*2002年06月10日:挿入される方がマシ
*2002年06月11日:「ばく」
*2002年06月12日:アルバイトについて
*2002年06月13日:新幹線と在来線
*2002年06月14日:ほとんど災害
*2002年06月15日:国会図書館/慶雲寺で墓参り
*2002年06月16日:屋根裏の資料群/ブラック・ジャックのデータ修正
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*2002年06月10日:挿入される方がマシ


 代休取得。朝いちから聖隷三方原病院で、注腸検査である。

 バリウム検査をご存知の方は多いであろう。あれの腸版である。つまり胃のかわりに腸を空っぽにして、そこにバリウムを注入し、空気で膨らませて造影写真を撮る。鬱陶しそうでしょ。

 別に苦しくは無いのだが..何より面倒なのが、三日前から食事に注意して、前日は病院に指示された食事以外口にしてはならず、さらに前夜には下剤(3種類)を処方され、一晩中トイレに通うハメになる、ということである。これは誤算だった。大腸ファイバーの方が、遙かにマシだ。

 大腸ファイバーは、胃カメラの大腸版である。これも腸内を空っぽにしなければならないのだが、この場合は食餌制限を行わず、前日に下剤を使うことも無い。検査当日、数時間から半日かけて、腸に吸収されない(不味い)水を2リットル呑み、一気に洗い流すのである。その日一日で完結しており、準備に心患わす必要がない。

 さらに、注腸検査は、要するに「バリウム検査」なので、バリウム検査の一番イヤなところ(傾斜する台の上での、いつ果てるとも知れぬ「い〜も〜む〜し〜、ご〜ろごろ〜〜」)は、しっかり同じなのである。もぅ、さいって〜〜っ

 決めた。今後、腸を検査する必要に迫られたら、何はともあれ大腸ファイバーだ。注腸検査は二度とやらん..とは言わないが、極力避けることにする。(ま、外側から写真を撮る「バリウム」系の方が、カメラを挿し込む系よりも料金は廉いようなのであるが。)

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*2002年06月11日:「ばく」


 1年くらい前にどこかで読んだ話だと思うので、事実としては3年くらい前に読んだ話なのであろう。高校生同士の、不思議な会話の目撃談である。


「…だったりしてな、ばく」
「…そこでオレは言ってやったわけよばく」
「…試験の準備、なんもしてねーや、ばく」

 ..これは一体なんなのだろう?..と、彼らの会話を小耳にはさみながら首をひねっていた男は、ようやく思いついた。これは、「(爆)」だ。

 「(爆)」の乱用のセンスの無さについては、かつて「「(爆)」について」という一文で指摘済みなので、繰り返さない。しかしその時点では、「(爆)」は書き言葉(書き文字、文字絵)だと思っていたが、まさか音読される時代が来るとはね。

 しかも彼ら(高校生)は、眉一つ動かさず、なんの感興もなく、「(爆)」という文字の原義に思いを致すこともなく、単に句読点として読み上げているだけなのだ。つまりもはや、「(爆)」は消費しつくされたのだ。「(爆)」は死んだのである。

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*2002年06月12日:アルバイトについて


 アルバイト体験が稀薄である。「家庭教師」や「新聞配達」のようなメジャー(?)な体験は無く、想い出せるのは、大学に入ってからの「植木屋」でのアルバイト、同じく学生になってからの「模試の監督(及び採点)」、あと、学生時代に入り浸っていた某パソコンショップから、月々いかほどか頂いていた。

 最後のものについて、若干補足すると..私はほとんど、何も「仕事」をしていなかったのである。同じく入り浸っていた悪友どもの中には、その店で売り物になる水準のゲームやユーティリティソフトやハード(増設ボードの類)を開発して提供したり、その店が主催したパソコン教室のための顧客管理ソフトを作成したりしていた連中も多く、彼らの仕事は確かに対価を頂戴するに値する。しかし私は、ほとんど何もしなかった。単にその店で遊んでいただけである [;^J^]。しいてこじつければ、「コンサルタント料」(!?)であろうか。シャープ系の店であり、集まるマニアも概してシャープファンであったが、私は(その店では異端の)NECファンだったのである。NECのパソコン(PCシリーズ)に関しては、何かとしゃしゃり出ていたような気がする。当時出たばかりのPC−8801のグラフィック能力(カラーパレットによる中間色表現)に感動し、これを最大限に駆使したPC−8801用(PC−9801用だったかも?)のお絵かきソフト、「ART88」の作成を試み、確かこれの開発費用として1万円/月位は貰っていたような記憶もあるが、私は、このソフトの作製をいつしか放棄してしまったのである。それまでに貰った「アルバイト料」に関して、倫理的な問題が少なくとも私の内部では発生したはずであるが、まぁ、時効だから、全然OK。

 中高生時分にはアルバイトをしたことが無いのかというと..微かに記憶しているのが..「襖(ふすま)屋」でのアルバイトである。中学時代か高校時代か判然としてない。確か冬休みだったはずだ。何故なら、襖屋は年末に忙しくなるものであるし、店の中や庭でストーブや焚き火を焚いていたことを憶えているからである。

 これはなかなか「文化的」で楽しいアルバイトであった。もちろん、シロウトが襖貼りをさせてもらえるわけがないし、ノリの準備などの下ごしらえすらした記憶がなく、もっぱら、店主(店員)と共に客先に車で乗り付けて、交換(あるいは廃棄)する古い襖を運び出す役割(及び、店に戻ってから、廃棄・清掃を行う係)であった。納品する襖は、絶対に持たせてもらえなかった。どこかにぶつけて穴を開けたら大変だからである。

 ..にも関わらず「文化的」で楽しかったのは、納品する襖たちの「美しさ」故である。多くは、中国を舞台にした山水、枯山水。あるいは図案的に、動植物・鳥類をデザインしたもの。これらが襖屋の店の奥で、襖に貼り付けられていくのを見ながら、本当に飽きることがなかったのである。

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*2002年06月13日:新幹線と在来線


 浜松在住の私は、東京への往復には、もっぱら新幹線を使う。(たまに東名ハイウェイバス。)在来線(東海道線)に乗る機会は、年に殆ど一度だけ。静岡で開催される「大道芸ワールドカップ」を見物に行くときだけである。(首都圏内の短距離移動、例えば東京・品川間の移動の際などに乗ることはあるが。)

 当たり前と言えば当たり前だが、全く雰囲気が違うのである。新幹線の乗客の圧倒的多数はビジネスマンである。それに対して在来線のユーザーは、もちろんビジネスマンもいるにせよ、目立つのは家庭の主婦、学生、子ども。近所への買い物や通学の足なのだ。

 新幹線と在来線の、もうひとつの決定的な違い。それは「目線の高さ」である。多くの場合、新幹線は少し高いところを走っている。周囲の風景を見下ろす(あるいは見晴るかす)形になる。さもなくば、低いところに潜る..いずれにせよ、多少とも「非日常」の存在である。それに対して在来線は多くの場合、「地べた」を走っている。“地に足がついている”のであった。(普段、新幹線にしか乗らない私など、かえって落ち着かないのだが。)

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*2002年06月14日:ほとんど災害


 「蔵書量は?」「床上50cm」

 ..って、どこで読んだネタだったかなぁ [;^J^]。実感の裏付けを伴う名セリフである。(ちなみに私の自宅の蔵書量は、「ところにより床上50cm」程度なので、全然どってことないのであった。)

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*2002年06月15日:国会図書館/慶雲寺で墓参り


 朝いちで国会図書館。午前中に、「漫画アクション」「アサヒグラフ」などの手塚治虫関連記事をチェック。多くは、ヤフオクで(キーワード「手塚治虫」でアラートをかけて)発見し、「落札するまでもなく図書館で確認すれば良い」、と判断して、メモっていたものである。

 当初の予定では、もちろん終日国会図書館で調査するつもりであったが、午後から(神保町を経て)東神奈川の慶雲寺へ。O君の墓参りである。(今週になってから、急に、旧友間で話がまとまったのであった。)M先生、K君、O君。駅前の喫茶店でビールを飲んでから実家へ。

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*2002年06月16日:屋根裏の資料群/ブラック・ジャックのデータ修正


 実家を発ち、9:24中山駅行きのバス。久しぶりにTさん宅で、手塚治虫関連調査。まとまった規模の調査は前回までで一段落ついており、その後にポツポツ溜まってきた調査案件がある程度の量になってきたということで、アポを取っていたのである。というわけで、「少年画報の付録」「漫画王の切り抜き」などを、落ち穂拾い的にサルベージしてゆく。

 やや時間が余ったので、ついにというかようやくというか、「ブラック・ジャック」の切り抜きの調査に手をつけることにした。従来、なんとこの作品だけは、初出誌(あるいは切り抜き)のチェックを(全集未収録エピソードを除いて)行っていなかったのである。それは「坂本リスト」に全幅の信頼を置いていたからである。

 チェックして良かった。なんと、私のリストに誤りが発見されたのである!

 誤解の無いよう申し添えて置くが、坂本リストのバグではない。坂本リストから転記する際に、読み誤っていたのである。具体的には、坂本さんは、「合併号」を「49.1.28+2.4」のように“+”で、数号に跨る連載を「49.1.14-21」のように“-”で表記しているのだが、この“-”を“+”と読み誤っていた個所があった。というわけで、


誤:ブラック・ジャック:ふたりの修二:38:少年チャンピオン:74/01/14・21:0
正:ブラック・ジャック:ふたりの修二:38:少年チャンピオン:74/01/14,74/01/21:0

 ..である。

 そして今回、ついに屋根裏を拝見させていただいた。(散歩をするためではない。[;^J^])遠慮深い私は、これまで何年ものあいだ、「見せてください」と言えなかったのであるが、今回、「それでは、ブラック・ジャックの切り抜きを」と申し出たら、Tさんは棒を使って天井の「蓋」のフックを外され、するすると階段が降りてきたのである。そして階段を上って探しにいかれたTさんのあとから、私もついていったというわけ..これまた、凄い量の段ボール箱。新旧とりまぜて、さまざまな資料が眠っているのである..

 3時過ぎ(だったかな)には辞去し、田園都市線から渋谷経由で神保町へ。三省堂とブックマートをチェックしてから、こだまで浜松へ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 19 2002 
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