*1998年11月02日:「屑本」読むべし
*1998年11月03日:大道芸in静岡 1998 最終日
*1998年11月04日:スキャナーが帰ってきた
*1998年11月05日:「ネタバラシ」について
*1998年11月06日:とり・みき単行本コレクション、最終コーナー
*1998年11月07日:「夕刊赤富士 1」を見出す
*1998年11月08日:スキャナー/頭痛/悪夢
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*1998年11月02日:「屑本」読むべし


 小栗虫太郎関係の本を読んでいて、面白い記述にぶつかった。彼は、和書は(金も無いので)「屑本」を計量買い(キロいくら、というアレである)をしていた、というのである。ここで言う「屑本」とは、東北地方などの旧家の蔵から出てきた、紙魚食いだらけの、値打ちなど誰も鑑定していない(する気にもなれない)雑本や雑記録の類のことである。

 無論、これ以外の「ちゃんとした」ベーシックな書籍は揃えて読んでいたのだろうし、洋書は精選して購入していたらしいのだが..「こういう(くだらない)本から、どうかすると十いくつもネタが拾えるんです」と、得々として書いている。

 こういう文章(言葉)を読むと、読むべき本を精選している私などは、駄目だなぁ..と、落ち込んでしまう。時には「屑本」を読むこともあるのだが..「読むべき“屑本”を精選している」のだから、まったくもって、なにをか言わんや..[;^.^]

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*1998年11月03日:大道芸in静岡 1998 最終日


 先週末に初日を観てきたのだが、最終日の今日も好天。そこで、見逃したパフォーマー、もう一度観たいパフォーマーを、観に行くことにした。

 いきなり誤算。多少の寝過ごし。[;^J^] これで、11時からの最初の演目が観られなくなった。第2の誤算は、静岡についてから明らかになった。11時半から狙っていた演目が、場所も時間も変更になっていたのである。そして第3の誤算が、初日よりも遥かに人出が多いこと。演技ポイントから演技ポイントへ、走って移動することが困難である。タイトなスケジュールが組めない。

 それやこれやの不可抗力と、作戦の立て直し時の判断の誤りも重なって、本日の最大の狙いであった、ヨーヘン・シェルのパフォーマンスを観そびれてしまった。まぁその代わりに他の演技が観られたんだから、よしとしよう。しゃあない。

 結局、先にシシカバブで腹ごしらえをして、12時の番組から観始める。


*マシミリアーノ&カトリーヌ
 男性が綱渡り。女性が脚芸。外れ。
 持ちネタが少なすぎる。綱渡りは、結局、綱の上でジャンプ(障害物飛び越し)をするだけ。難しい芸なのかも知れないが、あまりに“華”がない。
 脚芸は脚芸で“華”しかない。[;^J^] 技術水準に問題ありすぎ。要は仰向けになって脚を高く上げて、その上で1メートル位の円筒を回してみせるだけ。いくらなんでも脚でジャグリング位はするのだろうと思っていたのだが、しない。脚で筒を回しながら、手で三つ玉の芸をしてみせたが、これはジャグリングなんてものではなく、お手玉に過ぎない。(多少の練習で)三つ玉のお手玉が出来ない奴は、滅多におらんぞ。
 結局、彼女は、脚の綺麗さで通用しているに過ぎないのではないのか。これでそこそこ客を集められるのだとすると、容姿の美しさは芸の向上を阻害する方向にしか働くまい(などという偉そうなごたくを、彼女のハイレグ脚線美目当てで観に行った奴がぬかしても、なんの説得力もない。[;^.^])

*藤原秀敏
 シャボン玉芸人である。さまざまな道具を使って、大小さまざまなシャボン玉を、いっぱい、いっぱい道にふりまく。
 煙草の煙をシャボン玉の中に吹き込んで、白濁した玉を作って運び、それが割れると白い煙が宙に消える、などという小技も見せたが、この類は余技であり、全く本質的でない。ただただ、シャボン玉自体の、面白さと楽しさと夢をふりまく..
 私は、これほどまでに子どもたちに受け、喜ばれる芸というのを、初めて見た。


 ここから、メインステージに張り付く。


*ジー・デニック
 初日にスケジュールの都合がつかず、観るのを諦めたパフォーマー。最終日につかまえて、期待は“半ば”満たされた。
 芸はシンプルである。1メートル位の筒を、足先でジャグリングしながら、梯子を登って行くのである。(上記のカトリーヌとは全く異なる、“本物”の芸。)彼は体格が大きく、それが長大な筒を蹴り上げつつ梯子に登っていくのだから、実に見映えがする。但し、フィニッシュでしくじった。梯子を登りきったところで、足先から跳ね上げた筒を、額で受け止めるはずたったのだが..落とした。
 そしてリトライを開始した彼は、実に3回失敗し、4回目でようやく成功したのである。大した根性である。観衆の励ましの大声援は、恐ろしいプレッシャーであったろう。しかし、一度もしくじらない芸人も、大勢いるのである..

*シアター・ル・ピエトネ
 「もう一度観たかった」シリーズ、その一。芸の詳細は初日のレポート参照。初日どうよう、妖しく危うい。
 このあたりから、メインステージの人垣が半端ではなくなってきた。私は、二段の脚立の 功徳 に、つくづく感じいった。

 なにしろ、前が全く見えずに困っている 若い女性 を一段目に立たせてあげると、肩を支えてあげられる上に、感謝までされるのである。大吉。


*張雪&張梅
 引き続きメインステージで、「もう一度観たかった」シリーズ、その二。もう何も言うことはない。初日どうよう、完璧な美しさである。


 ここで、メインステージから離れ、昨年のジャパンカップ・チャンピオンで、そのため今年はワールドカップへの出場権を得ている「パントマンガ」を観に行くが、またしてもスケジュールの突発変更で観られず、代わりに30分ずれ込んだ、直前の番組を観た。


*Dr.ニュートン
 日本の若手。ファイアー・トーチと鋸と林檎の、異種ジャグリングが面白い。しかも、その林檎を齧りながら、である。さらに、林檎5個(だったかな)のジャグリングで、全部の林檎を齧りながら、というのもやった。後半では「猫憑き」となって、バランス芸。評論できる鑑賞眼はないが、ひかるものはあるような気がする。伸びるのではないか。

*スペシャル・ブレンド
 ラップ風の音楽に乗って繰り広げられる、男女ペアの、マイムとマスクとダンスを混合したような、良く解らない [;^J^] 芸。こういうと怒られるかも知れないが、女性が太目だというのが(バランス芸もやる)芸人としては、珍しい。
 とはいえ途中で飽きてしまい、中座して、メインステージでの最終パフォーマンスへと向かう。

*中国雑技団スペシャル(張雪&張梅、チャイナ・ニエ、秦亜利、王健)

 私の理解が間違っていなければ、雑技団というのはサーカス団のことである。歴史と人口がアレであるから、中国雑技団の技術力は世界一、というのが定説らしい。そして、今大会に出場している中国雑技団(出身)の芸人、全員集合、の顔見せ芸は..いやはやなんとも。

 各自の持ちネタのショートバージョンから。
 まず、「張雪&張梅」。いまさら繰り返す言葉はない。
 次に、「チャイナ・ニエ」。要するに、長いロープの両端に器を結びつけ、その中にお茶を満たして、ぶん回す、というだけ。[;^J^](2〜30分のロングバージョンでは、もっと色々やるのだろうが。)スピードさえ緩めなければ、誰にでも出来る芸のような気もするが、回り始めと回り終わりは、そうも行くまい。また、彼はジー・デニック同様、体格に恵まれており、その大きな体でぶんぶん振り回すものだから、実に豪快。ほとんど猪八戒である。[^.^]
 三番目が、「秦亜利」。これが凄い。背の高い一輪車を操りながら、片足で食器(1枚乃至3枚)を跳ね上げ、それを頭の上に積んで行く。

 そしてトリが、「王健」のローラーボールである。これほど単純な芸なのに、誰もが息を呑む。

 この後の、即席で段取ったと思しき、全員による組体操については、特筆すべきことはない。なんといっても、個々の持ちネタが物凄い。やはり中国四千年。日本は中国には勝てない。世界のどの国も勝てない。


 ここで演技がすべて終わり。ファイナル・ステージへ。(記憶で書いているので、以下のプログラムの段取りは前後しているかもしれない。)

 まず、静岡市内の子どもたちから公募された、クラウンスタイルコンテストの優秀賞の発表。(「クラウン」というより「ピエロ」という方が判り易いだろうが、日本でいう「ピエロ」は、「クラウン」というジャンルのサブセットらしい。)準優秀賞が宇宙服系(「わく星クラウン」)、最優秀賞が花の妖精系(「ラブリーブルー」)だが、この最優秀賞のデザインと、これをデザインして、そのクラウンに扮した小学生の女の子が、もう、異常な可愛らしさである。会場がどよめいたぞ。カメラを持ってくるんだった!

 引き続き、市民クラウン全員(20人以上)によるステージショー。彼らは全員ボランティアであり、中にはなんと、64歳のおばあさんもいるらしいが、正体が判らないのをいいことに [;^J^] はしゃぎ回っている。コスプレをすると人格が変わる(正しくは、本来の人格が出る)ことは、私も承知している。

 彼らがマジックでステージに呼び出したのが、昨年度のワールドカップ・チャンピオンで、今年のスペシャルゲストである、「張雪&張梅」。そのショートバージョンの演技。今大会では、都合4回観たことになるが、何度観ても、いいものはいい。

 そして、ジャパンカップとワールドカップの発表。

 まず、ジャパンカップ。


*銅賞つぶつぶオレンジ
*銀賞三雲いおり
*チャンピオンサンキュー手塚

 この中には、今年観たパフォーマーは、いない。「つぶつぶオレンジ」は昨年観て、それなりに感心したものだが、今年はパスしていた。「サンキュー手塚」は、午前中の作戦ミスで観そびれていたものである。しくじった、と、悔やんだが、のちほどショートバージョンが演じられるので、よしとしよう。(しかし、チャンピオンを取ってからの「模範(お披露目)演技」、というのは、かなりのプレッシャーであろうなぁ。サンキュー手塚本人も、いささかびびっている様子。)

 引き続き、ワールドカップ。


*ビジュアル・インパクト賞ゼブラ・ステルゼンシアター
*エンタテインメント賞リエンドレ・リベラ
*オリジナリティ賞ウーリック
*好感度賞トリオ・サリレス
*チャンピオンパントマンガ

 最後の2組を観ていない。「トリオ・サリレス」は確信犯で見送ったので、まぁ諦めもつくが、「パントマンガ」はスケジュールの乱れさえなければ、きょう、観ていたはずだったのにぃ..(これも、ショートバージョンで我慢するしか。)それにしても、昨年の「ジャパンカップ・チャンピオン」からの連続受賞であるから、この静岡の大会のシステムとしては、考えられる限り最大の連続受賞である。(ワールドカップ・チャンピオンになると、翌年は“招待選手”扱いになり、各賞の受賞は出来なくなる。)これまたプレッシャーであろう。

 さて、お披露目演技。まず、ジャパンカップ・チャンピオン。


*サンキュー手塚
 えっと、パントマイム・コメディというのかな? [;^J^] 前半は、梅干しを食べる芸 [;^J^]。ナイトクラブ系の歌手に扮して、歌手の思い入れの(シャウトの)表情を、梅干しを食べることによって作る。梅干しからエスカレートして、レモン、そのレモンにタバスコやらラー油やら胡椒やらをぶっかけたものまで、どんどん口に入れる。[;^J^]
 後半は、会場最前列かぶりつきにいた幼女に花束を持たせ、その幼女に向かって愛の全力疾走をする、という芸。短距離ランナーのスローモーション、という芸は、「ザ・インビジブル・メン」もやったが、サンキュー手塚は、(小型扇風機の)向かい風に押し戻されて、前に進めない、というところまでやるので、1ポイント高い。この障害を突破すると、キューピー人形が構えていたピストルに撃たれる..
 ..と続いて行く芸なのだが、伝わったかな? [;^J^]


 引き続き、ワールドカップ・チャンピオン。


*パントマンガ
 う〜ん..ショートバージョン(抜粋)なのだから、きちんと評価できないが..確かにいい芸だと思うが..ワールドカップ・チャンピオンかなぁ..? 審査員評によると、超接戦だったらしいが、それが納得できてしまった。[;^J^]
 普通のパントマイムである。ガラス磨きと、エスカレーター。基礎はしっかりしていると見受けたし、派手なところのない地道な芸でもチャンピオンになれる、ということを示したのは、良い。また、ストーリーの最後に、ちょっとしたオチがついているのだが、これがなかなか爽やかであり、良い印象を残す。これが受賞に結びついたのかも知れない。


 ファイナル・ステージは、ここまで。このあと少しの間を置いて、ファイナル・パーティが始まる。なに、要は、ビヤホール系など、各種飲み食い系のテントの前にベンチを出しての、客とスタッフ(ボランティアの裏方)とパフォーマーの懇親会である。それと、小ステージを出してのバンド演奏と、ゲームなど。

 初日と最終日の2日間、最高の機動力を発揮した二段脚立だが、このに至って馬をあらわした。こういう立食パーティー(のようなもの)の中で、人ごみの中を泳ぎ回ろうとする時、片手にぶら下げた二段脚立ほど、邪魔なものはないのであった。[;^.^]

 ここでミーハーしなくて、いつミーハーするというのだ。精力的にサインをもらいまくる。「ザ・インビジブル・メン」、「ゼブラ・ステルゼンシアター」、「ウーリック」、「デビッド・ラムゼイ」(今年はパスしたが、去年観た)、「Dr.ニュートン」、「藤原秀敏」、「つぶつぶオレンジ」、「リエンドレ・リベラ」、「雪竹太郎」、そしてもちろん、「張雪&張梅」である。普段着の彼女らがまた、超可愛い!

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*1998年11月04日:スキャナーが帰ってきた


 会社で健康診断。どこでどう間違えたのか知らないが、今年は検診の各メニュー間の待ち時間が、異常に長い。始めてから終わるまで、1時間半以上もかかった。こういうロスタイムは、実に惜しい。というか、スケジューリングをした人事部の失態(厳しく言えば、社内の生産性に(少なくとも昨年よりは)ダメージを与えたのだから、マイナス考課の対象)になるのではないかと思うが、如何。

 修理に出していたスキャナーが、ようやくソフマップから帰ってきた..のはいいのだが、会社宛てに、いきなり代引き(代金引き換え)で送ってくるか? 普通..

 たまたま私が席を外していなかったからいいようなものの、私がつかまらなかったら(会社が立て替えるわけが無いので)いったんお引き取り願って、二度手間、という仕儀に相成るところであったぞ。

 画面の一部に水色の線が乗る、という症状だったのだが、修理伝票を読むと、スキャナーユニット自体の交換は当然として、どう考えてもこの症状には関係ないであろうCPUからメインボードまで、交換している [;^J^]。まぁ、およその事情はわかる [;^J^]。

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*1998年11月05日:「ネタバラシ」について


 fj.rec.comics で、「ネタバレ」に関する議論が、まだ、続いている。

 発端は、いつものパターンで、誰かが不注意なスポイラー(それを読んでしまった人から楽しみを奪うような記事を、“スポイラー”と呼ぶ)を書いたのである。それに対するやんわりとした抗議。さらにそれに対して、じゃあいったいいつまで自粛すればいいんだ、未来永劫か?といった反発。

 いつもどおりの筋書きである。ちょっと違うのは..延々と続いていて、終わる気配がまったくない、ということくらいか。

 もはや当事者以外、誰も真剣には読んでいないのに、である。

 もともと、そんなに引っ張るほど難しい議論ではない。終わらない理由は、ただひとつ。「負けた(あるいは、引いた)形では終わりたくない」、と、当事者の全員が考えているからである。ただただ自分の体面を守って終わりたいだけなのだ。(私は、この状態を「体面バトル」と呼んでいる。)そして、自分の体面を保つ(守る)もっとも判り易い手段は、相手に「(立ち直れないほどの)会心の一撃」を叩きつけることである。これを全員がやれば、あとは発振するだけである。

 ま、Subject は変更されずに続いているので、読み飛ばすことは誰にとっても容易である。トラフィックも知れている。つまり、大した迷惑は誰にもかけていないので、何十年でも、気の済むまでやってくれれば良い。

 ちなみに、私の「ネタバラシ」に関する考えは、しごく平凡なものである。

 「常識をわきまえよ」

 これだけ。

 本屋のミステリコーナーで、どれを買おうかルンルンしている人に向かって、その人が手にしている本の粗筋から犯人まで喋る馬鹿はいない。私が友人と気の置けない会話をしている時も、「あ、「占星術殺人事件」は読んでる? 読んでない? じゃぁ、ちょっとこっちの話はおいといて..」という気配りは、誰もがいつでもやっている。

 当たり前である。

 この、当たり前のマナーが通用しない世界は、私の知る限り、ネットニュース(と、恐らくはWebの掲示板)だけである。

 そして、他人の(誤った)行動を律することは、不可能である。これは、何度も何度も、徹底的に立証されつくしている。

 よって、解はひとつだけ。ネタバラシが恐ろしければ、ネットニュース(と、Webの掲示板)には、近づかないことである。

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*1998年11月06日:とり・みき単行本コレクション、最終コーナー


 しあわせ文庫から、とり・みきが2冊、「るんるんカンパニー 3」と「しゃりばり」が届く。これも Bizseek のお陰である。

 これで事実上、とり・みきのマンガ単行本は、全て揃った。残りは「The Very Best of るんるんカンパニー」の第2巻と第3巻だけであり、「るんるんカンパニー」本編が全て揃った今、この2冊は単なる抜粋集に過ぎない。無論、「解説」には意味(情報)があるので、入手する値打ちはある。ついでに言えば、6〜7年以上前、まだ、とり・みきファンではなかった頃に、いったん購入して売り飛ばした本でもある。くそっ [;^J^]

 あともう1冊、「しりとり物語」というエッセイ集が、手に入っていない。また、単行本未収録作品については、まだなんのアクションも取っていないし、実はそこまでの熱意もない。単行本を洩れなくフォローできれば、よしとする。

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*1998年11月07日:「夕刊赤富士 1」を見出す


 とある行き付けのWeb掲示板に、「「夕刊赤富士 1」(唐沢なをき)を譲ります。「なをき・よしこのパソコン夫婦バンザイ」と交換してくださる方、歓迎」、という書き込みが。

 「夕刊赤富士 1」は、久しく探していたものである。「なをき・よしこのパソコン夫婦バンザイ」も久しく探していたのだが、これは数ヶ月前に、Bizseek 経由で入手できたばかり。

 迷った。正直なところ、「パソコン夫婦バンザイ」を手放さずに「夕刊赤富士 1」を入手できれば、ベストである。しかしそんな色気を出して金銭トレードを申し入れているうちに、誰かが物々交換をかけたら、一瞬で終わりである。

 とにかく、「夕刊赤富士 1」の入手し難さといったら、並みではない。どうせ、あるところにはあるのだろうが、私の目の届く範囲について言えば、もはや稀覯本である。到底、手に入る気がしない。対して、「パソコン夫婦バンザイ」は、まだ、手に入る可能性があるような気がする。

 ということで、物々交換メールを送ってから、休日出勤。勤務先が、とある規格の審査を受けるので(そして私は、その担当者のひとりなので)、それの下準備&予行練習である。

 突然の頭痛。もしや、偏頭痛か?(年に1〜2度、いかなる頭痛薬も効かない頭痛に襲われるのである..)

 無駄と承知で頭痛薬を貪り食いつつ、帰宅。深夜、「夕刊赤富士 1」の人からメール。当選である! \[^O^]/

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*1998年11月08日:スキャナー/頭痛/悪夢


 修理上がりのスキャナーで画集のスキャニングを再開する。まずは、ノイズが乗っていることに迂闊にも気づかずにスキャンして、CD−Rまで焼いてしまった400枚強の撮り直しである。やることは判っているし、どの図版をとるか、とか、最適dpiは、とか、タイトルをはじめとするデータの打ち込みとかは終わっているので、これら400枚強については、前回よりも能率がいいはず。今日はとりあえず、100枚は片づけよう..と心積もりしていたのだが..

 頭痛が邪魔をした。40数枚で限界。夜8時という、異常に早い時刻に、フトンに入ったが..

 ..お約束の、悪夢である。

 私(と、私の家族)が、何かの窮地に追い込まれた。頼りになるのは、ある弁護士だけである。彼がやってきた。我々は、彼を出迎えるが..

 彼は、「後頭部におできが出来てしまって、それを引っ掻いているうちに穴が空いちゃって..」と、恐縮している。

 彼の後ろに回りこんだ妹が、彼の後頭部を見て悲鳴を上げる。

 私も弁護士の後ろに回り込んで、後頭部の“患部”を観て、息を呑んだ。

 それは、もはや、傷ですらなかった。

 直径10cmほどの、深い穴。

 その奥底に、頭蓋骨の内側が見える。

 穴の縁からは、脳漿の残り滓がだらだらと垂れ落ちている。

 弁護士の前に戻った私は、彼に、「まだ、私の言葉がわかりますか?」と、恐る恐る問う..

 彼の傷口の(生きていることが不思議なほどの)惨状よりも、私自身のその問いの“リアリティ”に、私は戦慄する..(彼の“返事”は、比較的、人間の言葉に近いものであった..)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 12 1998 
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