴的なことは、その後(おおむね1930年代以降)、1910年代の(偉大なる)前衛作品たちと「全く同じ絵」を、「何度も何度も繰り返し」描き続けたことである。この展覧会にやってきたのも、その(何度目になるのか、私も(下手すると画家自身も?)把握できていない)「描き直し」作品なのである。

 つまり、彼は、何度かの「古典期」をさしはさみながら(というか並行して)生涯にわたって、若かりし日の「偉大なる前衛絵画」の「レプリカ」を、作り続けたと言えるのだ..普通は(多くの画家や美術評論家には)ネガティブに評価される。(あなたも、おそらくそうするだろう。)曰く「自己模倣」、曰く「芸術的自殺」、曰く「創造力の枯渇」..私も、なんの疑問も抱かずに、そう思い続けてきた。「他人をコピーするのは必要なことである。しかし自分自身を繰り返すのは何とみじめなことだろう」、というピカソの言葉が、デ・キリコほど似つかわしい画家もいないだろう、と、思っていた。(ピカソの言葉自体は、デ・キリコ評ではないが..確か。)

 それが(前記の私自身の信条が)、この展覧会で「覆された」とまでは言わないが、「揺さぶられた」のである。ある作品のキャプションに引用されていた「アンディ・ウォーホル」の言葉によってである。書き写したわけではないので、記憶による大意のみの紹介になるが、つまり彼は、デ・キリコの「自己複製」を、「独創的である」と賞讃しているのである。

 「そりゃ、アンディ・ウォーホルだからだろう」、と、切り捨ててしまったら、そこで話は終わってしまう。ここは、立ち止まって考えなければならない局面である。「そもそも、なぜ、自己複製をしてはならないのだ?」「(2パラグラフ前で紹介した)ピカソの言葉に、どういう根拠があるのだ?」「他人の作品のパロディやパスティーシュが「独創」と認められて久しい。その論理を認めるならば、一歩進めて「自分の作品のパロディやパスティーシュ」も「独創」と評価しなければ、筋が通らないのではないか。そしてさらに一歩を進めて、デ・キリコのように「何も足さず何も引かず、単に同じ作品を繰り返し描くだけ」という「芸術的営為」もまた「独創」と呼べるのではないか」..別に、今この場で賛同してもらわなくてもいい。私自身、迷いながら書いている。しかしここで(私にとって)何よりも大切なことは、「迷いが生じた」ことにある。「もう、私の中ではとっくに(何十年も前、ほとんど高校生時代に)“終わっていた”晩年のデ・キリコの“自己複製”に、意味が生じた」ことにある。“考えたあげく”結局、やはり否定することになるのかも知れない。しかし、“考える”チャンスを与えてくれたのである。アンディ・ウォーホルの言葉は。そしてこの展覧会は。



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 「古典回帰」の作例も紹介しておこう。左は、「馬と縞馬」(1948)。右は、「ノートルダム」(1962)。デ・キリコの「古典的作風」の馬の絵は、非常に数多くの作例があり、多くは一定の水準をクリアしている。彼のキャリアの中で大きな価値を認めるかどうかは人それぞれであるが、私は嫌いではない。そしてこの「ノートルダム」は、初めて観る作品。四の五の言う余地はない。単純に、素晴らしい作品だと思う。



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 左の「噴水と邸宅の風景のある形而上的室内」(1955)も、ずばりこの作品のオリジナルが1910年代にあるかどうかは記憶が定かではないが、この構図(というかアイデア)自体は、それこそ、1955年よりも数十年前に遡るものである。

 晩年の作品の全てが「自己複製」であるわけではない。たとえば「燃えつきた太陽のあるイタリア広場」(1971)の類例は、少なくとも1910年代〜1930年代には存在しないと思う。まさに奇想である。



 11:00頃に出て、11:10に湯風景しおり。日光浴と読書。16:00に出て、街中を軽くポタリング(自転車でぶらつくこと)。久々に古書肆の時代舎で画集を買い、17:30に帰宅。

 夜、少し雨。

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*2014年09月07日:浜松ジオラマファクトリー


 朝から曇天。多少は降るらしい。自転車で外出するのは、やめておこう。

 10:30に徒歩(バス)で出発。浜松駅付近を、軽い街ブラである。昼飯は、ザザシティ中央館の1Fでつけ麺。引き続3Fの、前から気になっていた「浜松ジオラマファクトリー」。

 いやぁ、ここはなかなかいいですよ。残念ながら、山田卓司氏の制作現場を見学することはできなかったが、素敵な作品がたくさんある。パンフレットによると、「240点以上の所有作品から70点を常設展示」ということなので、間を置いて訪れるたびに、展示内容は少しずつ入れ替えられているのだろう。これは、街中の楽しみが増えた。[^J^]

 何時に出たのかは忘れたが、このあとも適当に駅周辺をブラブラ。カフェ TOSCAでひと休み。このあとついうっかり、駅構内にまっ昼間から開いている居酒屋を2軒も見つけてしまい、そのうちの一軒「八丁蔵」に入って、まだ日も高いのに、本日終了..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^] 結局17時過ぎまで飲み食いして、バスで帰宅したのが、18時ぐらいだったかな。

 結局、雨は一滴も降らなかった。自転車で移動すべきだったかな..というのは、後知恵。あとは自宅で居眠りしながら、ゴロゴロと録画整理と、積読処理も少々。

 非常に正しい、休日の無駄遣いの仕方であったことだよ。[;^.^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 11 2014
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