*1997年04月21日:メモについて
*1997年04月22日:「妖虫」
*1997年04月23日:96度のスピリタス
*1997年04月24日:顔文字について
*1997年04月25日:「SF」と「電子音楽」
*1997年04月26日:スキルの低いサービスマン
*1997年04月27日:「スターメイカー」
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*1997年04月21日:メモについて


 長期間にわたって何かを作って行く時に肝要なのは、“途中経過の作業メモ”を残すことである。別に作品リストや文献の類に限らない。プログラムや模型、小説や漫画、あるいは庭や家。どんなものを作る時でもそうだ。

 ふと気が付いて書き留めたこと。ちょっとした計算式。完成品(に近いもの)が出来上がる頃には、それらの多くは、記憶から失われてしまう。そして“完成品”が“真の完成品”であることなど、決して有り得ず、何か手直しをしたり、間違いを修正したりする必要に迫られたとき、最大の手がかりになるのが、これらの“作業の断片”なのである。

 無論、こういう“ゴミ”を、ことごとく残していては、部屋が廃虚になるばかりである。私は「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」作成メモを、非常に注意深く残しているが、モノを捨てるのが整理の第一歩だとしても、それは“整理学”の初歩の初歩に過ぎず、真に重要なのは、捨ててはならない“ゴミ”を、いかに見極め、いかにその散逸を防ぐか、ということである。

 以下、余談である。

 大友克洋の「アキラ」は、その近未来描写のリアリティに秀でているが、私が特にリアリティを感じたのは、優れて現代的な“細部”である。それは、ある秘密会議の出席者のノートを盗み出して、その会議での“真の”議題を知るシーンである。その出席者は、欄外に小さく「アキラ」と書いて、“それを×で消していた”のである。

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*1997年04月22日:「妖虫」


 「妖虫」と言っても、江戸川乱歩ではない。古賀新一の恐怖コミックである。

 「死霊の叫び」(角川ホラー文庫)を、書店で、なんの気なしに手にとって、裏表紙を見てみたら、「妖虫」の文字が! 速効でレジへ。

 これは学生時代(もしかすると高校時代)に、書店で立ち読みして以来、久しく読み返す機会がなかった大傑作。当時の少年チャンピオンコミックスは、ごくごく一部、再刊されているものを除くと、古書店でも滅多に見つからないのだ。これでようやく再読できる。

 ..これを普通の意味で“傑作”と言えるかどうか。何しろストーリーが、ほとんど無いに等しい。人類の戦慄的な進化に関する、ある“思索”が、いくつかのエピソードの連鎖によって語られている。その“進化”のイメージの、おぞましさ..!

 「おぞましき“進化”」とくれば、古いSFファンなら、誰もが「幼年期の終り」(A.C.クラーク)を思い出すはずだ。そう、これは、古賀新一版「幼年期の終り」なのである。(偶然だろうが、ストーリーテリングがガタガタである、という点でも共通している。)

 「幼年期の終り」の終盤から、何節か引用しよう。(ハヤカワ・SF・シリーズ、福島正実訳より)

「彼らはなにか、複雑な儀式舞踏をやっている未開人のように見えた。真っ裸で、不潔で、もつれた髪は眼にまで垂れ下っていた。ジャンの見たところでは、彼らはみな5才から15才までの年令に見えたが、それがみないっせいにおなじ速度と正確さをもってうごきまわっているのだった。そしてだれもが、周囲には完全に無関心だった。
 そのとき、ジャンは彼らの顔を見た。彼は乾いた唾を呑んで、顔をそむけようとする自分を必死に押えなければならなかった。彼らの顔は、死人の顔よりもなお空虚だった。死人の顔にさえ、時のたがねに刻まれたなんらかの歴史が、その唇がものいわぬ唇となり果てたのがいつかを語るなにものかが、現われているものだ。ところがここには、蛇か昆虫の顔に浮かぶほどの情緒も感情もない」(256頁)

「彼らは、眠っているか、あるいは忘我状態にあるようだった。眼はかたく閉じて、周囲のものを意識していない。彼らは、意識のなさでは、そのあたりの樹木とすこしも変りはないのだ。彼らの心の織りなす複雑な網の目には、いまどのような思念が交錯しているのだろうか?」(258頁)

 古賀新一の描く、我々とはなんの連続性もない、不気味な新人類の姿こそ、「幼年期の終り」の子どもたちにふさわしい。

 確かに「妖虫」には、「幼年期の終り」の圧倒的なヴィジョンは、存在しない。理解不能の超越的存在に進化してゆく子どもたちに置き去りにされた世代=最後の地球人の悲哀も諦観も、存在しない。旧人類と新人類がコミュニケート出来ているという点では、クラークよりも、遥かに生温い。

 しかし、人間が「虫のようなもの」へと進化して行く過程を、淡々と語り綴る、どこか東洋的な、乾いた情感..私は、古賀新一のイラストに彩られた「幼年期の終り」を読みたいと、痛切に思う。

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*1997年04月23日:96度のスピリタス


 イワシ料理専門店のSに入ってみる。メニューが豊富で、そこそこ美味しく、ママが美人。これは贔屓にするしかない。

 調子に乗って、96度の酒(スピリタス)を注文してしまう。わはは、これはもはや飲料ではない。燃料である。[;^J^] マッチで火を点けると燃える燃える。舌の上で蒸発させると、気化熱が美味しい。[;^J^]

 リマ人質事件、強行突入で解決。犯人全員射殺。(投降した犯人も射殺した由。これはさすがに乱暴(と言うより違法)な気がするが、平均的日本人の価値判断が通用する状況では、ないのだろう。)事件発生127日目。“きり”がいいな、と思ってしまうのは“癖”の問題であり、不謹慎と言われても困る。[;^J^]

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*1997年04月24日:顔文字について


 ネットニュース恒例のゴタゴタである。その喧嘩の内容にも、全く新味は無い。

 :-P という顔文字を、ある人が(多分、軽い気持ちで)使った。別の人が、そういう意味不明な顔文字を使われると、気持ちが悪いと苦情を言う。最初の人は、アッカンベーだからアッカンベーなのだ、と言い返す..

 顔文字を使うことの是非はさておき、この議論では、:-P を使った人の強弁に、無理がある。苦情を言った人は、それが“アッカンベー”の意味なのだということは、当然知っているのであり、抗議したのは、その意味内容ではなく、“後から意味を差し替えることが出来る”、というフリーハンドを残している、その狡猾さに対してなのであるから。

 :-P を使った人は、誰に対しても、これが“アッカンベー”の意味である、と、言うだろうか? 言う、と(上では)彼は言っているが、これは信用できない。:-P を使った文章を読んだ相手に応じて、:-P の説明を言い分けることが、大いに予想される。曰く、軽い親しみのマーク。曰く、悪意のある侮蔑。曰く、笑顔。曰く、特に意味は無い..

 この曖昧なマークの意味は、オーサライズされておらず、辞書にも無く、判例も無い。あとから自由に意味付けを変えることが出来るのだ。つまり、:-P を使った文章の意味(ニュアンス)は、一意に定まっていないのである。符丁が通ずる仲間うちならともかく、一語一句が重要であるような議論に、こんなものを使うべきではない。(請求範囲が公開時からまるで変ってしまうような特許に悩まされていると、こんなことも気になるのである。:-P)

 晩飯は、居酒屋E。最後に注文したワサビ茶漬けで、大ミスをしでかす。まるでコーヒーフロートのアイスクリームのような、巨大なワサビの塊が、平然と乗っかって来たのだが、これほど大きいということは、要するに効きが悪いワサビなんだろうと、全部突き崩して、溶かしてしまったのである。それからやおら、茶碗を口元に。

 その香りが目と鼻に入ったとき、呼吸が止まり、目が塞がり、鋭く冷たいものが、後頭部から天井へと突き抜けて行った..

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*1997年04月25日:「SF」と「電子音楽」


 文字化けが酷い。だいぶ以前、アクセスで原因不明の文字化けが発生し(どうも、大量の文字を一度に画面に表示すると、システムフォントが破壊されるらしい)、いつの間にか治っていたのだが、数ヶ月前から(日記には書かなかったが)、また、この症状が再発していたのだ。そのような大量の文字表示が起こらないよう、そっと使っている分には大丈夫なので、これはハードとソフトの相性の問題、と、なかば割り切っていたのだが..

 アクセスだけではなく、ネットスケープで、手塚治虫のリストを普通にスクロールしているだけで、フォントが壊れるようになった。同じ原因かどうかは解らないが、症状は同じ。これではまともに使えない。明日、帰省がてら秋葉原の東芝テクノセンターに行くので、この件も相談してみる。ま、いつかは発症し、いつかは治さなければならなかったものだとすれば、グッドタイミングと言えばグッドタイミングだ。

 晩飯は、イワシ料理のS。またスピリタスを注文してしまう。(癖になってしまったのである。[;^J^])

 チビチビと舐めながら、今日発売のSFマガジンを読む。

 「(現代日本の)SFはクズか!?」という論争が起こっているのだが、(これを仕掛けたのは「本の雑誌」らしいが、)ま、これ自体には興味は無いのだが、面白い文章は、いくつか拾える。今月号では高野史緒の論。SFは既にジャンルではない、と、氏は考えているのだが(そんなことは20年以上前から、当たり前の話なのだが)、これを「電子音楽」という、滅び去ったジャンルに喩えている。昔は、電子音を使っただけで「電子音楽」に括られたものだが、電子音を操る手段が、シンセサイザーの大衆化などによって、あらゆる音楽ジャンルに開放された結果、電子音やシンセサイザーを使っただけでは、電子音楽と呼んでもらうことが出来なくなったのだ、と。なるほど、これはわかりやすい。氏の論調全体は、文学主義に傾斜し過ぎていて採れないのだが、この比喩は使わせていただこう。

 この論争とは直接関係ないのだが、大原まり子のインタビューも面白い。(昔は美少女だったのに..いや、余計なことは。[;^J^])私とほぼ同年齢(1959年生れ)の彼女は、現在のSF作家の人材枯渇(要は、才能あるクリエイターが、他のジャンルにさらわれて行ってしまう)に関して、「昔はゲームとかパソコンとかインターネットなんて面白いもの、なかったもん。小説読むのがいちばん面白かった」。そ、そうか。確かにその通りだが、つまりなんだ、私らの世代の子ども時代って、貧しかったのね。いま気がついた。[;^J^]

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*1997年04月26日:スキルの低いサービスマン


 帰省。まず秋葉の東芝テクセンへ。見てもらいたいことは2件で、「液晶ピンク色チカチカ現象」と「アクセスとネットスケープでフォントが壊れる事件」である。前者はハード、後者はソフトの障害である。

 先にハードの方を相談するが、やはり今日じゅうに見てもらうのは無理であり、仮に液晶の交換に至らなくても、少なくとも1週間は預けることになる由。それは承知の上だし、どうせ来月17日前後に上京する予定はあるのだが、預けるにしても、先にソフトの方を見てもらおう、と、ソフト担当の窓口に持ち込んでみたら..

 ソフトのサービスエンジニアは、10人(以上?)いるらしいのだが、私が引いたのは“ハズレ”であった。いやはや、全く、これほどスキルの低いサービスマンというのを、久しぶりに見た。

 フォント破壊事件の原因が全く判らないのは、置いておくとしても..問題を切り分け、原因を追い込んで行く、基本的な手法を、習っていないのだろうか? コントロールパネルからフォントを変更してみる、とか、リブートしてみる、とか、フォントキャッシュを消してみる、とか、やっていることひとつひとつは、間違いではないのだが、それを行う順序や組み合わせを全然考えていないので、結局、なんの試験にもなっていないのだ。私がわきから、チェックの段取りをガイドしてやらなければならない有り様なのである。そして、これだけならば、ただの“無能”に過ぎないのだが..

 呆れた、というより、ほとんど驚いたのは、(適当に思い付いたことを)チョコチョコとやっているうちに、症状が一時的に消えることがある。すると彼は、なんと、「お!治った!」と、喜色を浮かべて身を乗り出すのである。(もちろん、事態はそこまで甘くはなく、私が症状を再現して見せると、「う〜ん、なんだろう」と、また、椅子に身を沈めるのだ。)

 まともな教育(職業訓練)を受けていないのだろうか?

 私は、メーカーの開発部門にいるが、製品の開発の過程、あるいはテストやデバッグの段階で、触っているうちに、いつのまにか症状が消えてしまう、ということは、よくある。そういう時、経験の浅い(あるいは、開発のなんたるかが判っていない)作業者が、「お、症状が消えた!」と、喜ぶことが無いではなく、その現場を(運良く)押えられた場合は、私は必ず、厳しく叱責している。とんでもない心得違いだからである。

 自然治癒するバグなど存在する訳がなく、症状が消えた、ということは、「見えないバグ」という、さらに悪質なバグに変容したことと、唯一の手がかりを失ったことを意味しているのだ。事態は一気に悪化したのである。

 それを無邪気に喜ぶというのは、身元不明の他殺死体を紛失したので、殺人事件はなかったことにしよう、というのと同じことである。殺人犯は、まだウロウロと、街中を歩き回っているというのに。彼は、あるいは無差別に凶行に及ぶ殺人鬼かも知れない、というのに。

 2時間付き合わされた挙げ句、お預かり、ということになった。ゴールデンウィークの後半は、テクセンは休みになるので、28日までに治しておく、という約束である。そういうことなら液晶の方も見ていただきたいのだが、と言うと、ハード部門としばらく相談していたが、結局、蓋をあけるなどの実作業にかからないことには、どれだけ時間がかかるか判らない(液晶交換なら、一ヶ月かかる)ので、これは地元のサービスステーションで修理していただいた方が..と、サービスステーションの一覧表を渡される。それは重々承知しているのだが、とにかく、輸送や、あるいは時間を置くことによって、症状が消える傾向があるので、リペアマンの目の前で、症状を見せたいのだが..

 ま、先方の言い分ももっともなので、液晶の件については、今日のところは引き下がる。結局、本命の液晶については修理に出すこともできず、軽く片付くかと思っていたフォント破壊のために、預けることになる、という、妙ちきりんな結果になった。重い思いをして、T2150も持ち帰ってきたのは、正解だった。

 荷物が重いので(書籍類を宅急便で実家送りにするのを忘れたので、ぶら下げて来たのだ)、寄り道せずに横浜の実家へ。

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*1997年04月27日:「スターメイカー」


 久々に「新・ベルリオーズ入門講座」に追加するためのエッセイを書く。そのために必要な「レクイエム」のスコアは持ち帰っていたのだが、「荘厳ミサ曲」のスコアも必要だったことに気が付いた。95%書きあがったが、脱稿は浜松に帰ってから。

 同様に、実に1年ぶりに「内宇宙への扉(凍りついた夢の結晶−書評集)」に、「スターメイカー」の書評を追加するために作業を始めたのだが..

 「内宇宙への扉」の更新がストップしたのは、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の作業が始まったためもあるが、もうひとつの理由は、「スターメイカー」に手をつけてしまったからだった、ということを思い出した。内容紹介を1/3位まで書いたところで、挫折していたのである。

 作業を再開したものの、ほとんど泣きたくなってきた。これはもう、無茶苦茶に情報量の多い、普通のSFや幻想小説なら30冊は書けるほどのアイデアがぶちこまれている小説なのだ。大長編のあらすじに匹敵する内容が、僅か数ページに詰め込まれている、それの連続なのである。

 再び挫折しかかるが、ここで負けたらあとが無い、という(根拠の無い)強迫観念に襲われる..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 29 1997 
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