*2001年06月25日:「コミック伝説マガジン」
*2001年06月26日:廃墟を作る
*2001年06月27日:光と影の闘い
*2001年06月28日:常識的には“ポンコツ”
*2001年06月29日:本を修繕する
*2001年06月30日:やはり、商品に非ず
*2001年07月01日:ヤフオク初出品
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*2001年06月25日:「コミック伝説マガジン」


 「コミック伝説マガジン 創刊号」(実業之日本社)を購入。往年の名作マンガの復刻と復活(新エピソード描き下ろし)を目的とする雑誌である由。“目当て”(というか、“恐いもの見たさの、負の目当て”)は、新規に描き下ろされた「鉄腕アトム」の新作(手塚プロ制作)である。8頁の短編、計3本。

 ..読む必要の無い作品であった。

 ..というか、完全に外している。編集部は、一体何を考えていたのだろうか? とにかく、驚くほど“幼稚”なのである。絵がまた下手クソで、全然、似ていない。

 これが、幼稚園児(あるいは小学校低学年)向けの絵本のために描き下ろされた“新作”なのであれば、(絵がヘタなことを別にすれば)あまり文句を言うつもりはない。そういう「絵本版 鉄腕アトム」は、これまでにもたくさん、作られてきた。

 しかし、この雑誌の読者の平均年齢は、どう考えても40歳以上。彼らの年齢に相応しい“新作”ではないことは言うまでもないし、彼らの幼年期には「絵本版 鉄腕アトム」は存在していなかったのであるから、ノスタルジーとしても、接点がない。唯一、近いのは、「鉄腕アトム(小学二年生版)」だが、1980年から81年にかけて、これをリアルタイムに読んだ世代は、まだ29歳にしかなっていないし、大体、「小学二年生版」の方が、今回の新作よりも、遙かに内容が豊かなのである。

 この「コミック伝説マガジン」で、もうひとつ呆れたのは、「黄金仮面」(池上遼一)の「解説」。この「黄金仮面」は、全3回中第2回だけ復刻されているのだが、それを読んでも、また、解説で紹介されている(全3回分の)ストーリーを読んでも、「神州纐纈城」(国枝史郎)の翻案であることは明らかなのである。

 例えば、「富士の樹海」..

 例えば、「湖の城」..

 例えば、「仮面をつけた城主は体が腐って行く奇病に侵されているため、毎日人間の生き血を飲まねばならず、領地の村で月に一度の“人狩り”を行なう」..

 例えば、「城主に触れると、たちまち指が腐り、顔が腐る」..

 ..これだけ揃っていながら、しかし解説では、「よくこんなことを思いつくもんだ、というのが正直な感想。原作つきでなく、オリジナルでこれだけグロテスクな世界を構築したのがすごいが」..と来たもんだ。世の中の全ての“解説者”(あるいは“マンガ評論家”)が国枝史郎を読んでなきゃいかん、などと主張するつもりは、さらさら無いが、しかし“伝奇物”を“語る”者が、これでは困る。例えて言えば、ヴェルヌもドイルもウェルズも読まずに(知らずに)SFを評論するようなものである。この、森遊机という解説者が、何者であるのかは知らないが..

 誤解しないでいただきたいが、「黄金仮面」が「神州纐纈城」の翻案であるからといって、池上遼一を非難するものではない。先行する名作を下敷きにして(粉本にして)創作する、というのは、恥ずかしいことでもなんでもなく、往年の大家は、誰もがこれをやっている。若き日に「神州纐纈城」という極め付きの傑作を“なぞる”、という修行をしたからこそ、のちの池上遼一の大成がある。これは言うまでもないことだし、この雑誌で、その「修行経過(修行現場)」を目撃できたのは、大きな収穫であった。

 この雑誌で一番楽しかったのが、「ストリップ」(石森章太郎)。(「石ノ森章太郎」とクレジットされているが、当時は「石森章太郎」だったのだから、これは絶対におかしい。)女流探偵がストリップ・ティーズを披露しながら謎解きをする、などという、バカバカしくも嬉しい趣向は、まさにマンガならでは! [^O^] さすがの手塚治虫も、ここまでは思いつかなかった! これからもこういう作品を復刻してくれるのなら、この雑誌を応援したいね。

 航空自衛隊機(F4EJ改ファントム)、訓練中に20ミリ機関砲を188発、誤射。10キロ離れた施設に12発着弾..

 ..死傷者が出なかったのは、ただの偶然。話にならん。操作ミスか機体不良か?

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*2001年06月26日:廃墟を作る


 数年前に購入した「廃墟大全」(谷川渥監修、トレヴィル)というエッセイ集には、なかなか面白い(というか“使える”)素材や視点がたくさん詰め込まれており、今でも時おり、ひもとくことがある。最初に読んだときに一番興じた(というか呆れた)のは、「「ザ・ピクチャレスク」としての廃墟 −−18世紀英国の美意識と人工廃墟」(森利夫)である。

 18世紀から19世紀初頭にかけて、欧州(特に英国)を席巻した「廃墟の建設趣味」を、それら“新築の”廃墟の写真と共に紹介したものなのであるが..さすがの私も、当時のこの美意識は、理解出来ない。廃墟を愛でる感性にかけては誰にも負けない(誰よりも深く病んでいる)と自負する私であるが..悠久の歳月を経た、時間の澱の底に沈んだ廃墟であればこそ、感動するのである。漆喰の匂いのする新築の廃墟の、一体どこが面白いのであろうか? ただの書き割り、テーマパークのパビリオンではないか。

 ..とはいえ私も、似たようなこと(廃墟の捏造)を試みたことが、無いわけではない。

 “広大な庭園に廃墟を建造する”のではなく、日常使っている家具(小物)を“廃墟化”させようと思ったのである。具体的には、「灰皿」というか“燐寸の燃えさし入れ”である。何のために燐寸を擦るのかと言うと、蝋燭(燭台)に灯をともすためである。

 (余談だが、照明としての蝋燭(燭台)を“快適に”使える季節というのは、案外限られている。なによりもまず、エアコンと同居しがたい。エアコンを入れると部屋の中の空気が流れて炎がゆらめくので、その灯のもとで読書をしていると、目が疲れるのだ。また、3本かそこらの蝋燭であっても、六畳間で長時間ともしていると、かなりの熱量を発する。(ここでエアコンを入れると、灯が揺れてしまう。)だから、エアコン不要で、かつ、ある程度涼しい季節でないと、蝋燭(燭台)は使いにくいのだ。具体的には、春先と晩秋である。閑話休題。)

 かつて私は、燭台に灯をともした燐寸の燃えさしを放り込む容器として、ちょっと洒落た模様のついた瀬戸物(珈琲カップ)を使っていた。(取っ手が外れてしまい、本来の用途には使えなくなっていたのである。)私はこれを、出来るだけ“くすませる”ことにした。中に放り込んだ燐寸の燃えさしに、さらに火をつけ、カップの内側に煤をつける。埃や蝋は溜まるにまかせる。時には、積もり積もった綿埃に、火をつける。(これをやり過ぎると、カップに熱でヒビが入るので、注意しなくてはならない。)

 ..こうして“丹精”して“古色”を帯びた、元・珈琲カップを手にして、私は悦に入っていたのであるが..ある日、ついうっかり、そのカップの内側をティッシュでひと拭きしてしまい..真っ白な地肌が顕れて、全てがパーになってしまったのだった。なんとも底が浅すぎる、贋作作りの次第ではあった。

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*2001年06月27日:光と影の闘い


 1984年に入社した私は、2年間だけ、寮生活をした。その寮で(確か)毎年夏に開催されていた“寮祭”の思い出話である。1年目のことか2年目のことか、判然としない。

 模擬店はもちろんとして、バンド演奏、ア・カベラのコーラス、クイズ大会(のようなもの)、などなど、随分バラエティ豊かなメニューであった。その一環として、「影絵芝居」をやったのである。

 当時の社員(1〜2年生)は暇だったらしく、かなりのパワー(時間)をかけて用意したように思う。題材は「ヘラクレスの十二の功業」であり、もちろん、全部はとても出来ないので、ヒュードラー退治とか、派手で面白い個所だけである。いまいち手先が器用ではない私は、影絵作りそのものではなく、BGMの選択と、台本作り、そしてナレーションを担当した。暑い盛りに、戸外で背広を着て肘掛け椅子に座って。[;^J^]

 ..そう、つまり日中に、屋外で演ったのである。影絵を。しかも、西に向かって。[;^J^] ナレーションと音楽はともかく、影絵本体は西日にかき消されて、ほとんど見えなかったのであった。

 一体全体、誰がこういうタイムテーブルを設定したのか、とか、屋内の例えば食堂でやれば良かったではないか、とか、この問題を誰も予想できなかったのか、とか、今から思い返してみると、腑に落ちない点や、疑問や謎だらけなのであるが..なんにせよ、教訓は自明である。

 人間は、太陽と戦ってはならない。例えヘラクレスであろうとも、太陽には勝てない。

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*2001年06月28日:常識的には“ポンコツ”


 ファントム(F4)の誤射事件の原因は、操作ミスではなく、機械の誤動作(部品劣化)だったらしい。勝手に電気信号が流れたとな。

 朝日新聞の記事によると..そもそもF4は、トラブルが多い..これまでも、沖縄から本土に移すときに気候の違いから結露したり、勝手に電気が流れたり、レーダーが映らなくなったり..

 「F4は水に弱い機体として知られている。梅雨時に高高度で訓練したため、結露やさびが原因になったのではないか」..

 勘弁してくれ〜!!

 何十億円(何百億円?)もかけてあつらえた機体が、この程度のもんなんかよ。世間的には、こういうのを「ポンコツ」というぞ、普通は..(もっとも、この件で“叩き過ぎる”と..じゃぁ、もっといいのに買い換えるから、お小遣い1000億円頂戴! とか言われそうで、痛し痒しであることよなぁ..)

 それにしても現在は、真の原因が判るまでは実弾を積まずに、(スクランブルに備えて)スタンバイしているわけなのだが..これでは“防衛”にならんのでは。当局は、無線交信でも警告は出来る、とか強がりを言っているが、ピストルも警棒も持たない警官に“警告”されても、侵犯者としても困ってしまうだろうし..(礼儀の問題つーか。)

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*2001年06月29日:本を修繕する


 K書店からの目録に同封されていた小冊子(というか、4ページのチラシ)のメイン記事が、「書籍の保存修復・製本」であり、これがなかなか面白かった。

1. 将来の再修理が可能な作業、材料を選択する
2. 状態の記録をとる、作業の記録をとる
3. 本体に酸化などの悪影響をおよぼさない材料を使用する
4. 元の状態以上に復元しない
5. 歴史的な意味、価値のある証拠を尊重する
6. さらなる、外的なダメージを防ぐ、あるいは最小限にする
7. 無傷の状態にするのか、本としての使用に耐えるようにするのか
8. 修復作業の公開

 特に興味深かったのが、1、2、8である。どれほど巧みに修復しても、形あるものは、いずれは壊れる。しかし将来の再修復によって、さらに延命することは出来るかも知れない。また、さらに優れた技術が開発されるかも知れない。その場合、いま施した修復を“元に戻して”、修復し直すべきかも知れない。だからこそ、作業のドキュメントを公開して残す必要があるし、やり直しの効く素材を使うべきなのである。

 さまざまな職種に適用可能な教訓だと思う。

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*2001年06月30日:やはり、商品に非ず


 「コミック伝説マガジン」に掲載された、幼稚な“新作アトム”だが..どうやら、元アシスタント・3名による合作らしい。3人のうちひとりが、以前より10篇ほど描いていたうちの3篇について、編集部がOKを出し、掲載されたとのこと。

 ..得心がいった。どうも、「同人誌テイスト」の「アトム・パロ」だと思っていたのだが..本当にそうだったわけだ。元々、売る気で描かれたものではなかったわけだ..

 読者をナメるのも、いい加減にしろよ! 今度やったら、許さんぞ!

 (手塚プロも編集部も同罪だが、やはり編集者側の罪が、より深い。)

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*2001年07月01日:ヤフオク初出品


 以前から、デジカメ映像だけは用意しておいた、ヤフー・オークション出品候補品を、午前中の数時間かけて、全て出品した。(全て書籍なのが、われながら笑える。)いままで色々落札してきたとはいえ、相場感覚が身に付いているとは言えないし、(というか、ヤフオクの“相場”など、流動的過ぎて“知識”たりえず、)開始価格の値付けも手探りであるが、まずは「試行」である。「こんなの、絶対売れるわけないよなぁ..」という奴も、とにかく観測気球として、全部出品した。

 さて、楽しみなことである。あまり反応がありすぎても、メール対応・入金確認・発送等などに手間暇とられるので、痛し痒しなのであるが..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 4 2001 
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