*2004年03月15日:割り箸事件
*2004年03月16日:手塚治虫の特集だろうに..
*2004年03月17日:「フューチャー・イズ・ワイルド」
*2004年03月18日:異動決定/出版差し止め事件
*2004年03月19日:「静一人」
*2004年03月20日:インプレ3件
*2004年03月21日:人形は顔が命
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*2004年03月15日:割り箸事件


 ここ最近、こだわりやまで、ふと気が付いたら「割り箸」を噛んでいたことが、数回ある [;^J^]。まぁ、社会通念として、「睡眠系(寝惚け系)の深酒状態では何やらかしてもノーカウント」(のはず)であるから、別に問題はないのである。

 食べるつもりだったのだろうなぁ..[;^J^] わざわざ別の割り箸で割り箸をつまんで口に運ぶ、などという器用なことをしていた形跡はないので、(とはいえもちろん、記憶はハッキリしていないのだが [;^J^]、)手にした割り箸を直接噛んでいたと思しい。焼き鳥(焼き串)か何かに見えたのかなぁ..割り箸って、意外に硬くて、角度によっては歯を痛めかねないので、出来るだけ囓らないことをお薦めしておく。

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*2004年03月16日:手塚治虫の特集だろうに..


 「まんだらけZENBU」のNo.22をようやく入手し、目を通す。今後は毎号、オークションであるらしい。

 何度か書いていると思うが..私は、「まんだらけ」という企業の存在意義は多いに認めているものの、現在の「金の亡者モード」の「まんだらけ」は、大っ嫌い である。オークションを主催して下さるのはありがたいが、「高値誘導に余念が無い」企業姿勢に鼻白む。高過ぎも廉過ぎもしない「適正価格」で流通してこそ(させてこそ)、古漫画業界が健全に育ち、古漫画が健全に保全されるのではないか..じゃあ何故、このムック(雑誌ではない)を毎号買っているのかって? それは、資料的に貴重で保存に値する連載が、いくつかあるからである。

 ..で、今号の特集は「誰も知らなかった手塚治虫」なのであるが..最初のページから、おぃおぃである..


(カタログNo.1006)「手塚治虫原画:鉄腕アトムとビッグXの競演は本編では見られない組み合わせなので、何らかのスペシャル企画用原稿だったのか、ちょっとした悪戯か。描きかけではありますが、贅沢な原画です。」

(カタログNo.1007)「手塚治虫原画:作品名は不明。成人男性がお酒を持って忙しそうです。右のコマの人物における漫画的表現が、いかにも手塚氏といった印象。」


 ..あのなぁ..「鉄腕アトム対ビッグX」とくれば、短編「ひょうたんなまず危機一発」に決まってるでしょーが..これは、「鉄腕アトムシリーズ」の「定本」である「朝日ソノラマ版」にも収録されているんだぞ。読んでなかったのか? それと、カタログNo.1007。一目瞭然、「地球を呑む」の主人公の「関五本松」ではないか。手塚治虫の全作品中、ベスト10入りは無理だとしても、ベスト50には確実に入る、代表作のひとつだぜ。読んでなかったのか?

 ..情けない。みっともない。他の古書店のカタログの記載であれば、別になんとも思わんが..「まんだらけ」なんだぜ、漫画文化の守護神を自ら任じて大言壮語している..

 無論、何百人もいる「まんだらけ」の社員の全員が、上記のことがわからなかった、などということはありえない。今号の「特集ページ」を見て、身もだえするほど恥ずかしがっている社員も、きっといるはずなのである..問題は、特集記事(オークションのデータ)の記載内容に不備がある(不明な点が残っている)のに、それを(社内で)確認もせずに、出品してしまっている「企業姿勢」にある。「なんかよくわからないけど、手塚治虫だし、値打ちあるんとちゃう?」..こんな態度が許せるか! それでもプロか! これでは、ヤフオクに(いい加減なコメントを付けて)出品しているシロウトたちと、なんら変わりないではないか!

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*2004年03月17日:「フューチャー・イズ・ワイルド」


 「フューチャー・イズ・ワイルド」(Dougal Dixon、John Adams、2003、松井孝典、土屋晶子訳、ダイヤモンド社)のインプレである。

 本書は、この著者による「新恐竜」「アフターマン」「マンアフターマン」の系譜に連なるものである。「新恐竜」は、「もしも恐竜が絶滅しなかったら、どのように進化したであろうか?」、「アフターマン」は、「遙かな未来、人類絶滅後に、他の生物たちはどのように進化して、この地球上にはびこってゆくであろうか?」、「マンアフターマン」は、「人類はどのように変貌し、進化してゆくであろうか?」、という思考実験を、見事な考察と素晴らしいイラストレーションで展開してみせたものである。「フューチャー・イズ・ワイルド」は、人類が滅亡したのちの、500万年後、1億年後、2億年後の地球上の生態系を考察したもの。生物進化の可能性を緻密に追う、というよりは、大陸移動とそれに伴う環境の変化にフォーカスしている。

 さて、その出来映えは、というわけだが..残念ながら、「新恐竜」「アフターマン」「マンアフターマン」には、遙かに及ばない。この3冊には、「超遠未来を見晴るかした時の、遙けき憧れと恐れ」があった。強烈な幻想(幻視)があった。その異様な生物群の図像は、文字どおり「(あまりにも“異なっている”が故の)恐怖を呼び起こす」ものであった..「フューチャー・イズ・ワイルド」には、これらが、全く欠如しているのである。

 理由は、実は自明である。「新恐竜」「アフターマン」「マンアフターマン」の図像は、手書きのイラストであった。それに対して、「フューチャー・イズ・ワイルド」の図像は、CGなのである。

 手書きの(緻密な)イラストであればこそ、先行する3冊は、文字どおり「図鑑」としての“高貴な”リアリティを獲得していた。それに対して、「フューチャー・イズ・ワイルド」のCGは、(実際、出来はあまり良くないのだが、それはさておくとしても)緻密であればあるほど、「贋物=作り物」にしか見えないのである。こんな生物が地球上を闊歩することなど、絶対にありえない..とまでは思わないにしても、21世紀の人類が頭で思い付いた「戯れ言」に見えてしまうのである。そこには「リアリティ」も「幻想」も「恐怖」もない..

 「だからCGは..」とか、「だからITは..」とかいう話題に持ち込むのは、本意ではない。われわれは、今なお、先端技術の使い方がわかっていないのである。

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*2004年03月18日:異動決定/出版差し止め事件


 4月1日付けで異動することになった。同じ浜松だが、現在の勤務先とは違う事業所の中の部署。仕事の話なので、細かいことは書かないが、ま、入社以来、同じジャンルの仕事をずーーーーーっと続けてきた私の視点に立って言えば、リフレッシュするチャンス(あるいは潮時)と言える。ちなみに、本件を含む一連の人事異動は、今週末に発表される予定。だから、これを書いている時点では未公開情報なのだが、あなたがこれを読む頃にはとっくに発表済み(のはず)なので、別に問題無いのである。

 週刊文春の、田中真紀子の長女関連。出版差し止めとのこと。週刊文春のウェブページで、タイトルだけは読むことができるのだが..この「事実」自体は、芸能人なら、全く問題にならない(問題にされない)レベルの記事。一般人の認識としても、こんにち、それほど“恥ずかしい”ことではない。米国などでは日常茶飯事に過ぎない。別に秘密でもあるまいし(というか秘密を守ることもできまいし)..よほど、踏み込んだことが書かれていたのだろうか?

 まぁ、本文を読まなければ判断出来ないが..どうしても違和感が残る。この程度の記事が「出版差し止めに値する」ということであれば、大概の週刊誌の大概の号は、すべて出版不能ではあるまいか。私は別に、「みんなで渡ればこわくないっしょ?」みたいな主張をしているのではなくって..「波及効果」とか「バランス」とか、考えているのか? 東京地裁は?

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*2004年03月19日:「静一人」


 手塚治虫関連で、ちょっと面白い資料をヤフオクで発見&落札し、本日入手した。


決して静かではない静香さん(エッセイ)::1:「静一人 園田静香 作詞・作曲集」(私家版レコード):87/05

 ..である。

 落札した時点では、これがレコードであるということに気が付いておらず [;^J^]、お陰で今日になってから、少々慌てたわけなのであるが..ライナーノーツを読むと、園田静香というのは「数寄屋橋」というクラブのママさんで、マルチタレントである(ママ業の他に、書籍の装幀等を手掛けているイラストレーター、日本舞踊の名取り、ビジネスマン、など)らしい。そして彼女の才能に魅せられた手塚治虫の肝いりで、この際、シンガーソングライターにもなってしまえ! [;^J^]、とばかりに、このレコードが作られたようであるのだが..凄いのは「ゲスト」である。

 60ページ以上の冊子が添付されているのだが、その内容は、園田静香が作詞した「詞」のひとつひとつに、1ページ使って「書」と「絵」が寄せられているものであり、「書」の参加者は、尾崎秀樹、勝目梓、菊村到、北方謙三、早乙女貢、笹沢左保、佐野洋、志茂田景樹、高橋治、高橋三千綱、眉村卓、三好徹、森村誠一、渡辺淳一。「絵」の参加者は、安孫子素雄、石ノ森章太郎、おおば比呂志、小林秀美、さいとう・たかお、ちばてつや、司修、永井豪、成瀬数富、濱野彰親、牧野圭一、松本零士、間部学、水島新司、村上豊、本宮ひろ志..という、錚々たるメンツ。(さいとう・たかをに至っては、歌まで歌っている。[;^J^])恐らく皆さん、「数寄屋橋」の常連さんなんでしょう。なにしろ私家版であって、番号も何もついていない「レコード」なので、今後の入手性には大いに難ありと予想される。面白いものが手に入って、ラッキー!

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*2004年03月20日:インプレ3件


 今日は、なんだかんだで積読を5冊弱片付けた。そのうちの3冊のインプレ。

 「クラッシャージョウ [9] ワームウッドの幻獣」(高千穂遙、ソノラマ文庫)

 素晴らしい! 見事な職人芸! この迫力ったら!

 前作「悪霊都市クルル」から、実に(ほとんど)15年ぶりの新作。(「外伝」みたいなのがあったが、それは除く。)そしてその「悪霊都市クルル」自体も、その前作から、ほとんど10年ぶりだったのである。つまり、「クラッシャージョウ」というスペースオペラは、急激に寡作化(というか、事実上、中断・終息)したシリーズなのである。そして、これはもう何年前のことだか覚えていないが、クラッシャージョウの新作が止まった理由について、高千穂遙は実に明確に回答していた。

 「ネタが無くなった」、というのである。「シリーズものは、1作でも駄作を書いてしまえば、命脈は尽きる」、というのである。(単に仕事をさぼっていたわけでは無いらしい。[;^J^])つまり、15年ぶりに新作を世に問うに値する「ネタ」を、今回思い付いた、ということなのである。

 本書のエピグラフは「ヨハネ黙示録」からの引用であり、目次を見ると最終章は「最後の審判」である。また、「七つの目と七つの角を持つ怪物」だの「苦(にが)ヨモギの森」だの、「黙示録」の世界の「記号」が、わんさか出てくる..が、心配無用 [;^J^]。これらは全て「装飾」である。「クラッシャージョウ」の作品世界をはみ出すことのない(つまり、「宇宙の意志」だの「宇宙の根元的な悪」だの、作品世界の寄って立つ基盤を根底から覆すような「超存在」は一切出てこない)、「ジャストサイズ」の痛快活劇娯楽編。「恐るべき(驚くべき)能力を持つベム(モンスター)」が登場し、タイトル的にもストーリー的にも、この怪物が軸であるが、しかし、本書において本当におぞましい「敵」は、実は(単なる)人間であり、この悪逆非道の人間たちが過去に犯した大虐殺事件から生き残ったものたちが繰り広げる「復讐譚」が、もうひとつの軸。もう、なんというかなんというか..!! 最高水準のエンタテインメントである!!

 「デイワールド」(Philip Jose Farmer、ハヤカワ文庫)

 えっと..面白いか? これ..[;^J^] どういう物語かというと、地球上の全人口は7つに分別され、「月曜日に活動する人々」「火曜日に活動する人々」..と、一週間に1日だけ起きて、残りの6日間は、寝ている..んじゃなくて、(そこはそれSF的な屁理屈と小道具で、)「固定」している。つまり、その状態では時間が止まっているも同然で、食糧も何も消費しない..このシステムによって、人口爆発のプレッシャーを緩和して耐え抜いている社会..ここを舞台として、「曜日から曜日へと渡り歩く(要は、1日が過ぎても、固定したりせずに、次の日も引き続き活動しているというだけのことではある)犯罪者」が出現したりして、ミステリしたりサスペンスしたりするのであるが..企画倒れだと思う。

 「奇想」には違いないのだが、この「曜日ごとに構成人員が全く異なり、文化も異なる」社会に、さほどの「魅力」が無く、かつ、この設定の説得力もほとんど無いのである。無駄な登場人物も多いし..世間の評価は、当てにならんなぁ..

 「水晶の涙」(横田順彌、徳間文庫)

 素晴らしい! 実在の押川春浪らを登場人物とする、著者十八番の「明治もの」のひとつであるが..ここには「奇想」どころか、「新規なアイデア」も、ほぼ全く無い。SFアイデア的には、ハル・クレメントの「20億の針」(1950)の水準であり、SFの歴史にもたらしたものは、ほぼ何も無いと言ってよかろう。

 しかしそれにしても、なんという心地よい世界か。こんにちのSF状況にあっては、こういう作品は、居場所が無いのだろうか? 市場が無いのだろうか? そんなことは信じられない。是非とも、陽が当たって欲しい。(しいて難癖をつけると、各章にエピグラフ的に引用されている「多田の手記」が、ほぼ全く、なんの効果も上げていないこと。[;^J^])

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*2004年03月21日:人形は顔が命


 もはや旧聞に属する話だが、AIBOの店頭売りが終了して、通販のみに戻るとのこと。報道によると、モデルチェンジするたびに売れ行きが下降していたとのことである。

 「そりゃそーでしょ!」、と、(「電脳なをさん」の読者ならずとも)誰もが納得するであろうことよ [^.^]。大体、何代目だったかな、「クマの玩具」が出てきた時点で、「これはアカンのでは..[;^J^]」、と、先行きを危ぶんでいたのである。別に、先見の明を誇るつもりは無いけどさ。ま、とにかく頑張ってくれ > SONY。「何の役にも立たない(高価な)ロボット」というコンセプトは、最高に未来的で最高に素晴らしいものであり、これに膨大な経営資源を投下出来る企業の最右翼は、やはりSONYであろう、と、確信できるので。

 ちなみに、今夜のサブジェクト。「AIBOは人形じゃねーぞっ!」、という、ごもっともなご指摘もあるかと思うが..「AIBO」は「犬」 → 「犬」と言えば「イノセンス」 → 「イノセンス」のテーマは「人形」、というロジックなのである。完璧だね。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 24 2004 
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