*2008年07月28日:山本モナ
*2008年07月29日:600m
*2008年07月30日:自転車の腕信号について
*2008年07月31日:「センセイの書斎」
*2008年08月01日:「百物語の怪談史」
*2008年08月02日:赤塚不二夫、逝去
*2008年08月03日:「立喰師列伝」
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2008年07月28日:山本モナ


 未だにほうぼうのメディアを賑わせているが、もういい加減にしていただきたい。所属事務所では山本モナを謹慎処分にしたそうだが、私が見ているバラエティ番組(ネプリーグとかロンドンハーツとか)には、普通に出演しているぞ。もちろん、問題発覚前に収録したものなのだろうが、番組(あるいは出演シーン)を差し替えるどころか、「この番組はX月X日に収録したものです」というテロップすら、流れない。要するにテレビ局的には、全然、たいした話じゃないのだ。そして本件に関する限り、テレビ局の判断は全面的に正しい。

 もちろん、「不倫」は良いことではない。しかし、公共の電波や公共の紙面(誌面)を度々費やすほどの問題でも、到底ありえない。ほかの重要なニュースに割くべきリソースを無駄遣いするのは、もういい加減にしていただきたい。

*目次へ戻る


*2008年07月29日:600m


 今ごろになって気がつくのも、我ながらどうかと思うが..これまで会社への通勤には、片道14.2キロの経路を使っていたのだが、これより多少近く、所要時間も大して変わらない経路があったのだ。(ローカルな地名で恐縮だが、東名浜松西インター付近から、浜松環状線の500メートル東側を北上する道である。)計測してみたところ、こちらを使うと、自宅から会社まで13.6キロ。その差、僅か600mとはいえ、わかってしまうと看過できない。[;^J^]

 それに、別に「裏道」というわけではない。交通量の多い、安全な道なのだ。(交通量の多い道の方が、交通量の少ない道よりも安全であることは、言うまでもないだろう。)今後は原則として、こちらを通ることにしよう。

*目次へ戻る


*2008年07月30日:自転車の腕信号について


 旧FCLA関係の知人のNさんから、自転車の腕信号に関する私の先日の日記について、指摘があった。(「N氏」と書くと、星新一っぽいなぁ。[;^.^])

 私は、「右折するときは、右腕をまっすぐ右下方に伸ばす。左折するときは、「右腕を」直角に曲げて上を指す」、と書いたのだが、これが実は勘違いで、正しくは、

左折・左への進路変更→ 左腕を水平にのばすか、右腕をL型に上げる
右折・右への進路変更→ 右腕を水平にのばすか、左腕をL型に上げる
徐行・停止→ 腕を斜め下にのばす

 ..だとのこと。左右対称とは、知りませんでした [;_ _][;^J^]。私は、「後輪ブレーキを司る左手をハンドルから離すのは危険なので禁止。故に左折信号も右腕で出す」、と、40年ぐらい前に習ったような気がするのだが..さすがにこの年月となると記憶自体怪しいし、その後ルール(の細部や運用)が変わった可能性も低くない。[;_ _][;^.^]

 いずれにせよ、「左腕をL型に上げる」を「右折信号」と認識できるドライバーは、非常に少ないと思う。また、「徐行・停止の際は、腕を斜め下にのばす」にしても、「水平にのばしたつもりだが、後方から見ると客観的には斜め下方向である」ことがある..というか、つい最近、この事例を目撃したばかりである。通勤経路沿いに自衛隊浜松北基地があり、基地内の外周路を走っている車やら自転車やらを金網越しに見ることができるのだが、先日、自転車の一列縦隊が、右腕を斜め下方にまっすぐのばして、右折して行った。改めて思い出してみるに、下方といっても20〜30度くらいで、水平にのばしていたつもりだったような気もする。そもそも、水平にのばしていても、右折する時点で多少バンクがつくので、斜め下に向いてしまうとも思う。つまり、この腕信号体系では、実際の運用時には、「進路変更」と「徐行・停止」は、区別がつかないことが多いのではなかろうか。

 この体系、欠陥品だと思うけどなぁ..[;^J^] 今さら廃止・変更することは現実的ではないのだろうが..ちなみにNさんからは、教則に関するまとめサイトのURLも紹介していただいた。→ http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2091/bikesafeprogram/kyosoku/kyosoku1978.html

 銀座ヤマハに、ワルツィングキャットのピアノ・コンダクター譜を発注。

*目次へ戻る


*2008年07月31日:「センセイの書斎」


 旧FCLA関係の知人のNさん(昨日のNさんとは別の人)から、1年近く?前に借りていた「センセイの書斎」(内澤旬子、幻戯書房)を読了した。(「N氏」と書くと、星新一っぽいなぁ。[;^.^])(例によって)積読の山の底に沈めて忘れていたというわけではなく、今年のこの時期(まで)に読むと、当初から決めていたのである。なぜなら、夏オフで手渡しで返すつもりだったからだ。(ほんとだよ。[;^J^])

 以前、紹介した「書斎曼陀羅 本と闘う人々 1・2」(磯田和一、東京創元社)と同じジャンルの本であるが、「書斎曼陀羅」が、どちらかと言えば容器である「書斎」にフォーカスしているのに対し、本書はコンテンツである個々の書籍のタイトルにフォーカスしていると言える。本書で紹介されている「八ヶ岳大泉図書館」(現在は、「金田一春彦記念図書館」に改称されている)には、5年前に訪れている。懐かしい。

*目次へ戻る


*2008年08月01日:「百物語の怪談史」


 相変わらず、手塚治虫の怪奇幻想漫画の分類作業に難渋しており、従って、当然のように「百物語の怪談史」(東雅夫、角川ソフィア文庫)あたりに逃避しているわけであるが [;_ _]、「類書」と言って言えなくはないので、別に少しもやましくなんかないっ [;^.^][;^.^][;^.^]

 とはいえさすがに、まともな感想文を書いている時間は無いので、例によって、ポストイットしたところを抜書きしてお茶を濁しておく。

「しかしながら、百物語原理主義の視点に立って、その基本構造を眺めるならば、稲生怪異譚とは、百話満了によって召喚された怪異現象が異様に長期化した百物語怪異譚にほかならないのである。」(62頁)

「史上最大の百物語怪異談と呼んでも過言ではない「稲生物怪録」は、百鬼夜行と百物語を結ぶミッシング・リングだったのである。」(64頁)

「つまり、夢物語や怪異譚というものは、たった一つか二つだけ気紛れに、偶然のように持ち出しても意味がないのであり、本当にそれが夢、幻想、怪異であることを味わうためには、ひたむきにそれをくりかえし、系列化して、何度でも連続して語りつづけなければならないという問題が介在しているのである。百けん(内田百けんのこと − 引用者注)はまさにくりかえし夢と怪異を語って「百物語」としたことによって、その本質を鋭く押し出している(高橋英夫)。」(237頁)

「先述のとおり、百物語とは本来、怪しい話、不思議な話を百話連ねることによって、その場に怪異を召喚する呪法であった。
 なぜ、怪異を喚びだすのか?
 武家の子弟にとってそれは、ひとえに肝試しのためだったといってよかろう。得体の知れぬ怖ろしいものと直面しても、これに屈することなく、武術や知略によって怪異に打ち勝つ胆力を養うために、百物語は開催されたのである。その典型と目されるのが、近世最大規模の百物語怪異譚として第二章で詳述した『稲生物怪録』であった。
 平太郎少年の例に限らず、近世の百物語怪異譚には、百物語を遂行したことによって、福徳を授けられたり出世したりする……という「めでたい結末」の話が非常に多い。
 逆に、百物語によって召喚された怪異が、参加者に危害を及ぼしたりするような「悲惨な結末」の話は、意外なほど少数派なのである。
 してみると、百物語そのものへの信仰が崩れ去った近現代における百物語小説の多くが、総じてネガティヴな「失敗した百物語」の物語たらざるを得ないのは、当然の帰結といえるのかも知れない。
 近世にあって、「百物語という呪い」は、しばしば「祝い」と同義であったわけだが、近代以降、百物語はまさしく「呪い」と化したのである。」(254頁)

*目次へ戻る


*2008年08月02日:赤塚不二夫、逝去


 朝7時頃、えらく景気良く雨が降ったのだが..CSが一時的に入らなくなった。この程度で? ほどなく雨は上がったが、なお暫くは受信しにくい状況が続いた。どうも釈然としない。やはりアンテナ自体か、それ以降の系のどこかに、ローカルなトラブルが発生しているのだろうか?(例えば、配線のどこかが水を浴びやすく、乾くまでは映りが悪いとか。)ハードウェアを外側から観察する限り、素人目には問題になりそうな箇所は見当たらないんだがなぁ..台風シーズンが始まるまでに、業者にチェックしてもらおうかなぁ..

 暑い!

 私が住まうアパートの、駐車場をはさんで南側にある(相当年季が入っていた)小さな貸家(一戸建て)2棟の取り壊し工事が行われている。小さな建屋なので、今日中にあらかた片付くだろう。私には、こういう重機(など)が働いているさまを、果てしなく果てしなく見つめ続けていられる性質があり、ふと気がつくと時計の針が予想外の角度を指していたりするので危険である [;^J^]。私は全く憶えていないのだが、親がいうには、5歳かそこらの私は、造成地でブルドーザーが動いている様子を、朝から晩まで、ずーーーっと見ていたということだ。[;^J^]

 おやおや、月刊PLAYBOY(日本版)休刊ですか。販売部数の激減に歯止めがかからなかったらしい。女性がどう思っているかは知らないし、もう何年間も立ち読みすらしていないので最近はどうなっているのかは知らないのだが、少なくともかつて、月刊PLAYBOYは、実に硬派な雑誌だった。1980年4月号には、手塚治虫の、ごついインタビュー記事も掲載されていた。

 赤塚不二夫、逝去。もうそう長くはないものと覚悟していたが、やはり寂しい..もしも赤塚不二夫がいなければ、現代日本は、どのような姿であったろうか..

*目次へ戻る


*2008年08月03日:「立喰師列伝」


 暑い暑い暑い!

 録画したてのほやほやの「立喰師列伝」(押井守監督作品、2006)を観る。もちろん、逃避である。[;_ _]

 タイトルだけは、以前から知っていたのだが..へぇぇ、こういう映画だったのか。実写とアニメの融合を図る「スーパーライブメーション」とかいう技法。まるで手塚治虫の実験アニメーションを観ているようだ。(類似の作品があるというわけではなく、直感的に受けた印象として。)

 しかしその印象も、セリフ(ナレーション)が始まる瞬間までであり、あっというまに、いつもの押井守節 [;^.^]。まったくもう、この人ったら、何を撮っても(何を作っても)こうなっちゃうんだからぁ。[;^.^]

 別に、悪いことではない。これほどまでに(誰の目にも明らかな)個性を確立できているということは。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 8 2008
Copyright (C) 2008 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]