*2014年03月24日:「夢幻諸島から」
*2014年03月25日:無駄な天才 [;^.^]
*2014年03月26日:忘れたことを忘れたい [;^.^]
*2014年03月27日:選びきれない..[;_ _]
*2014年03月28日:「新編バベルの図書館 6」
*2014年03月29日:ついに冷房
*2014年03月30日:いくらか整理
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*2014年03月24日:「夢幻諸島から」


 先週末の博多旅行に持参して、帰宅するまでに読み終えたのだった。夢幻諸島から」(Christopher Priest、古沢嘉通訳、新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 形としては連作短編集であり、作品ジャンルとしては、ヴァーミリオン・サンズ」(J・G・バラード)見えない都市」(イタロ・カルヴィーノ)(拙文(紹介文)「マルコ・ポーロの 見えない都市」も、お暇ならご覧ください [;^.^])を想起させもするのだが、大きく異なる点がある。バラード作品とカルヴィーノ作品は、いずれも(ある意味、浮世離れした)幻想世界なのだが、本書の設定では、「夢幻諸島」とは、とある戦時下の惑星の「中立地帯」であり、軍事的な「きなくささ」と「暴力性」を通奏低音としているのである。中立地帯とはいえ、完全に紛争と無縁でいられるわけは(もちろん)無く、中には極めつきの残虐行為のエピソードも含まれている。

 とある(SF的な)設定により、正確な地図が存在しない(作れない)世界なのであるが、これはまぁ、厳密な(地理的)設定を作るのが面倒な作者により「SFが悪用された」事例であろう [;^.^]。時代的にも(時間線方向にも)幅広く、この広大な世界を点描する短編群に、何人かの人物(有名人)が共通して登場し、各エピソードをいわば「疎結合」させているのだが、彼ら主要登場人物(というか点景キャラクター)の多くが「芸術家」であるという点で、「ヴァーミリオン・サンズ」へのオマージュを感じさせなくもない。以下、複数のエピソードに現れる登場人物(の主なもの)を挙げると、エスフォーゲン・モイ(芸術家/哲学者)、ジョーデン・ヨー(インスタレーションアーティスト)、ケリス・シントン(コミス殺しの冤罪?で処刑された無学な男)、カウラー(急進的で広く尊敬/崇拝されている社会改革者)、ドリッド・バーナースト(ほとんど犯罪的なまでの猟色家にして人格下劣な、偉大なる天才画家)、チェスター・カムストン(大作家)、タマラ・ディア・オイ(インスタレーションアーティスト)、ダント・ウィラー(記者)、コミス(パントマイマー)、カル・ケイプス(詩人)、及び、最凶最悪の昆虫「スライム」。

 「コミス殺害事件」は、この世界における(歴史的)大事件のひとつであり、複数の視点(主観)から何度も語られるのだが、そのたびに微妙に「矛盾」が積み重ねられ、真相が(そんなものがあるとして)わからなくなる一方である。また、「名前は違うが、実はこいつはあいつ(あの主要登場人物)ではないか?」、と、惑わされる(騙られている?)例も、いくつもある。これらの「矛盾っぷり」が、いかにも「世界」である。

 再読・三読に値する傑作。

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*2014年03月25日:無駄な天才 [;^.^]


 前にも書いたような気がするが、まぁいいだろう [;^J^]。カーステで音楽を常にかけているのだが、目的地(会社や自宅や買い物のために立ち寄る店舗やコンビニなどなど)の駐車場に着いてエンジンを切る直前に、1曲が「ちょうど終わる」ことが、(いちいち数えていないが、多分)週に3回はある。

 そのたびに、私は、「無駄な天才..」..と、呟いているのである [;^J^]。こんなことに小刻みに運を無駄遣いし続けてきたのである。何十年間も..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

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*2014年03月26日:忘れたことを忘れたい [;^.^]


 歳のせいとは思いたくないが、たまには現実に向き合おう [;_ _][:^J^]。何かを思いついたら、すぐにメモを取らないと、忘れてしまうのである。その「何か」とは、例えばこの「廃墟通信」のネタであったり、明日の朝礼で話すネタであったり、ふと気が付いた(調べがいのある)問題(例えば、ある作品とある作品(あるいは事件)の意外な共通点とか)であったりするのだが..すぐにメモを取れない状況というのは、たとえば、車の運転中。なんとか次の信号待ちで手帳を取りだしてメモをしようと必死に頭の中でリフレインし続けるのだが、そんなときに限って「信号運」が良く [;^.^]、やっと止まったのは10分後だったりして、そのときには、メモすべき内容がすっかり揮発してしまっていて、ポケットから手帳を取りだしても、何を書き記すつもりだったのか、もはやさっぱり思い出せなくなっているのである [;_ _]。かくしてこの世界から、「面白いネタ」がひとつ、失われてしまったわけだ。もったいない..[;_ _][;_ _][;_ _]

 いっそのこと、「忘れたこと自体を忘れる」ことができれば、それはそれで幸せなんですけれどもね [;^J^]。少なくとも「損失」に気が付くことはない。実際には、こういう事態もたくさん発生しているのであろうけれど [;^.^]、「何かを忘れたというところまでは覚えている」ことが、実に多くてねぇ..不幸だ..[;_ _][;_ _][;_ _][;^J^]

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*2014年03月27日:選びきれない..[;_ _]


 背景説明は(自明なので)全部略。とにかくさっさとPCを買わなくてはならない。これまでは(ここ数ヶ月間は)そんなことに頭をつかっている余裕も無かったのだが、ようやく少しは余裕が出てきた(というか、余裕の有無に関わらず外的状況に追い詰められてきた [;_ _][;^.^])ので、今さらながらネットでざっとあたりをつけてみようとしたのだが..

 ..想像を遙かに越える「機種の数」に、文字どおり絶句。何これ? どうやって選べというの? 値段だけ? 値段だけなの? もちろん、唯一無二の個性をもっている機種もたくさんあるのだろうが、それが私のニーズにマッチしているかどうかは、また別問題。

 コモディティー化とは、こういうことか。消耗品化とは、こういうことか。もはや「選ぶ」ことすら、時代遅れの行為なのかも知れないな..[_ _]

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*2014年03月28日:「新編バベルの図書館 6」


 やっと最終巻を読了した。新編バベルの図書館 6 ラテンアメリカ・中国・アラビア編」(Jorge Luis Borges 監修、国書刊行会)

 「アルゼンチン短編集」では、「イスール」(ルゴーネス)−猿に会話を教え込むというだけの話だが、実は猿は(端から?)理解できていてそれを隠しているのではないか? というリドルストーリー的な展開になる。「烏賊はおのれの墨を選ぶ」(ビオイ=カサレス)。「占拠された家」(コルタサル)は、さすがの迫力。「駅馬車」(ムヒカ=ライネス)。「物」(オカンポ)。「選ばれし人」(バスケス)は、不死の人・ラザロの悲劇。

 「千夜一夜物語 ガラン版」では、「盲人ババ・アブダラの物語」。「アラジンの奇跡のランプ」−彼が報われたのは、手に入れた宝物に奢ることなく、人格を律したからだ、というような教訓が語られるが、う〜ん..[;^.^]

 「千夜一夜物語 バートン版」では、「蛇の女王」が、ワンパターンの繰り返しだとは思うものの [;^J^]、結局、それなりに面白く読めてしまう。

 「蒲松齢」では、「聊斎志異」から、「孝子入冥」「孤仙女房」「猛虎贖罪」。「人虎報仇」(「書物の王国 16 復讐」にも採られており、私は特選としている。)「生首交換」。「紅楼夢」(曹雪芹)からの2挿話、「夢の中のドッペルゲンゲル」「鏡のなかの雲雨」。

 「レオポルド・ルゴーネス」では、まず序文からの引用、「彼は政治上の志操のなさを非難されたが、1890年ごろはアナーキストであり、1914年に連合国の賛同者になりながら、30年代にはファシストであったということは、同一の問題に関心を持ちつづけながら、時間の経過につれて相矛盾する解決に行きあたるひとりの人間の、多様な誠実さに相応している。私がこの問題をほとんど扱わなかったのは、私が小心だったせいでもある。私は孤高の人というイメージを大事に護っているが、その実、ひとに言われたことをとかく否定したがり、自分の否定的言辞を正当化するために気のきいた理由を探してばかりいたのであった」(ボルヘス、503頁)。「イスール」(「アルゼンチン短編集」とダブリ収録されてるのだが?)。「火の雨」「塩の像」「アブデラの馬」、いずれも、凄い迫力。「ジュリエット祖母さん」の精妙さ。

 そして最後の「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」では、「パラケルススの薔薇」、「疲れた男のユートピア」。及びインタビュー「等身大のボルヘス」から、「――あなたご自身は、霊界の存在を信じていますか。/――いいえ。いかなる霊界も存在しないと確信していますし、そんなものの存在はむしろお断りです。私は身も心も滅びたいと願っています。死後に他人が私を記憶している、という考えすら気に入りません。死んで、私自身を忘れ、他人からも忘れられることを私は望んでいます」(665頁)。

 この叢書、収録されている作品の全てが傑作だとは思わないが(むしろ、選択に異議のある巻/作者の方が多いのだが)、ボルヘスという、単一の(畏敬すべき)主観で選び抜かれているというところに、まさに唯一無二の価値がある。特異な「世界文学全集」として、一生、楽しむことができるという意味では、同じく国書刊行会の「書物の王国」と双璧である。

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*2014年03月29日:ついに冷房


 快晴ではないが、明日は雨になるということなので、9:40に布団を干してから、外出。図書館によってから、10:15、湯風景しおり。14:50に出て、15:15、帰宅。布団を取り込む。

 深夜、ようやく廃墟通信を更新 [;_ _]。博多旅行の写真の整理に手間取りまして。[;_ _]

 ついにエアコンを(長時間ではないが)冷房ポジションに切り替えた。その一方で、まだコタツを片付けるわけにはいかない。季節の変わり目である。

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*2014年03月30日:いくらか整理


 朝、大雨。外出したくない。昼前からは、ほぼ(強い)風だけ..と思ったら、13:10には、また豪雨 [;^J^]。だめだこりゃ。空の落ち着きが無さ過ぎて、スーパーに買い物にいくにも躊躇してしまう。とはいえ、14:00過ぎには晴れ間が広がったが。

 どうせ蟄居するのだからと、いくらかでも生活空間を広げるべく、収納の整理。モノ自体を捨てるというよりは、収納をコンパクトにして、さらなるモノの増加に備えるという、無間地獄..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 75mm×125mmの「情報カード」が、数百枚、出てきた。学生時代から25年ぐらい前までよく使っていたもので、さまざまな思いつきや、書籍からの抜き書きを記入したり、あるいは雑誌や新聞からの切り抜きを貼り込んだりしている。その後は、いきなりPCに入力するようになり、使用頻度もほぼゼロになったのだが..

 ..今となっては、存在意義の無いカードも、たくさんある。「常識」として身についてしまった内容のカードもあれば、別の形で電子化済みのカードもある。それらは容赦なく捨てて、なお残った(今なお価値ある情報源といえる)百数十枚のカードを、片端からスキャンしてPC(及びバックアップメディア)に収め、廃棄した。そのうち、何かのネタに使うことにしよう。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 3 2014
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