ループ(鈴木光司,1998


 ..「リング」だけで止めておけば良かったのに..というのが、正直な感想である。

 続編の「らせん」を書いてみたら、途中経過はともかく、エンディングのヴィジョンが、案外つまらないものになってしまった。そこで、「ループ」でフォローした。結果、「ループ」を書かないよりは“マシ”な状態には、なんとか押し戻せたが..

 「リング」は、なんとも分類のしようのない、異様な恐怖小説の傑作だった。「らせん」は、そこにSFの手法も加え、しかも絶対にSFではない、超ジャンルの佳作となった。そして、「ループ」は..ただの二流のSFだ。これはもはやホラーではなく、超自然的要素も全く無く、ほとんどミステリですらない。

 「謎を解明せずに、謎と対決(共生)したまま終わる、“大人のジャンル”であるホラー。謎を解決してしまう、“子どものジャンル”であるSF」というのは、確か、伊藤典夫の言葉であり、多分に逆説的なレトリックではあるのだが、これを悪い意味で実現(実証)してしまったのが、「リング」「らせん」「ループ」の三部作と言える。

 「リング」と「らせん」の超自然現象を、仮想世界のVR(バーチャル・リアリティ)で説明してしまうのは、最悪だ。これでは「死を呼ぶビデオテープ」も「遺伝子に埋め込まれた暗号」も、なんでも説明できてしまう。全ての恐怖が、消滅してしまった。

 SFとしては、一応破綻はしていない。しかしもちろん、「フェッセンデンの宇宙」を越えるものでもない。

 VRを導入して、前2作の“謎”と“怪異”の魅力をつや消しにしてまで、“説明”を与えようとしたわりには、最大の謎である「リングウィルスの出現理由」が、宙に浮いたままである。「ネットワークからの介入かも知れない、コンピューターウィルスかも知れない..」という、まさになんの解決にも解答にもなっていない疑問形のままである。

 馨がループ世界に帰ったのは、ループ世界を存続させるため、と、一応理由付けはされているが、現実世界にしてみれば、馨から、「転移性ヒトガンウィルス」をブロックする構造をニューキャップで抽出し終えているのだから、ループ世界が消滅しても(あるいはガン化して凍結したままでも)、本当はどうでもいい話なのである。まぁ、この点は、エリオットのループ世界への執着で説明できるが..しかし、「らせん」のラストで高山が復活したことの、後づけフォローに過ぎない、というのが真相だろうなぁ、やはり。[;^J^]

 むしろ、この三部作の主題は“親子の情愛”である、と思えば、それほど腹はたたない。本書でも、作品の流れにうまく組み込まれているとは言えないものの、秀幸と馨の父子関係は魅力的に描かれているし、馨と礼子の不用意な情事が、礼子の息子の亮次を自殺に追い込んで、礼子を悔やんでも悔やみきれない絶望に突き落とすくだりは、心を打つ。惜しいのはエリオットの人物造型の中途半端さであり、これはもっと凄味のあるマッドサイエンティストにするか、あるいは、それこそ神のごとき叡智の持ち主にすべきではなかったか。

 結果として、謎は残った。リングウィルスは、何故出現したのか。ループは、何故、現実世界と寸分違わぬのか。

 しかしこれは、「リング」の幕切れで残された“謎”ほどには、もはや力が無い。つまり、これらが残されたことによって、作品世界全体に「まだ、どこか違う..何かがおかしい..」という、不安定感を与えることは、出来ていない。

 これらをトリガーとして、さらに第4作を書く、という解決策は、ありうる。しかし第4作を書く意志は作者には無いだろうし、読者も期待していないだろう。つまり、第4作を起こさなければならないほどの、どうしようもない矛盾、というわけでも無いのだ。まさに中途半端な幕切れであった。



*「ループ」鈴木光司 (角川書店)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 29 1998 
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