*2014年04月21日:「暗黒神話 完全版」
*2014年04月22日:法律よりも大切なもの?
*2014年04月23日:「HIROSHIMA」事件について
*2014年04月24日:再発直前?
*2014年04月25日:ほぼ再発?
*2014年04月26日:カラヴァッジェスキ
*2014年04月27日:出たり消えたり..
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2014年04月21日:「暗黒神話 完全版」


 雨。帰宅したら、アマゾンに発注していた新雑誌、「画楽.mag」Vol.1 が、届いていた。(帰途、書店で普通に売っているのを見つけていたが。[;^J^])

 「暗黒神話 完全版」(諸星大二郎)を切り抜くのが目的なのだが [;^J^]、第1話(連載第1回)を読んでみた限りでは、これまでの版との違いは認められない。(厳密に照合したわけではないが。)まさかとは思うが..最終回に数ページ追加するだけだったら、どうしよう..[;_ _][;^.^] 今まで何十回も(さすがに何百回まではいっていないと思うが)読み込み、刷り込まれてきた作品なので、どこに手を入れると「完全版」になるのか、見当が付かないのだ。引き合いに出して恐縮だが、永井豪の「デビルマン」のリライト版のような、蛇足の固まりにならないことを祈る。[-人-][-人-][-人-]

 先週ヤフオクで落札した「洋酒天国」の第58号が届いた。品質に問題なし。さっそく、出品者に最高評価。

 ここ最近、連日、右耳が「フクフク」の一歩手前。「ボコッ」と鳴ってこそいないが..

*目次へ戻る


*2014年04月22日:法律よりも大切なもの?


 このような軽々しい場で軽々しく「評論」できる状況ではないので黙っていたのだが..韓国の、沈没事故の件。さまざまな記事をネットで拾い読みしていて、非常に気になる記述にひっかかった。例の船長をどういう罪状に問えるか、についてである。

こうした厳しい捜査方針は、国民の激しい怒りの矛先が政府に向かうことを避けたい朴大統領の意向をくんだものとみられる。ただ、船長の逮捕罪名である船舶事故逃走罪は、船舶間の海上衝突などを前提としており、韓国の法曹関係者の間では適用を困難とする見方も少なくない。

だが、韓国では、法律よりも「国民感情」を優先する傾向がある。

 ..それは、「法治国家」とは言わないのでは。「悪法も法なり」という言葉を知らないのだろうか。

 今、韓国人は、国際的な信用を失ったと嘆いているだろうが、もしもこの船長に対して「超法規的厳罰」をとるとすれば、実はそのときにこそ、国際的な信用を本当に失うことになるということが、果たして理解できているのだろうか。法律を(それも、自分たちが作った法律を)守れない国として..

 「超法規的措置」という言葉は、ある程度以上の年齢の日本人には、苦い思いと共に染みついているはずだ。「連合赤軍」と結びついて..このときに日本が負った深手(地に落ちた国際的信用)を、果たして韓国が反面教師にできるかどうか、注目したい。(その後の報道によると、どうやら、「超法規的措置」をとることなく、船長たちに「殺人罪」を適用できるという、理論的裏付けがとれたようだが..)

*目次へ戻る


*2014年04月23日:「HIROSHIMA」事件について


 17:15。会社でチャイムの音に反応して、右耳が微かにボコッ..

 佐村河内守氏の件について、そろそろ書いておこう。これまで廃墟通信でいっさい触れてこなかったのは、要するに「たいした問題じゃない」からである。今でもそう思っている。世間は無意味に騒ぎすぎだ。

 「交響曲 第1番“HIROSHIMA”」(佐村河内守、大友直人指揮、東京交響楽団、DENON、COCQ-84901)は、発売後しばらくしてから購入して、少なくとも2回聴いている..が、正直なところ、どんな音楽だったのか、よく憶えていない。これは、この作品の価値(個性)の問題ではなく、私自身の問題である。「3回会うまでは顔を憶えられない」という言い方があるでしょう。つまり、あれ。よほど尖った何かがなければ、なかなか身に染みいるものではない。「これほど悲劇的・絶望的な音楽を聴いたことがない..」という評言を(確か「レコード芸術」誌で)読んでいたが、「それほど(特別に)悲劇的・絶望的な音楽かなぁ..?」という印象を受けたことは、憶えている。まぁ要するに、「普通にいい曲」だという印象。買って損はしなかったが、特別に得したわけでもない。人生であと数回ぐらいは聴くかもね、といったところ。

 ..で、実は佐村河内氏の作品ではなく、真の作曲者は新垣隆氏だと判明した途端に、このベストセラー作品の評価は、地に落ちた。それは違うでしょ。

 そもそも芸術の世界では、古今東西、「代作」なんて、珍しくも何ともない。弟子の名前で師匠が、師匠の名前で弟子が作品を作って発表するのは、普通のことである。絵画でも、マンガでも。そして音楽でも。たとえばマンガの世界では、ほとんどがアシスタントの絵であるなんてケース、珍しくもなんともないではないか。必ずしも師匠がコントロールしているわけではない。まぁコンセプトぐらいは師匠が作るとしても、背景とか人物とか、時にはストーリーすらも、それぞれを得意とする優秀な弟子に任せる。今回、佐村河内氏が行ったとされること(コンセプトだけを新垣氏に伝え、あとは全部作ってもらって、自分の作品として発表した)と、どこが違うのか。佐村河内氏の方が(普通の漫画家に比べて)多少やりすぎ(任せすぎ)な感はあるが、程度問題に過ぎないではないか。

 先月号のレコード芸術誌には、あるライターが、「そもそもこんな芸術以前の作品を..」、とか書いていたが、これは明らかに事態に動揺して筆が滑った(逆上した)あげくの文章であるから、引用はしない。ライターの名前も書かない。

 今月号(5月号)のレコード芸術誌に、ようやく、納得のいく冷静な文章が載った。「宇野功芳の 見たり、聞きたり」という連載である。私は基本的に宇野功芳氏とは相性が悪いのであるが [;^J^]、いいことも沢山書いていることは、認めざるを得ない。70頁から引用する。

 今年に入ってから、佐村河内守(かわちのかみ)、もとい佐村河内守の話題で持ちきりだ。彼は天性の詐欺師だと思うが、だまされた、だまされたと騒ぎすぎるのも気になる。実害を受けたヴァイオリンを弾く少女や、佐村河内に恫喝されたという少女の両親は別として、大ベストセラーになった彼のCDを買った人がそれを言うのは筋ちがいだろう。今回の問題で、ぼくが最も腹立たしいのはそのことである。大体、日本人は(他の国の人も同じかも知れないが)、全盲とか全聾とかいうとすぐに大さわぎをし、マスコミが飛びつき、演奏家ならばコンサートは満員、作曲家ならCDが大ベストセラー。日本のベートーヴェンなどとほめ立てる。
 ベートーヴェンは耳が聴こえなかったからすばらしいのではない。作品自体が凄いからすばらしいのだ。みな感動するのだ。本誌の月評に「交響曲第1番」がまわって来たときには、その自問自答の音楽に疲れ果て、原稿を書いたときは、200字詰原稿用紙の真ん中の部分が白くかすみ、字が見えなくなってしまった。しかし、ほとんどの人はこの曲に感動しているのだ。独創的ではないが、なかなかの力作であることは確かである。ぼくには拒否反応が強く出たが、駄作では決してない。ところが、新垣という別人の作だと分かったとたん、今度はだまされたと怒り出す。それではあの感動はウソだったのか。

 もう1本。長木誠司氏の「ディスク遊歩人」という連載でも、この事件と作品を取りあげている。これは大変読み応えがあり、一部を切り出して引用しても中途半端なので、それはしないが、長木氏は、この作品自体を評価している。彼曰く..それはもちろん、マーラー風なのだが、それをもって評価を下げるのはおかしい、現代音楽(現代芸術)の動向に対してあまりにも無知である。パスティッシュはすぐれて有効な前衛手法であり、この作品はその意味で優れているのだ、と。

 また、佐村河内氏は、どうやら「贋全聾」だったようであるが、贋であろうがあるまいが、聾唖者という「マイノリティ」に対する接し方、評価の仕方についても、極めて説得力のある苦言を呈している。

 これは切り抜いておいた。あとで電子化しておこう。

*目次へ戻る


*2014年04月24日:再発直前?


 右耳が、フクフクと暴れ出す直前の、ギリギリの状態。持続音に反応しかかっている。また、今日も終業のチャイムに、反応しかかった。パルシブな金属音も、危ない..

*目次へ戻る


*2014年04月25日:ほぼ再発?


 昨日同様。今日はついに、終業時のチャイムでボコった。夜、布団の中でも、右耳の鼓膜が落ち着かず、フクフクと振動し続けている..

*目次へ戻る


*2014年04月26日:カラヴァッジェスキ


 快晴。朝、テレビで録画番組を観ていたら、一瞬、右耳がボコッ..

 布団干ししてから出動。図書館。クリーニング出し。10:30から15:00過ぎまで、湯風景しおり。15:30、帰宅。

 「カラヴァッジェスキ」という言葉がある。「カラバッジョ派」という意味である。これに属するとされる画家たちのラインナップが凄い。ルーベンス、ベラスケス、レンブラント..カラバッジョは、バロック絵画の開祖と言うべき存在であるが、ぶっちゃけわかりやすく言えば、ルーベンスよりもベラスケスよりもレンブラントよりも、カラバッジョの方が、えらいのである。(まとめ過ぎ? [;^.^])

 彼が作りだしたのは、ひとつの「流派」というよりは、ひとつの「世界(世界観)」である。こういう存在は..そうだな、たとえば「ブレードランナー」には、その栄誉を与えてもいいかも知れない。「ブレラン派」。あの映画は、それ以降の数多くのSF映画(のみならず、数多くのSF小説)の「モード」を変えてしまった。「バットマン」だって、この流派の一支脈であろう。

 じゃぁ、「JP(ジュラシック・パーク)」派は? ないね。技術的にはエポックを画したが、新しい世界を作りだせはしなかった。「LOTR(ロード・オブ・ザ・リング)」なども同様。

 そしてもちろん言うまでもなく、「2001年宇宙の旅」派は、存在しない。あの映画は「孤高」すぎて、誰も、あとをついて来なかったのである。

*目次へ戻る


*2014年04月27日:出たり消えたり..


 快晴。さんざん迷ったが、花博@フラワーパークは先送り。5月中に行くことにしよう。

 某オペラの録画を観る。力作。

 10:20に出て、10:30過ぎから14:00過ぎまで湯風景しおり。14:45、帰宅。(花博に行くべきだったのではないか、という後悔の念が皆無と言うとウソになる。[;_ _][;^.^])

 今日は、夜まで、右耳はまったく異常無し。ヘッドフォンでオペラを結構な大音量で聴いたりもしたのだが..結局、「1」か「0」かではないのだろう。好不調の「アナログ」な波なのであろう。その波が、あるスレッショルドを越えると症状が顕れ、連続して越え続けると、ほとんど耐え難い事態に陥る..そして、その波の制御方法が、いまだ完全にはわかっていない..(この薬は、意味があるのかないのか..)つき合っていくしかないか..このやっかいな「隣人」と..

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 2 2014
Copyright (C) 2014 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]