*2002年04月08日:鞄のロマン
*2002年04月09日:収納スペースの謎
*2002年04月10日:傍線との戦い
*2002年04月11日:針責め
*2002年04月12日:人間ドックに臨む姿勢
*2002年04月13日:トロンボーンに挑戦
*2002年04月14日:お気楽ミサソレ 2002
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*2002年04月08日:鞄のロマン


 昨日、御茶ノ水で買ってきた鞄は、非常に使い出がある。なにしろポケットがやたらと多いのだ。大小取り混ぜて、実に15個もある。実際、確かに鞄の中に入れたはずなのに、鞄の中で(どこのポケットに入れたのか)迷子になってしまって、どうしても見つけられず、どこにいったの? [/_;] なくなっちゃったの? [/_;] という事態にしばしば陥ってしまうのである。いやほんとに。[;^.^]

 こうなると、鞄の中に「隠し部屋」や「秘密の通路」を持ち歩いているようなものである..

 ..ということに気がつくやいなや、瞬間的に“スイッチが入ってしまう”、この精神の若々しさ! あなたも少年時代には(あるいは)似たようなことをしていたのではないかと思うのだが、とにかく鞄の中に、やたらと色々なものを入れていたのである。ゲルマラジオ、棒磁石、方位磁石、廃工場で拾ってきたプリズム、針金、エナメル線、ボンナイフ、ビー玉、面子(めんこ)、鉛筆、消しゴム、手帖、スーパーボール、虫眼鏡、フィルムの空き容器、乾電池、ピンセット、等など、取りあえず「必要なもの全て」を持ち歩いていた。なんのつもりだったのかな..私は「ドラエモン世代」ではないので、ドラエモンのポケットを気取っていたわけではないし..やはり「スパイ」のアタッシュケースかな。いつでもどこでも「七つ道具」が、さくっと取り出せることが格好良く、憧れていたのである..

 ..という状態に(頭の中だけ)瞬時にタイムスリップしてしまい、早速、「必要なもの全て(七つ道具)」を、この鞄のさまざまなポケットに詰め込み始めた。PHS、小型工具セット、各種文房具、デジカメ、B4サイズの投げ込み式ファイル、ノート、ハサミ、カッターナイフ、包帯・消毒薬も含めて薬一式、歯ブラシ、爪切り、三段折り畳み傘、ウェットティッシュ、レターセット、(そしてもちろんリブ100の指定席)、等など..こうして「理想の鞄」を作り上げた私は、早速、この鞄をぶら下げて外出すべく、意気揚々と持ち上げて..

 ..あまりの重さに、正気に返った目が醒めたのである [;_ _][;^J^]。魂は少年でも、体力は中年なのであった。[;^.^]

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*2002年04月09日:収納スペースの謎


 今ごろ気がついても遅いのだが、コタツ布団を収納する場所が無くなってしまった [;^J^]。冬の間は、押し入れから出しっぱなしで使い続けていたわけだが、その間に、押し入れの中で本来コタツ布団にアサインされていた空間を、書籍がいつの間にか占有していたのである。まいった。

 そう言えば..確か、布団から空気を抜いて、コンパクトに圧縮する装置が売られていたような気がする。日本ならではの発明である。この週末にでも買いに行って、コタツ布団を圧縮して収納することにしよう..と思いついたまでは良かったが、では、その「布団圧縮装置」をどこに収納するのか、というパラドックスにハマってしまった。[;^J^]

 それにしても不思議で仕方がないのだが..何故、本を置くスペースはあるのに、その他の家具や日用品を置くスペースは無いのだろう?

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*2002年04月10日:傍線との戦い


 古本を買うと、たまに「傍線」が引かれていることがある。最近読んでいる「エリアーデ著作集」(全13巻)も、半数くらいの巻に、しばしば傍線が引かれている。厳しく言えば欠陥品(とまでは言わずとも汚損品)で、普通は目録に「傍線有り」などと注記されて、それなりの値段になっているところを、この著作集は目録ではそのような注記はされていなかった点が、ちと気に入らないが..しかし十分廉かったし、傍線といっても鉛筆書きであって、その気になれば消せるのであるから、特に文句は無い。

 「傍線」は、邪魔と言えば邪魔なのだが、一種の「ゲーム」を演出してくれることもある。それは(大げさに言えば)、その「傍線」を引いた、その書籍の以前の持ち主との、「知力の戦い」なのである。

 しばしばあるのは、そんなことは(傍線を引くまでもなく)常識ではないか、ここは別に著者としても力点をおいた個所ではなく、軽く流している文章ではないか、と判断出来るのに、麗々しく傍線で強調されているケースである。こういうのに出会うと、「勝ったな..フフン」、てなもんである。[^.^]

 それとは逆に、その傍線が引かれているまさにその個所に、私も(あとで抜き書きするために)ポストイットしてしまった場合などは..(別に負けたわけではないのだが)何故か悔しい [;^J^]。「そうだよ。オレもここが肝(ポイント)だと思うよ。あんたが思ったとおりだよ..チェッ」..[;^.^]

 (なお、古書に引かれた傍線については、4年ほど前に「処分本の復讐」というタイトルで、味わい深いエピソードを紹介しているので、未読の方は参照されたい。)

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*2002年04月11日:針責め


 ネタが無いので昔話。かれこれ15年ほど昔になるのかなぁ。

 「血を僅か15cc抜かれただけで、倒れてしまった」事件についてである。

 平日の勤務時間中のことなのだが、会社の先輩のご子息(乳児)が、入院先の病院で、緊急に輸血(極力、新鮮な血)が必要な事態になった。すぐに献血志願者が募られて、同じ血液型の私たちが先輩の車に同乗して病院に駆けつけ、必要な分量だけ輸血した..といっても、乳児のことではあるし、別に大出血していたわけでもないので、必要な分量は本当に僅かである。数人が輸血したのであるが、私が分担したのは、たったの15cc。事態の経緯は、基本的にはこれだけのことである。

 問題は、私から血を抜いた看護婦である。どうも初心者だったらしいのだが..私の腕の血管(付近)に針を射しては..「あれぇ..?(血を抜けないなぁ..)」(← つまり、血管を外したのである)、抜いて射し直しては..「あれぇ..?(また、血を抜けないなぁ..)」(← つまり、また、血管を外したのである)、そしてまた抜いて射し直しては..(以下、延々と繰り返す)..

 ..そしてまた私は、この間、ずっと、これを見ていたのである。針が私の腕に、射されて抜かれて射されて抜かれて射されて抜かれて射されて抜かれるのを..[;^J^] 貧血を起こした私を嗤える人間がいるであろうか(いや、いない)..

 ..なのに、上記の事情は全て省略されて、単に、「15cc輸血しただけで倒れてしまった、病弱な(白皙の美)青年」という評判のみ、社内で広まってしまった次第であることよ。

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*2002年04月12日:人間ドックに臨む姿勢


 今日は楽しい人間ドック。昨夜は「21時以降は食事は禁止」ということだったので、適当に拡大解釈して22時半まで食事やつまみ。「水分は24時まで、アルコールは禁止」ということだったので、やはり適当に拡大解釈して24時まで白ワイン(見た目、水も同然だからね)、と、コンディションは万全である。

 結果、久々に、要再検査項目は無し! 厳密に言えばふたつ、「標準値」のレンジを外れているものはあったが、(誤差範囲とは言わないが)レンジ外ぎりぎりなので再検査するまでも無し、との医師の判断である。

 ちなみに私が最初に述べたように、わざわざ「不摂生」して検査に臨むのは、意図的なことである。よく、数週間もコンディションを整えてから検査を受ける人がいるが、これはある意味で救いが無い。仮に良い数字が出ても、「あそこまで(無理に)健康的な生活をして、やっとこの程度か..(ガックシ)」、だし、仮に悪い数字が出ると、「あそこまで(無理に)健康的な生活をしても、駄目なのか..(ガックシ)」、なのである。

 その点、私のように放蕩生活のまま検査を受けると..仮に良い数字が出れば、「あれだけ無茶やっても、全然、OK!(ラッキー!)」、だし、仮に悪い数字が出ても、「あれだけ無茶やったんだから仕方無いさ、少しだけ節制すれば(きっと)OK!(ラッキー!)」、なのである。賢いでしょ [^J^]。(「長い目で見ると遙かに悪い結果が出るぞ」、などと、当たり前の忠告をしないでいただきたい。ここでは「長い目で見た結果」は、問題視していないのである。)

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*2002年04月13日:トロンボーンに挑戦


 さて、明日は「お気楽ミサソレ」(「荘厳ミサ曲」(ベートーヴェン)を演奏するオフ)である。これ以外に、同じ作曲者の「ピアノ協奏曲第5番“皇帝”」と、「交響曲第9番」の終結部もやる。

 いつもどおり、パイプオルガンサウンド(バロック音楽ではないので、くすんだ「ポジティブ・オルガン」の音ではなく、派手できらびやかな音)を用意しておけば十分、と、ほんの2〜3日前までノホホンと構えていたのだが、なんと急遽、トロンボーンパートもシンセで代奏することになってしまった。

 つまり、(トロンボーンパートに重要なフレーズがあるにも関わらず)トロンボーン奏者の参加表明が(まだ)無いのである。

 パイプオルガンパートは、他の鍵盤奏者に弾いてもらうが、トロンボーンパートは(人手が余っているわけでも無いので)私が弾かざるを得まい。そこで、総譜をチェックしてみたら..トロンボーンパート3人のうち、上2人は「ハ音譜表」である。(普通の人は、「ト音譜表」と「ヘ音譜表」しか知らないであろう。クラシック音楽の世界には、こういう譜表もあるのだ。)これをリアルタイムに読んで弾くことは、私には出来ない。(大体は出来るが、臨時記号が入り組んでくると、パニックする。)そこで、この「ハ音譜表」のパートを「ト音譜表」に書き直しているのであるが..おかげで、トロンボーンパートの練習以前に、楽譜作成に時間の大半を取られてしまった。

 時間を食っているのは、楽譜作成だけではない。トロンボーン音の調整もである。XP−50(のサウンドライブラリ)には、結構使えるトロンボーン音はあるのであるが、しかしそれは、トロンボーンサウンドの音色の変化幅のごく一部しかカバーできていない。早い話が、フォルテッシモの、気合いの入った音が出ないのである。メゾフォルテとフォルテの中間くらいまで。じゃあ、弱音志向かというと、そうも言いきれない。ピアノ(弱音)のフレーズを演奏するには、アタック時の「プルン」という音が邪魔である。(これは、サンプラーなら除去できるが、XP−50では不可能である。)どうにも中途半端なのであるが..

 ..フォルテッシモのパワフルなサウンドを合成するには至らなかったが、アタック時に(上記の「プルン」音とは別に)ちょっと小細工することによって、少なくともメリハリをつけることはできたので、今回はここまでで良しとする。実際、これ以上、音作りしている時間は無いのだ。少しは弾く練習をしないと..しかしもう、深夜をとっくに回っている..

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*2002年04月14日:お気楽ミサソレ 2002


 (FCLAの「お気楽オフ」シリーズでは、1998年にも同じ曲(ベートーヴェン作曲「ミサ・ソレニムス(荘厳ミサ曲)」)を採りあげているので、本日の表題は「お気楽ミサソレ 2002」とした。)

 12:45に幡ヶ谷の会場に集合なので、やたらと早く発っても無駄である。9;30のバスに乗って10:02のひかり。11:33東京着。新宿から京王新線で2駅。早めについたので、駅近傍のイタリア料理屋でパスタ。

 13:00少し前に会場入りして、早速セッティング。私のXP−50のMIDI INに、いつもMさんが持ってきて下さるコルグ機のMIDI OUTをつないで、XP−50をマルチチンバーで鳴らす。外部鍵盤であるコルグ機では、鍵盤奏者Hさんがオルガンパートを、XP−50自身の鍵盤では、私がトロンボーンパートを弾く。(以下、備忘:コルグ機(01/WFD)にはコルグのエクスプレッションペダルを接続し、設定画面で「VOLUME」をアサイン、XP−50にはローランドのEV−5を接続し、設定画面で「EXPRESSION」をアサイン。これで、それぞれの鍵盤でフットペダルを用いて、独立して音量をコントロールできる。ここ数回、お気楽オフ用のアンプとしてT氏が持ち込まれているオーディオ・アンプ(&スピーカー)には、XP−50から「TUNER」に接続すれば良い。)

 で、午後から通し練習をみっちりやって、「皇帝協奏曲」をやって、「ミサソレ」の本番をやって、最後に(残り時間を丁度使い切るよう)「第9交響曲」の第4楽章のマーチから以降を、やったわけである。

 ミサソレも第9もかなりの大編成の曲であるが、今回集まった編成は相当小さい..というか、アンバランスなのである。(トロンボーン奏者がひとりもいないから私が駆り出された、という点からも想像はつくと思うが。)フルートとクラリネットは、それぞれ数人いたが、オーボエはいない。バスーン、トランペット、ホルンが、各1人。ティンパニ1人、パイプオルガン1人。ヴァイオリンとビオラはそれぞれ4〜5人で、チェロが2〜3人、コントラバスが1人。(チューバ1人が、チェロ・コントラバスのサポートにつく。)合唱は10数人。(特に金管楽器が手薄である。)

 「これでは曲になるはずがない」、と、あなたは思うかも知れない。ところが、曲になるのである。それも、「ちゃんとした、ベートーヴェンの音楽」に。これは、CD(及びプロ・アマの(正規のフル編成の)演奏会)しか聴かない人には、想像できないことであろう。ほとんど不思議なほどである。

 私の考えでは、理由がふたつある。まず、曲の出来が良いのだ。骨格がしっかりしているので、その骨格さえ捉えて外さなければ、この音楽の“本質的な部分”は再現できるのである。そして、演奏者の力量。もちろん、プロなどひとりもいないし、その楽器をはじめてから数年程度の(いわゆる)レイトスターターも大勢いるので、外したり落ちたりは盛大にあるのだが、それでも「曲の本質的なところ」は、再現できているのである。

 さて、XP−50による、私のトロンボーン演奏だが..あと3日間練習したかった、と、述べるに留めておく [;_ _]。自宅でヘッドフォンで作り込んだ音と、普段使っていないアンプ(&スピーカー)をとおして会場で鳴らした音が、全く鳴り方が異なることも、言うまでもない。(これが、いつもながら、一番難しい点である。)

 反省会(打ち上げ)は、幡ヶ谷駅前(というか、幡ヶ谷駅真上)の、いつもの店。22:40過ぎに辞去して、幡ヶ谷発22;52で新宿に10分くらいで着。新宿発23:11の山手線内回りで品川駅に23:31着。東京駅を23;43に発った「ムーンライトながら」が品川を発つのは23:53なので、まずは楽勝のタイムスケジュールであった。(こんなことなら、幡ヶ谷を出るのをあと20分くらい遅らせられるんじゃないか? と、考えたくなるが、それは極めて危険である。大体、東京駅に直行せずにわざわざ山手線内回りに乗ったことからもお判りのとおり、この時刻、既に上り中央線は終わっていた。(総武線各停はあったかも知れないが。)そして、これよりもう少し時刻が遅くなると、山手線内回りは、(品川のひとつ手前の)大崎が終点だったりするのである。私はこの罠に何度かはまっている。)

 ちなみに品川駅のホームでは、やはり浜松に帰る(別件で上京していた)R氏と、偶然出くわした。ムーンライトながらに乗ったことの無い氏は、(上述の事情もよく把握せぬまま)かなり行き当たりばったりに移動して、なんとか(悪運強く)品川で乗れたわけなのである。[;^J^]

 (明日は代休取得済み。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 17 2002 
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