*2001年04月02日:O舎古書目録から3冊発注
*2001年04月03日:故郷は地球
*2001年04月04日:光の遊戯
*2001年04月05日:眠りと創造
*2001年04月06日:甘美な破滅
*2001年04月07日:橋の下で
*2001年04月08日:「たれゆくままに」
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*2001年04月02日:O舎古書目録から3冊発注


 朝食をチンしていたら、ブレーカーが落ちた! \[^O^]/

 う〜む、文化(電化)生活を支えるインフラの整備に、難ありか [;^J^]。コタツと、PC2台と、(直前にドアを開けていたので多分作動していた)冷蔵庫と、換気扇。これらに加えて、電子レンジ..は、20アンペアでは支えきれないのか。そんなものかな。

 OAナガシマから電話。リブのFDD、修理完了との連絡。やれ嬉しや。(FDDが帰ってくることよりも、症状再現用に供出していたリブ100が帰ってくることの方が、本質的である。)

 帰路、OAナガシマに寄って、リブのFDDとリブ100本体を受け取ってから、帰宅。郵便受けに、Nさんからの「手塚治虫資料・第6便」と、O舎の古書目録が届いている。

 リブ(とFDD)のチェックは後回しにして、O舎目録などを鞄につめて、天狗へ。ワインを舐めつつメシを食いつつ、目録をチェック。例によって数十万円級の物件はパスして、3冊、ピックアップした..しかし、慌てるな。ここでいきなり発注FAXしてはいけない。

 古書目録等で琴線に引っかかる書籍を発見した際の、倉田メソッドを述べよう。

 まず、「紀伊國屋 BookWeb」で、現役の書籍かどうかを確認する。新本で買えるのならば、それに越したことはない、というケースは多い。

 現役では無いことが判ったら、手元の目録よりも廉く入手できる古書店があるかも知れないので、「スーパー源氏」、「ふるほん横町」、さらに汎用サーチエンジンの代表として、「Google」。この3チャンネルで検索しても見つからなかった時点で、はじめて、その古書目録から発注するのである。

 汎用サーチエンジンとして「Google」しか使わないのは、かける手間(工数)のバランスを勘案してのことである。どうしても見つけられない本を、なんとかして、ネットのどこかから発掘しよう、という気合いが入っている場合は、それこそ、数十のサーチエンジン、メタサーチエンジン、さらに「SearchDesk」などのポータルサイトを駆使するし、各種オークションの出品物にも目を配る。しかし、手元の古書目録に掲載されているということは、つまり、既に1件は“見つかっている”わけなのであるから、さらに条件の良いものが見つかる可能性はあるとしても、そこまで徹底的な捜索をするほどのことは無いのである。(無論、古書目録に掲載されているものに発注をかけたからといって、必ず入手できるわけではない。先着順の場合、先を越されることがあるし、抽選の場合には、外れることもある。しかしそれは、ネット古書店でも同じことだ。)むしろ、手間暇かけて“余計な”探索をしている間に、手元の目録に掲載されている物件が、横からさらわれてしまう可能性の方が、怖い。だから、この局面で使う汎用サーチエンジンが(現時点では最も使いやすい)「Google」のみ、というのは、妥当な割り切りなのである。

 今回、O舎目録で発見した3冊について、天狗から帰宅してから上記メソッドを適用した結果、ものの見事に3冊に対する対応が分かれたので、ケーススタディとして、書いておこう。

 O舎目録で発見したのは、「フローラ逍遥」(澁澤龍彦、平凡社、3000円)、「青いドラキュラ赤いドラキュラ」(手塚真、北宋社、2500円)、「モンスターブック」(ヴァン・ヴォークト、河出文庫、2500円)、の3冊である。

 まず、「フローラ逍遥」について。私は、基本的に、澁澤龍彦の著作(テキスト)は、「全集」と「翻訳全集」(共に河出書房新社)を全て所有して全て読んでいる。また、河出文庫をはじめとする各種文庫版も、全てでは無いにせよ、(携帯&クイックチェック用に)4〜50冊は手元に置いてある。しかしそれでもなお、(決してコレクター的美学からではなく、)オリジナルの単行本が必要とされることが少なくない。それは、「図版」である。「全集」は、「図版」が大幅にカットされている。「文庫」は、仮にカットされていなくても、サイズが小さく見づらい。また、澁澤龍彦の著作には、実に装丁が美しい書籍が多数ある。だから、あまりに高価なものは諦めるとしても、「幻想の画廊から」「黒魔術の手帖」「高丘親王航海記」など、買いそろえてゆく楽しみがあるのである。そしてこの「フローラ逍遥」は、その美しい図版と装丁故に、どうしても「単行本」バージョンが欲しかったのであるが..

 何故か、絶版本だとばかり、思いこんでいたのであるが、「紀伊國屋 BookWeb」で検索したら、なんのことはない、バリバリの現役であった。定価3800円。O舎目録には2冊載っていて、初版が9000円、重版が3000円。実に妥当な値付けであるが..私は、「フローラ逍遥」については、“美本”を必要としているのである。ここは新本だ。「谷島屋オンライン」で発注する。

 (ちょっと脇道にそれるが、結局「谷島屋オンライン」で買うくせに、まず「紀伊國屋 BookWeb」で検索するのは、「紀伊國屋」の検索システムの方が、使いやすいからである。(検索可能な国内和書は、両者とも150万冊なので、あるいは、同じデータベースを使っているのかも知れない。)それは、検索結果のフォントの大きさや表示フォーマットなど、一見ささいな、しかし重要な理由による。また、谷島屋オンラインの検索エンジンは、時々、つながらないことがあるのだ。閑話休題。)

 次に、「青いドラキュラ赤いドラキュラ」である。実は、この本(の本文)には、ほとんど全く興味がない [;^J^]。なぜ、本書を探求していのたかと言うと、手塚治虫の、


あっけらかん(エッセイ)::3:「青いドラキュラ赤いドラキュラ」(北宋社):83/10/15:別巻12 394

 ..というエッセイの初出が、本書だからなのである。この本は、国会図書館や日比谷図書館をはじめとする各地の図書館で、未だに発見できていないのであった。

 その(3頁程度の)エッセイが、全集に収録されているテキストと同一のものか、異同は無いか、チェックするだけなのだから、(いや、買ったら買ったで、もったいないので本文も読みますが、[;^J^])もとより美本である必要は無い。それに、用途が用途なので、2500円は、いかにも高い。いくらかでも廉く買えないか、と、上記3チャンネルを使って検索したところ、「ふるほん横町」で、1000円の物件が見つかった。(「Google」でも、同じページがヒットした。)問題なく、こちらで発注する。

 さて、最後の1冊が、「モンスターブック」である。これも、2500円は高い。しかし、上記3チャンネルを駆使しても、発見できなかった。これは勘だが、根気よく探せば、1500円くらいで入手できるのではあるまいか..しかし、これを押さえれば、ヴァン・ヴォークトの邦訳単行本はコンプリートなのだ。チャンスである。よそを探しているうちに、O舎の在庫は売れてしまうかも知れない。そこで、これだけは、O舎に発注FAXすることにした。

 (無論、「EasySeek」に、例えば「1000円以下」という条件をつけて登録して、じっくりと待ってもいいのだが、それでは、この目録の物件が、先に売れてしまうかも知れない。「EasySeek」は、なかなか見つからないものを、慌てず騒がず長期的に探すためのツールであり、手早く探す用途には向いていないのだ。)

 リブのFDDを、リブ100本体につないで、取りあえず2回、FDのリードライトチェック。(少なくとも“一見”、)直っているようである。伝票によると、修理内容は(インターフェースであるところの)PCカードの交換。ヘッド(アーム)が物理的にいかれているように見えたのだがねぇ..

 ..しかし..

 ..それにしても..

 ..リブ100、速い! [/_;] 地獄から天国への帰還である。いやホント。

 以前、リブ100を修理に出して戻ってきた時も、同じことを思ったのであるが..速さといい、美しさといい、このサイズにしてPCカード2枚挿しの拡張性といい、本当に、惚れぼれするほど素晴らしいPCである。もう3年間も使っているのだが、壊れない限り、あと5年間は十分に通用する。(..というか、これの“代用”になるようなPCが、市場に一機種も存在しないのだ。壊れたら、一大事なのである。)

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*2001年04月03日:故郷は地球


 「由縁の女」(泉鏡花、ちくま文庫、泉鏡花集成 14)、読了。

 中途まで、この男には“由縁の女”が何人いるんだ、という気にもなったが [;^J^]..現代から過去へ遡る旅。男性原理的な現世に対して、過去の世界は、女性たちによって構成されている。終盤、山に入ってから、幻想的な世界に入っていく。「高野聖」「風流線」など、いくつかの際だった作品でも目立つのだが、この作品でも、異界との境界としての(膨大な量の)水のイメージが、圧倒的である。

 都会(帝都)に出ていた主人公が、(心ならずも)帰郷した“地元”で、偏狭な地元の人々に苛められるくだりでは、徹底的に主人公に感情移入してしまった。

 こんなウジ虫共、皆殺し にしたれ! 機関銃が無理なら、懐中電灯と日本刀で 血の雨 降らせたれ! 旧時代の生き腐れの死に損ないの元家臣の糞じじいの館に火を放って、町内全てを 火の海 に沈めたれ!..

 ..と、このあたりまで(本気で [;^J^])妄想が暴走したところで、これは鏡花の世界と少し違うかも [;^.^]..と、正気に帰っては読み直し..の繰り返しなので、相変わらず、なかなか読み終えられなかったのだが、それはさておき。

 なぜ、感情移入したのか、と言うと..私も、「地元」「出身地」、という概念が、嫌いだからである..“嫌い”というより、いくらか“不快”、あるいは“不可解”というべきか。

 なにも、「皆殺し」にしたり「血の雨」降らせたり「火の海」に沈めたりしたい“故郷”がある、というわけでは無い [;^J^]。私の人格に関わるので、それは念を押しておく [;^J^]。むしろ、たとえ“破壊的”であろうとも、そこまでエネルギッシュな“情念”をぶつけられる“故郷”(という概念)が、私には“欠如”していることの方が、重要で本質的である。

 もう、10年以上も昔になるが、「ウルトラセブン」のLDを観て、仰天したことがある。第1話だったか、各隊員の紹介をするナレーションが、ひとりひとりについて、最後に「**県、出身!」「東京都、出身!」、などと、入れるのである..「関係無いじゃん、そんなこと!?」、と、本気で理解に苦しんだ。今でもそうだ。(これが「県立地球防衛軍」なら、本質的な情報かも知れませんけどね。[;^J^])

 大相撲も、解らない。高校野球ならば、一応、各県の対抗戦という性格があるので、地理的な出自が問題になるのは理解できるが、(それにしても、優勝するのはM県のN高校なのであって、M県では無いのだから、全国大会でM県の人間がN高校を応援するのは、理解を絶するが、)相撲取りの出身地に、どういう情報量があるのだろう? 横綱と同じ県の出身だと、何が嬉しいのか? 何の関係があるのか?..

 ..結局、私に“故郷”が無いからだ、と思う。サラリーマンの息子の宿命だが、実に中途半端な時期に、転居しているのだ。生まれは北九州市だが、ここにいたのは、小学校三年生の一学期まで。次に、東京は狛江市に転居したが、ここに中学校一年生の一学期まで。それから横浜市に移り住んだが、一浪して大学に入ってからは、千葉県野田市に下宿。二留して卒業して就職してからは、ずっと浜松市..

 こういう「切れ方(キレ方にあらず)」をすると、どの町、どの都市も、体に“沁み入らない”のである。良く言えば、コスモポリタン。悪く言えば、漂泊の人。いやいや、これの、どこが悪い..

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*2001年04月04日:光の遊戯


 別に、私だけの特異体質ではあるまい。目を閉じると、そこは暗闇でもなんでもなく、実にさまざまな光のパターンが、ボワボワと蠢いている..蠢いているよね?

 なかでも“光量”の大きなパターンは、目を閉じなくても、白い壁などを観ていると、その上に投射されて、視線の動きにつれて、ジワジワヒカヒカと動いて行く..恐らく、太陽など、何か強烈な光を受けて発生した、一種の残像なのだろう。

 今日、見えた(というか現れた)パターンは、少し面白い形状をしていた。視界の右下から始まって、まっすぐ上方へ。そこから弓なりに内側に降りてきて、中央よりやや上で終わる、という、弧状のヒカヒカネオンサイン。従って、視線をコントロールして、視界の中央(のやや下)に、誰かの頭部を置くと、その頭上から、ネオンサインのようにきらめく弧状のパターンが、いったん上方に噴き上げたあと、視界の右下に向かって降りて行くのである..

 ..と、興じていたら..

 ..視線が会ってしまった [;^J^]。(しかも、会議中 [;^.^]。)

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*2001年04月05日:眠りと創造


 「青いドラキュラ赤いドラキュラ」(手塚真、北宋社)が届いたので、早速、読了する。

 3日前の日記に書いたとおり、これに収められている手塚治虫のエッセイを確認するためだけに購入したのだが、“もったいないので”、通読したという次第。

 ..ちょっと道草を食うことにするが、こういう、「買った本は読まないともったいない」、という感覚は、少なくとも「書籍コレクター」としては、「いかん(論外である)」のだそうである。これは、唐沢俊一のエッセイで読んだことなのであるが、彼が、古書マニアの世界ではいまだに「ヒヨッコ」扱いされているのは、集めた本を読もうとするからなのであるらしい。つまり、「本当のコレクター」は、買った本を読んだりはしないのだと言う。

 唐沢俊一は、そのことは重々承知の上で、しかしやっぱり、読みたいんだもんね、と、突き放しているようである。私も、氏に同感である。

 現実問題として、膨大な量の書籍や雑誌を買い集めるコレクターたちに、それらを読んでる時間があるわけが無い。だから、読もうという意識を最初から「捨ててかかる」という姿勢(意識)は、実は正しいのだが..しかしそれでは、やはり寂しい。買った本は、全て読みたい..これこそ、見果てぬ夢、見果てぬロマンでは無いか..

 閑話休題。

 内容的には、全然期待していなかった本であり、単に(上述した)「夢」「ロマン」(もう少し正直に書けば「貧乏性」)から目を通しただけなのであるが..結構、いいことを書いてる(というか、「面白い文章が採取できた」)。無駄にはならず、ほっとした。


「(映画を観ていて眠くなったとき、)あっさり寝てしまうことにしている。(中略)その間映画の画面は観られないが、それで損をしたとは思わず、むしろ一生に一度の貴重な体験をしたと考える。何しろ、見えなかった間の部分の記憶は欠如してしまうから、自分の観た映画は、その映画の原形とは異なるものであるし、しかも二度と同じように観ることはできないのだ。だから自分の内では、世界に唯一本、一度っきりの映画として成立する。(中略) 寝ている間に夢でも見ようものなら、もっといい。何しろ自分の夢と映画をつなげるみるなどという離れ技も可能なのだ」(126頁)

 ..私は読書で、これをしょっちゅう、やってるんですけどね [;^J^]。


「上映というのも、その作品の一部であって、これも重要な部分だ」(203頁)

 これも、実際に映画活動(というか、広く“創作活動”)をしていないと、つい、見落としがちな視点である。

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*2001年04月06日:甘美な破滅


 今日は楽しい、人間ドック [^.^]。

 コレステロールは、OK。総量的には、正常値の範囲の上限ぎりぎりなのだが、私の場合、善玉コレステロールの割合が、かなり高いのである。

 ほぼ唯一、正常値から逸脱しているのは、γGTPだが、これも、昨年度から急減している(つまり昨年度はかなり逸脱していた)ので、医者の所見としては、OK。γGTPは、大雑把に言って、飲酒によって増大する数値である。確かに、昨年度と比べて、飲酒の頻度は似たようなものなのだが、一回に飲む量は、有意に減っていると思う。昔はワインを「飲んで」いたのだが、最近は「舐めている」時間の方が長い。(無論、3時間も舐めていれば、グラス3杯ぐらいは喉に流れ込んでしまうのだが、昔は同じ時間で、5杯は飲んでいたはずである。)

 とはいえ、胃カメラと大腸ファイバーの再検査を命じられた。まぁ、しゃあない。今月中に、片付けるとするか。

 帰路、「G−taste 〜コスプレ・スペシャル〜」(講談社)を書店で見つけたので、購入する。今月から、深夜テレビで実写版が始まるらしいが、私は、「G−taste」の生身実写版なんぞに、興味も関心も無い。(この件についての論評を禁ずる。)

 帰宅してから、γGTPの数値が(相対的には)良かったことに増長して、新しいカクテルを試してみた。牛乳を電子レンジ(新兵器)でチンして、ジャック・ダニエルを適当に混ぜるだけなのだが..

 ..これが、実に、破滅的な美味さである! 仰天した!

 私は大丈夫だが、人によっては、仰天ついでに腰も抜けるであろう。こんなに口当たりのいい酒は、初めてだ。酒を飲み慣れない人は、たちまち限界オーバーすること、火を見るよりも明らかである。(悪用しないこと。[;^J^])

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*2001年04月07日:橋の下で


 今日は、部署の花見宴会。

 急遽、開催が決定したので、場所を吟味している余裕がなく、勤務先の工場から徒歩5分くらいの河原で行われた。対岸に桜が1本見える、という、好立地 [;^J^]。当初は、工場の駐車場(の脇の芝生)を予定していのだが、例え休日であろうとも、その場所では飲酒・バーベキューまかりならん、という、総務のお達し。まぁ、おっしゃることは判りますが、酒無しでは花見にならんのである。そこで、工場の外に脱出したというわけ。(工場の駐車場の周囲の桜は、見事な見頃なのだが、仕方がない。)

 無論、バスで現地に向かった私は、憚ることなくビールをがぶ飲み。γGTPも下がっていたしね。(まだ言うか。[;^J^])

 しかし、河原の橋の下に青いビニールシートを敷いて、寝たり車座になったりしていると、どう見ても、ホームレスの宴会である。まぁ、みんな、身だしなみ的には、ホームレスと間違えられるようなことは無かったはずである(と思うが、酔っぱらって記憶が混濁していたので、良くわからない)。

 馬場のぼる、逝去。

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*2001年04月08日:「たれゆくままに」


 「たれゆくままに」(小学館)を書店で発見。速攻で購入。

 たればんだの本は全て傑作だが、今回も、実に感動的な放浪譚。必読。

 (別件の備忘。染髪にかかる時間と費用は、カット込みで、3〜4時間&1万5千円/2ヶ月である由。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 11 2001 
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