*1998年04月20日:SCSIカードをどうするか
*1998年04月21日:子どもらしさについて
*1998年04月22日:貸本マンガなど
*1998年04月23日:テクノアトラス/FreeBSD
*1998年04月24日:「携速95」など
*1998年04月25日:FreeBSD、インストール成功!
*1998年04月26日:ASTIオフ@J2
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*1998年04月20日:SCSIカードをどうするか


 さて、FreeBSDのインストーラは、東芝製のSCSIカード「SCSC200A」を認識しない。ならばやることはひとつ。サポートしているSCSIカードをドキュメントで調べて、それを買うだけである。迷う余地は無い。

 無いはずだったが..

 ..歯切れが悪いのは、ドキュメントを良く読んでみたら、「SCSC200A用のコードは既に入っているが、テストされていないので、インストーラでは(まだ)使えない」ということらしいのだ。ドライバの動作確認ができたら、結果報告して欲しい、とも書かれている。すなわち、なんとかしてインストールしてしまえば、SCSC200Aを使える可能性が高いのだ。わざわざ別のカードを買わなくてもすむかも知れない。(無論、そのドライバがバグっていて使えない可能性も、ある。)

 一応、ドキュメントに列挙されている動作確認済みSCSIカードと、リブレットFAQを突き合わせて、ベストチョイスはADAPTECのAPA−1460シリーズ、と、あたりをつけたが、OAナガシマに電話したら在庫無し。その他の(FreeBSDで動作確認されている)カードは、購買意欲が湧かない。ADAPTECに目をつけたのは、さまざまなOSでサポートされている、メジャーなブランド品らしいからだ。SCSC200Aに対して、このアドバンテージがあるからこそ、(Yet Another SCSI CARD として)買ってもいいかな、と思ったのであって、FreeBSD(とWin95)以外のOSで動くかどうか怪しいカードを買う意味は、無いのだ。

 ということで、社内ニュースに、(ADAPTECに限らず、FreeBSDで動作確認されているカードを列挙して)「どれか貸して」、と、投稿する。[;^J^] つまり、インストールだけ切り抜けて、あとはSCSC200Aをなんとか動かして、これで運用しよう、という腹なのである。パソコンオタクの比率が異様に高い会社であるから、すぐに調達できるのではあるまいか。

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*1998年04月21日:子どもらしさについて


 ネットニュースでもパソコン通信でも同じだと思うが、未成年(中高生)が投稿なり書き込みなりする場合、自分の年齢を(聞かれもしないのに)名前に併記することが、しばしばある。「ABC@14歳!」「XYZ@来月から高校生!」みたいに。

 私は、こういう奴等が、大っ嫌い。絶対にコメントもレスもつけないし、挨拶されても返事をしない。

 それは、「若輩者ゆえの無作法がありましたら、ご指導・ご叱責ください」という、謙虚さの表明ではなく、「若いんだから、多少のことは大目に見て、可愛がってね!」という、甘えの姿勢だからだ。言外に、「僕って、アイドルだよね!」というニュアンスも、読み取れる。

 こういう連中よりも、年齢を隠して(偽って)、精一杯背伸びをして大人の振りをする中高生の方に、遥かに清々しい、「子どもらしい覇気」を感じるのである。

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*1998年04月22日:貸本マンガなど


 石川球人の「巨人獣」(QJマンガ選書、太田出版)を探すが、みつからない。その代わりに、「あっ!生命線が切れている」(好美のぼる、唐沢俊一編、二見書房)を見つけてしまった。プラマイゼロだ。ついでに、「地獄で笑ふ男」(唐沢俊一編、二見書房)も買う。「カルト・スリラー劇場」シリーズの2冊。貸本マンガ傑作(迷作)選集である。

 グインの第60巻の作者後書が異常にハイだが、栗本薫は大丈夫か?という投稿が、ネットニュースに流れていたのを思い出し、立ち読みしてみた。

 ..呆れた。

 内容は、まぁどうでもいいのだ。4日で1冊書いてしまった自慢話などである。酷いのは、文体(というより、執筆姿勢)で..これでも、プロの文章か? これで、客から金を取る気か?

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*1998年04月23日:テクノアトラス/FreeBSD


 「キーボードレイアウター Keylay」を「窓の杜」からダウンロードして、インストール。アプリケーションキーを、IME起動キーに置き換えてしまう。万全の使いやすさではないが、ALT+半/全よりは、ましである。ただちに、ニフのシェアウェア送金代行サービスから、送金する。

 余談だが、シェアウェアへの送金率は、日本が飛びぬけて高いそうである。以前聞いた話だと、日本1国で、日本以外の全世界に匹敵する(あるいは、凌ぐ)とか。アメリカなんかは、全然駄目らしくて、これは意外だった。(だから、アメリカのシェアウェア作者は、自分のソフトを日本語化して、日本デビューさせることを狙うらしい。)

 裏は取っていないが、これは、ニフの送金代行システムがあるからだ、と思う。普通の会社員は、(シェアウェアの)送金のために、なかなか昼休みを潰してまで銀行や郵便局に行くことは難しいが、ニフのこのサービスのおかげで、休日だろうが深夜だろうが、任意のタイミングで、簡単に送金できるのである。それはもう、「送金するのが楽しくなる」ほど、楽なシステムなのだ。(考えてみれば、アメリカ(等)にも、同様のシステムが、無いわけが無いのだが。)

 小学館から、テクノアトラス(「日本列島大地図館」「世界大地図館」)が届く。私は、ここ数年間で恐らく100万近く、美術全集その他を(通販で)小学館から購入しているカモ^H^H上客なのである。

 ランドサットによる写真地図なども素晴らしいのだが、何よりも気に入っているのは、「世界」の場合、どんなに小さな国でも、必ず(それなりのサイズの)全図を載せていること。そして、世界の全ての国の首都の市街地図が載っていることである。

 手元にロンドンの地図があると無いとでは、探偵小説を読む時の感興が、まるで違うことは、言うまでもあるまい。同様に、中島敦(「光と風と夢」)を読む時には、サモア島の地図が、とり・みき(「愛のさかあがり」)を読む時には、マジュロ環礁の地図が、必携なのである。あわせて3万強だが、これはお薦め、お買い得。

 社内ニュースに投稿した、「SCSIカード貸してちょうだい」記事に対する反応が、いまだに無い。[/_;] 一人前のオタクなら、SCSIカードの2枚や3枚、使い分けているのが普通でしょっ!(← 八つ当たり75%)

 FreeBSDのインストールを、これ以上延引するのは本意では無い。この際、マイナーなカードでも仕方ないか、と、腹を決めて、OAナガシマへ。

 なんだ、先日電話確認したら在庫無しということだった、ADAPTECのAPA−1460A、はいってるじゃん。当然、捕獲。ついでに「携速95」(CD−ROMを圧縮してHDにコピーし、HD内に仮想CD−ROMドライブを作るソフト)も捕獲。

 さて、SCSIカードの認識問題はクリアしたものの、次の段階でつまづく。FreeBSDのインストーラは、PDをCD−ROMドライブとみなしてくれない。[;^J^]

 手強いなぁ。

 Win95(か、DOS)で、インストールパッケージ全体をDOSパーティションに読み込んでから、インストーラを起動すれば、SCSIがつながっていなくても、DOSパーティションから読み込むことが出来るのだが..

 ..それではなんか“負け”っぽいし [;^J^]..

 ..SCSIカードも買い足したんだし [;^J^]..

 どのみち、インストールを切り抜けて、稼動しだしてからも、PDを使う予定なのである。この段階でクリアしてしまいたい。明日、リトライしよう。

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*1998年04月24日:「携速95」など


 携速95をインストールして、ざっと動作確認。オッケー。安定性が、いまいちなような気がするが(HD内の“仮想CDラック”から、いつの間にか、1枚消えたことがあった)、ま、運用しつつ、様子をみよう。

 ..ここで、気がついた人は、鋭い。

 私の、PC周辺の環境整備は、大森望の「狂乱西葛西日記」を、キャッチアップしているのである。[;^J^] 大森望が導入したものを、数週間遅れで購入する傾向が、あるのである。[;^.^] 従って当然、今は「平凡社日本百科事典(CD−ROM)」に、大いに興味があるのであった。

 携速95で遊んでいたので、今夜は、FreeBSDにトライしている時間が無かった。明日、明日。

 3軒茶屋の2階のマンガ屋から、連絡が来ない。「少年チャンピオン・アラバスターセット」は、外れたようだ。これも巡り合わせだ。また機会はあるさ..

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*1998年04月25日:FreeBSD、インストール成功!


 引き続き、携速95で遊ぶ。「リーダーズ+プラス」「吾妻ひでお CD−ROM WORLD」「ENCYCLOPEDIA OF OSAMU TEZUKA」まで圧縮して放り込んだところで、残り200Mを切り、正気に返る。[;^.^] 同時に、これで、HDを換装しても無駄だということも、明確になった。2Gで足りないものが、3Gで足りるわけが無い。

 「ヌルゲリラ」(唐沢なをき、アスペクト)等を買いに、書店へ。「西遊妖猿伝 2」(諸星大二郎、潮出版社)が、見当たらない。

 「平凡社日本百科事典(CD−ROM)」は、5月末日まで5万7千円、それ以降は、7万円。店頭で確認したが、書籍だから、安売りしているわけが無いのであった。ゴールデンウィーク中に、秋葉に(一日は)出かける予定だが、万いち、廉い店があれば、そこで買おう。

 帰宅してから、FreeBSDのインストール再開。PDをCD−ROMだと思ってくれない件、どうやら、はまりそうな気配である。切り抜ける方法は見つかると思うが、FreeBSDが立ち上がってからの方が、きめこまかいカット&トライや微調整が、しやすいであろう。

 ということで、PDからのインストールは、潔く諦めて、Win95でCD−ROMを \freebsd ディレクトリに読み込む。これをいったん、VFATBAKでPDに書き出してから、Win95起動ディスクでブートし、FDISKで、本体HDを2パーティションに切り分け、\freebsd ディレクトリのサイズぎりぎりに切りつめた、狭い方のパーティションをフォーマットして、そこにVFATBAKで、PDから \freebsd ディレクトリを戻す。(ロングファイルネームが含まれている可能性があったので、VFATBAKを使ったが、別にその必要はなかったようである。)

 ここで、FreeBSDのインストールディスクからブートして、DOSパーティションからインストール、成功!

 取りあえず、rootでログインして、シャットダウンする実験を2回行ってから、夜も更けたし明日は早いので、寝る。

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*1998年04月26日:ASTIオフ@J2


 ..結局、寝過ごした。7時33分のこだまに、約90秒差で乗り遅れ、8時6分のひかり。東京着なら、こちらが先なのだが、今日の目的地は、それより手前、田園都市線の二子新地なのである。こだまは新横浜に止まるが、ひかりは東京まで通過してしまうのであった。

 しかも私は、二子新地への正確な経路を知らない。出発前は焦っていたので、リブは持参しないことにした。こういうコンディションで持ち歩くと、絶対に、置き忘れるか落とすか、とにかくロクなことになるはずがないからである。この判断自体は正しかったと思うが、お陰で、地図の載っていたメールも、「駅すぱあと」も、置いていくことになった。たまたま持っていたポケット版の時刻表には、田園都市線など載っていない。

 そのため、渋谷駅での乗り換えで手間取り、駄目押しの判断ミスとして、二子新地ではなく、二子玉川で降りてしまった。

 というのは、今日の待ち合わせの最終目的地は、二子玉川のはずで、一駅手前の(渋谷から見ると、一駅遠い)二子新地で待ち合わせるのは、買い物か何かの都合だろう、と、推測できたからである。

 これが、大間違い。多摩川をはさんで向かい合っているこの2駅の、二子新地側の河原に、いかがわしい集団が集結しつつあるのを、私は対岸から確認することになってしまったのであった。

 その集団は、「J2関東」。確か起源はjunet時代に溯る、fjのジンギスカンパーティーである。89年からfj(当時はjunet)に参加している私だが、J2に参加するのは、今回が初めて。ASTI(あじましでお追跡委員会)のオフが、これのサブセットとして開催されることになったので、この伝説的なJ2に参加する機会もできたという次第。

 それはそれとして、対岸である。[;^J^] 浅瀬を見つけて突破してやろうか、と、しばし本気で考えたが、流れが速い。まんがいち、この大集団の前で流れに足をすくわれて溺れでもしたら、末代とは言わないが、まず7年間は、ネタにされ続けるであろう。素直に二子玉川駅に戻り、ひと駅先の二子新地駅で降りる。結局、10時の待ち合わせに遅れること1時間、J2スタートの11時に、ピッタリ間に合うことになった。

 100人規模である。雨がパラつく、あいにくの空模様。しかも私は間が悪いことに、浜松の自宅を飛び出す段階では快晴だったので、傘を持ってこなかったのだ。新幹線で東上する過程で、局地的どしゃぶり地域をいくつか通過してきたから、最終的には晴れるとしても、何回か雨に見舞われるのではあるまいか..

 それはともかく、かまどの準備。多摩川の河原で、石を拾う。さすがにここまで下流になると、ロクな石が無い。確かにこれでは売り物にならない。(よくわからない人は、つげ義春を読むこと。)

 J2というのは、面白いものだ。まるで「連合王国」である。われわれもそうなのだが、個別のMLやニュースグループ?などの人脈で、個別に料理が展開され、中央政府というわけではないが、管理委員会?が、酒や肉の到着をメガホンで伝え、タイムキーピングと金の管理をする。聞けば、開催される度に、ホームページと準備用MLが起こされるとか。

 ASTIのメンツは、いつもの常連である。今回の収穫は、fj等で活躍している論客のL氏に会えたこと。

 感心したのは、投稿の論調と、全く印象が変わらないことであった。私の考え方と異なる点は、いろいろあるのだが、この、裏表の無いストレートな人格は、信頼に値すると思った。

 肉が美味い。ワインもそれなり。(日本酒も美味かったらしいが、飲みそこねた。)トイレが遠いのが、難点ではあった。

 心配された雨も、それほどのことはなく、たまに傘が必要になることはあっても、傘を持たない私が(これを持参したのは偉かった)バスタオルで凌げた程度の降り方であった。(“真知子巻き”を忘れてしまい、受けを取り損なってしまった。 ← わからない人は、ついてこなくてもいいです。[;^J^])

 お開きになったのち、ASTIの面々は橋を渡って(そう、鉄橋の向こう側に、橋があったのである)二子玉川の街へ。カラオケボックスで2時間。余裕を持って、無事にひかりで浜松へ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 30 1998 
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