*1996年10月28日:しぐさについて
*1996年10月29日:「アインシュタイン交点」について
*1996年10月30日:「猫の目」をフォローしてはならない
*1996年10月31日:客引き嬢について
*1996年11月01日:焼失について
*1996年11月02日:追憶:「神曲地獄篇」
*1996年11月03日:大道芸の祭典
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*1996年10月28日:しぐさについて


 妙な癖を持っている。それは「何かを注視しながら、手は“ゆっくりと”よそ事をする」というものである。注視する何かとは、例えばコンピューターのディスプレイであり、手でするよそ事とは、例えばダイレクトメールの封筒を引き裂くことである。こんなことは誰でもしていることなのだが、“ことさらにゆっくりと”するのが、ポイントなのだ。

 原因は、大体判っている。「ジュラシック・パーク」だ。

 あの、ビジュアルショックつるべ打ちジェットコースタームービーの中では、とりわけ印象的なシーンとも言えないのだが、マルドゥーンがヴェロキラプトルを狩りに行くところ。茂みの向こうにラプトルを見つけてからの動作。

 銃のことを何も知らないので、正確な語彙で表現できないのだが、マルドゥーンは、ラプトルを発見してから、私のような銃素人の目には、実にもどかしい作業を始める。つまり、持ち運び用に小さく折り畳まれていたライフル?を、組み立てるというか、銃把の部分を起こして、肱当てのような形に伸ばすのである。その間、カシッカシッと音がして、これがラプトルに聞こえないわけがないだろう、と、観ているこちらがはらはらするし、そんなことをしている間に襲われたらどうするのだ、最初の携帯用?形態のまま、撃ってしまえば良いではないか.. 無論、ただの素人考えであることには間違いなく、これら一連の“危険で無駄に思える”動作には、しっかりとした根拠があるのであろう。それにしても、危険を目前にして、ラプトルからは片時も目を離さず、銃をゆっくりとセットアップしてゆく..

 もうひとつ、銃を組み立てる前に、彼は驚くべき動作をした。つまり、“ラプトルを注視したまま、帽子をゆっくりと脱いで、脇に置いた”のである。無論、カウボーイハットなど被っていたら、まともな射撃は出来ないのであろう。それはわかる、しかし..

 これらの、“目を別の物に釘付けにしたまま、緊張感をはらんで、ゆっくりと行なう動作”にあっけなく影響され、“目をディスプレイに釘付けにしたまま、(緊張感をはらんで)ゆっくりとダイレクトメールを引き裂く”ようになってしまったのである。

 もうひとつ、恐らくこれにも影響されているはずなのが、ディクスン・カーの「火刑法廷」。この終章、ほとんど最後のページ近く、ある登場人物が、“視線を別の物に固定したまま、両手の指先は他のものを探る”動作をする。この動作の描写(正確には、それに使われた単語)の不気味さと幻想換起力! こればかりは、忘れられない。

 「ジュラシック・パーク」はともかくとしても、「火刑法廷」によって(生涯消えないであろう)“しぐさの癖”を植えつけられたことに、私は陶酔を覚えるる。そう、「火刑法廷」は、私に“刻みこまれた”のである..!

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*1996年10月29日:「アインシュタイン交点」について


 居酒屋YでSFマガジンを読んでいたら、鏡明が川又千秋との対談の中で、「しかし『アインシュタイン交点』の裏の物語というのは、実はよく見えない」と語っていた。我が意を得たり、である。そう、私にもよく判らないのである。[;^J^]

 ほとんど一行ごとにメタファーが仕掛けられているというのだが、わからんものはわからん。全くの勘だが、もしかして若者が町に出かけて巨大資本に飲み込まれる(あるいはそれと戦う)とかいう話なのだろうか? その程度の話だとすれば、読み取れない方が幸せだなぁ。[;^J^] 本当に短い長編なので、いずれまた読んでみましょうかね。

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*1996年10月30日:「猫の目」をフォローしてはならない


 先先週の「迷った時には単純側に倒せ」「ハンドルを切り過ぎてはいけない」の両箴言と、これまた似ているのだが..(ためになる日記である。)

 上司あるいは上層部からの指令が、猫の目のように変わることが、しばしばある。そんな時、部下はどう振る舞うべきか。

 上司の指示には従わず、従来の方針通り、まっすぐ進み続けるべきである。

 そもそも、方針の急変というのは非常事態である。それが、一回だけならともかく、二度三度と繰り返され、振幅している事態となれば..今回の方針変更が最後であると考える理由は、全くない。そうなると、実働部隊は、上司の将来の方針変更を織り込んだ上で、動かなければならない。

 この状態で、上司の指示を馬鹿正直にフォローしていたら、どういうことになるか、思考実験してみよう。簡単のため、上司の指示は一ヶ月毎に180度変わるとする。

 従来の方針にのっとって進んで来たプロジェクトにブレーキをかけ、完全に止めるまでに、例えば一週間。次に、上司の指令をブレイクダウンして新方針を策定するために一週間。それに向けて(180度)ハンドルを切り直すために、一週間。加速するために一週間。そこへ、次の(180度元に戻すという)指令が届く。これの繰り返しになる。

 つまり、新指令が届く時には、常に逆方向に向かって全力失踪している、ということになってしまうのだ。仮に、上司の方針変更に関らず、実働部隊レベルではひとつの方針を堅持していたとすれば、180度外れるのは2回に1回だけ、もう1回は、新方針にピタリである。

 無論、非現実的なまでに単純化したモデルだが、何よりも大切なことは、上司がこれほどの(猫の目のような)方針変更を繰り返さざるを得ない、という状況は、何なのか。その本質を見極めることである。うわべの(繰り返される)指令変更に惑わされず、状況の根幹を捉えて、それにそって作業をすすめれば、いずれは上司の指令の振幅が同じベクトル上に収束する。

 上司はつまりは旗振り役であり、少々あさっての方向を向いているとしても、とにかく前向きのベクトルを加速するのが仕事である。それについて行く部下(実働隊)は、いわばアンカーとなって、その、ぶれるベクトルの中からもっとも本質的なものを抽出して、作業全体をその方向に運ぶ。まぁ、これ以外のチームのありようというのも、色々あるはずではあるが..

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*1996年10月31日:客引き嬢について


 浜松でもっとも賑わう通りのひとつである、有楽街。そこにはいささか疎ましいものが出没する。風俗系の客引き嬢である。おっと誤解しないでいただきたい。私は風紀委員ではないし、こういう夜の蝶(というよりは毒蛾といった風情だが)は、目の保養として素直に楽しむタイプである。子供の出歩く時間には現われないし、教育的にもなんの問題もない。

 見ていて嫌なのは..彼女らが、真面目に仕事をしていないからである。チラシを配らない。別に私だけが無視されているというわけではなく(いや、チラシが欲しいとか連れていって欲しいとか言っているのではない)、少し離れたところから観察してみても、道行く人の誰にもチラシを配らない、声をかけない、店に引きずり込まない。仲間うちでおしゃべりをして時間つぶしをしているだけ。

 見苦しい。もとより職業に貴賤のあろうはずもなく、それが(いわゆる)いかがわしい店への呼び込みであろうと、懸命に働いている姿は、いっそすがすがしいものである。以前、夜の吉祥寺の街を友人たちと歩いた時、途中でピンサロ嬢たちの猛烈な勧誘地帯を通り抜けることになり、目的地のカラオケボックスについたとき、点呼を取ったほどである。[;^J^] いや実際、ひとりやふたり、脱落していてもおかしくはないほどの、蠱惑的な呼び込みであった。これこそが、夜の裏町の歓楽というものだ。

 有楽街の、やる気のない客引き嬢たちを弁護出来るとすれば、そこがやや“場違い”であることであろうか。若者が出歩くスポットのど真ん中なのである。もうひとつ通りを隔てた胡乱な裏通りこそ、彼女らの本来の仕事場であろう。今は無気力な彼女らも、そこでは精気を取り戻すものと信じたい。

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*1996年11月01日:焼失について


 京大のオーケストラのボックス(部室)が焼失したという。幸い、人命には被害がなかったが、多くの楽器と楽譜が失われたらしい。

 燃えてしまったものは、仕方が無い。問題はこのあとだ。(容易に)取り返しのつくものと、(容易には)取り返しのつかないものが、あろう。

 最も取り返しのつきやすいものは、恐らくは“新品の”楽器である。(但し、安定した生産量と品質をキープしているメーカーの場合。)それは、金銭で取り返せる。無論、それを購うための金銭を(再び)得るために、数年も数十年もかかるほどの高価な楽器だった場合は、別であるが。

 取り返し難いものは“時間”である。数年・数十年かけて、自分の体に馴染ませて来た楽器。それを取り返すためには、あるいは、同じだけの時間がかかるだろう。

 さらに、昔の書き込みのある楽譜。バックアップコピーを誰かが取っていればともかく、普通はそんなものはあるまい。その書き込み自体が貴重な情報である場合、これは本当に取り返しがつかないかも知れない。

 しかし、失われたものを嘆いていても物事は先に進まず、さらに言えばこの国では、何度も何度も多くのものを失っては、いちから(ゼロから)やり直してきたのである。今回の火災で失ったものも、元を辿れば、ゼロから作りなおしてきたものかも知れない。それを失ったからといって意気喪失していては、父祖に笑われるというものだ。(一時的に落ち込むのは当たり前である。そのあとの行動力が問われているのだ。)

 金銭で取り返しのつくものは、アルバイトをするなり援助を求めるなりして、金をかき集めればよい。手段を問う必要はあるまい。金銭(だけ)では取り返し難い“時間”についても、それを取り返すに要する“時間”を短縮する術は、あろう。それこそ、金銭に換算できる部分があれば(すなわち、ある程度の“エージング”の成果を金銭で得ることが出来れば)、金策に走れば良い。

 失われた楽譜については、そのバックアップコピーを誰かが(例えば違法にでも)取っていないか、捜しまわることだ。それと並行して、記憶の底にある限りのものを、吐き出すこと。復元できる限り復元すること。

 やれること、やるべきことは、いくらでもあるのだ。頑張って欲しい。

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*1996年11月02日:追憶:「神曲地獄篇」


 新聞の縮刷版なら、国会図書館に行かなくても地元の図書館にあることに気がついた。(こういうのを、盲点という。)そこで、浜松中央図書館へ。

 目下の主たる調査対象である、1960年代のサンケイ新聞は、無いことが判明。(国会図書館で貴重な時間を割いていた(いる)のが無駄にならず、これはこれでホッとする。)朝日新聞はそろっていたので、「あんてな一家」「おはよう!クスコ」をチェック。

 初出誌(初出紙)調査を効率良く片付ける骨法は、「他の漫画(記事)を読まない」ことである。これは「大掃除における古新聞の法則」そのものであり、解説は不要だろう。しかし「おはよう!クスコ」をチェック中に、つい、この禁忌を破ってしまった。(土・日にゆっくり調べられる地元の図書館、という、いつになく時間の余裕のある状況だったこともある。)

 「連合赤軍事件」である。

 浅間山荘の銃撃戦。そして、あとからあとから惨殺死体が発掘され続けたリンチ殺人事件。これらの(今の目から見ても、なお)恐るべき事件の記事を、読まずに通り過ぎることは、全く不可能であった。

 カルト集団の狂気と言えば、今なら誰もがオウムを想起しよう。しかし、我々(及びそれより上の)世代にとっては、連合赤軍なのだ。彼らの愚行は、私にとってはオウムの犯罪よりも恐ろしい。

 オウムの事件は、彼らの年齢を20歳差し引いて考えると、理解しやすい。現実感覚の希薄な、遊戯の世界である。男の子なら、誰もが一度は世界征服を夢想する。少なくとも“自分”を“世界”の上位に置く。幼き日々に。そして大人になるということは、これらの甘美な夢を捨て去るということなのだ。その意味で、オウム事件には普遍性が無い。「幼児性を引きずったまま大人になるチャンスは、誰にでもあるぞ」と言われれば、それはもちろんその通りなのだが、それを言うなら(例えば)誰にでも殺人者になるチャンスはあるのであって、一般化のしすぎというものである。

 連合赤軍事件は、そうではないのだ。

 少なくとも、延々と仲間を殺し続けた集団リンチ。あれは子供の発想ではない。あんなことを夢見る子供はいない。つまり我々の内なる欲望と結び付くところがなく、そのレベルでは一般化しづらく、従って“あの狂人どもの引き起こした特殊な事件”として整理することが可能な構造を持っている。

 しかし、それは上辺だけのことだ。実に判りやすい“児戯”であるオウムの犯罪に、かえって普遍性がないのと同様、理解しづらい地獄絵図を繰り広げた連合赤軍の狂気には、むしろ(逆説的に)普遍性があると言えないだろうか? われわれは誰しも、自分でも理解しがたい部分を内部に秘めている。理解出来ないということは、つまり、(信じたくないことだが)自分がそれにとらわれないという保証もないということだ。連合赤軍の“屍臭”は、そこを突く。だからこれほど厭わしく恐ろしいのだ。正視できないのだ。

 もうひとつ衝撃的なのは、(これは縮刷版の新聞を一気に読むと、まざまざと浮び上がって来ることなのだが)当初の浅間山荘事件の段階では、彼らはまだ「ヒロイズムの幻影」に包まれていたのである。何人もの警官が殉職した、あの銃撃戦を、「革命戦争」の文脈で捉える層が、確かに存在していた。かなり多くの(進歩的)日本人にとって、彼らは「英雄」だったのである。(人質を全く傷つけず、紳士的に処遇したことが判明した時点で、さらに偶像視が進んだ形跡すら、ある。)

 そんな「支持層」の想いをも、木端微塵に打ち砕いたのが、リンチ殺人事件だった。これは支持できない。これは弁護できない..

 さらに私は思い出す。この事件からおよそ10年後、これを題材にした実録小説、「神曲地獄篇」(高木彬光)を読んだ時の衝撃を。“巻置くあたわず”という目に本当にあったのは、この小説だけである。角川文庫の1ページ目を開いてから、最後のページを閉じるまで、文字どおり、ページを繰る手を止めることが出来なかった。そしてこれほど恐ろしい小説を読んだ記憶も、あとにも先にもない。

 誰もが悪夢を心の底に飼っている。悪夢を持たぬ人間は、あるいは人形でしかあるまい。連合赤軍の狂気の記憶は、私の人間性を(暗黒面から)支えているのかも知れない。

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*1996年11月03日:大道芸の祭典


 浜松発9時2分の東海道線で、10時過ぎに静岡に。今日は「大道芸ワールドカップIN静岡」の3日め(会期は明日まで)なのである。(実は、この大会の存在は、ほんの数日前に、ニフティのFCLAの深夜のRT(いわゆるチャット)で知ったのだ。実際、様々なジャンルの大道芸をまとめて観賞するのは、今日が初めてなのである。)

 簡単に紹介しておくと、この大会は今年で5年め。世界各国から数十人の大道芸人を集め、会期中は静岡の中心街のあちこちで、大道芸が繰り広げられる。集まる観客は毎年100万人以上。最初は「大道芸とはなんじゃらほい」的に、パフォーマーを腕組みして遠巻きに見ていた市民たちも、今ではすっかり馴染んでいる由。

 とにかく凄いものである。現地入りしてみると、まさに街じゅうでバックアップして盛り上げている。(無論、「大道芸ワールドカップ?何それ?」な人も、大勢いることであろうが。)主たる会場である、広大な駿府公園に着いてみれば、そこはまさに異世界であった。

 公式ガイドブックから、小嶋市長のあいさつを引用する。

 皆さん、大道芸と言えば静岡という季節がやってまいりました。

 静岡市の秋の街並みを、幻想的な祝祭空間へと変える「大道芸ワールドカップイン静岡」今年も日本全国いや、世界各国から、素敵なパフォーマーの皆さんが、静岡市へ集結します。

 11月1日から11月4日の4日間、静岡市は巨大な劇場空間となり、そこにいる人々は観客となるばかりでなく、時として役者となり、さらには演出家となるのです。大道芸は、街の風景そして、街を行き交う人々の気持ちを変えていきます。

 大道芸という路上パフォーマンスは、世界各国で盛んに行われている大衆文化であり、大道芸によるパフォーマンスは、言葉の垣根を越えて全ての人間とのコミュニケーションをはかれるものです。

 パフォーマンスの背景には、それぞれのパフォーマーの国の文化・歴史・経済などが、入り組んでおり、パフォーマンスを楽しむことは異文化に接し、共有することにもなり、このワールドカップによりパフォーマンスを通して、異文化と交流することができるのです。

 この「大道芸ワールドカップ」を静岡の「顔」として売り出し、全国から人を集め、街の活性化を図るとともに、新しい静岡市の文化として育てるという目的は達成されつつあります。一過性の単なるお祭りイベントではなく、ソフト面からの極めて新しい文化的手法による街づくりであるこの企画を通じ、今後は、静岡市民が新たな文化を創造し、世界に向けて情報発信することにより、「世界的な文化都市・静岡」を創りあげていきたいと思います。(後略)

 その意気やよし。

 ウィーン・フィルを呼ぶくらいのことならば、誰にでも出来る。しかし(なんの権威もない)大道芸に、行政が金を出すというのは、本当に至難のわざであったろう。(実際、市長の道楽として糾弾する動きもあった(ある?)らしく、今年も無事に開催されるかどうか、定かでなかったらしい。)この企画力と実行力は、賞賛に値する。

 世界に誇れる企画である。残念ながら、私の棲息する浜松市には、これほどの想像力も構想力も実行力もないのだが、ま、同じ静岡県だ。誇りのおこぼれにはあずかろうじゃないか。

 見てまわった芸人たちについての備忘録である。しかし全く、物凄い人出ではあった。


*スカラブース
 異境的(異郷的?異教的?)な白い装束に身を包んだ3人組による、不思議なムードのスティルツ(1メートル以上の“高足”を履いて、無言劇や様々なアクロバットを演ずる)である。芸の水準が高度か否かはよく判らない(鑑識眼がない)のだが、いきなりこれを観たことによって、体ごと“あっち側”にスライドしてしまった。

*ショーソン・キリー
 衣服が次第に引き裂けていくネタをメインとする、コメディ。この日に観た全てのコメディがそうだったが、ハプニング的に観客を巻き込む(巻き添えにする)。いたけな幼女にまんまと名演をさせてしまい、それだけで笑いを取ってしまうところがあざといと言えばあざといが..[;^J^] ノッペラボウの“お面”に、スパゲティで顔を作っていくネタが、面白かった。

*トニー・ダンカン
 ジャグリング(いわゆるお手玉。大道芸の基本中の基本)の名手。これは凄い。3つないし5つのボールが、掌の上を肱の上を肩の上を背中の上を、頭を踵を首を額を、生命あるもののごとく、流れる飛び跳ねる!
 玉の替わりに立方体を使った色物(?)をはさんで、最後は“ひとつ玉”による芸。普通に考えれば、複数の玉を扱うよりも、ひとつの玉だけを操作する方が楽だと思えるし、そのぶん感銘が低くても当然である。にも関らず、複数の玉の芸よりも、これの方がさらにスリリングで感動的なのだ。

*インサイド・アウト
 仮面をつけたトリオによる、パントマイム。(といっても、BGMは歌う。)オリンピック競技の物真似を、次から次へと繰り出す。
 ちょっと残念なのは、(4回に1回位)外していることである。[;^J^] 彼らの芸のせいと言うよりは、それをオーディエンスが理解出来ないのであるが(例えば、馴染みのない競技や、ファンファーレや、国歌など)、オーディエンスの水準に合わせるのが、芸人の責任というものであろう。

*クロック・ワーク
 最初のうち、(2メートル近い?)一輪車から転げ落ちるなどのミスが続き、はらはらしたが、持ち直した。ふたりでジャグリングしながら客の似顔絵を描く(一瞬、手がすいた隙に、マジックペンを走らせるのである)など、面白いネタ。

*マイケル・コーエン
 今回、もっとも感動的だったのが、この“エミュ”(オーストラリアに棲む、ダチョウに似た鳥)に化ける芸である! いや実際、これが観られただけでも、1日分の時間と金銭の投資が引き合ったというもの。
 車輪を糸で中空高く放りあげて(糸で)受け止める、という小手調べの芸のあと、何やら奇妙な布を被り、それでメタモルフォーズをする(内側から布のあちこちを押し出して、奇妙な(不気味な)オブジェと化す)芸に移る。
 これが大きく3部にわかれ、最初は“仮面(お面)”ネタで、普通に布の中からその仮面を被った頭部を出しても不気味なところを、さらに複数の仮面を使って、布のあちこちの内側から外に向けて押し付ける。これによって、人間だか動物だか良く判らない形態のオブジェのあちこちに“無表情な顔が張り付いている”ことになる。これの幻想的な効果は、かなりのものである。
 次に、大きな“唇”と“眼球”をオブジェの外に張り付けて、巨大な頭部に化ける。
 そして最後に“エミュ”に化けるのだ。どういう風に化けるのかは、説明を省こう。
 何よりも効果的だったのは、全体の時間配分、つまり“構成”である。エミュに化けてからが、かなり長いのだ。しかも、エミュに化けおわると、もうそれ以上のネタは無いのである。つまり普通に考えると、ここで“だれる”はずなのであるが..全くだれない。これが凄いのだ。私はほとんど、この“エミュの場”で時間が静止したような錯覚すら覚えた。(恐らく、実時間はそんなには長くなかったのだ。ストップウォッチで計ったわけではないからなんとも言えないが、物理的時間と主観的時間が、確かに乖離していたのだ。)マイケル・コーエンの名は、覚えておいていただきたい。

*ヘンリック・ボース
 伝統的な皿回しなども披露してくれたが、メインは一輪車の技で、それも、拘束衣で自らを縛らせ、足も一輪車のペダルに固定させ、一輪車をこぎながら拘束衣から抜け出る(つまり脱出芸を演ずる)というもの。不思議な芸もあるものである。

*クレイジー・イデオット
 お茶目なしぐさをするペンギントリオの繰り広げる笑劇.. 今回最も期待外れだったのが、これだ。これといった難度の高い芸をするわけでもなく、ひたすら演技で訴えるタイプ。こうなると、彼らの“笑い”と私の“笑い”のセンス(波長)があわないと、どうにもならない。残念ながら、私には面白くもなんともなかった。(しかし多くのお客さんは喜んでいたようで、結構なことである。)

*スケート・ネーキッド
 アクロバット二人組み。その力技のバランス芸はしっかりしたものだと思うが、それにいたるまでのギャグの流れが悪く、時間をロスしていた様に思える。しかしこれは彼らだけの責任とはいいがたく、イギリス人のユーモア感覚と日本人のそれのずれ、及び、(基本的には日本語で芸をしていたのだが)どうしても英語感覚のギャグが、日本人のオーディエンスに伝わりにくい、などのハンディがあった。あれ?どうしてここで受けないのかな?と、段取りを繰り返す箇所が、しばしばあり、そこで“ダレ”を感じてしまったのだ。

*アルト・リベロ
 終り間際だけ観た。スティルツの応用で、馬に乗った騎士や、宙を行く魔法の絨毯の上でアグラをかくペルシャの魔法使いなどを、(もちろんひとり芝居で)次々と演ずる。これらのうち、(ピエロの無表情な)仮面を、ぐーーっとさらに空高く伸ばす(つまり、キリンの首になる)ネタがあったが、「ゴーメンガースト」(マーヴィン・ピーク)という小説の中で、同じような(恐ろしい)シーンがあったのを思い出した。

*アンドロ・センコ
 伝統的な手品である。主たるネタは、空中(あるいは舞台(実際は、ただの広場)に引っ張りだした客の体のあちこち)から、コインをどんどん取り出すという、奴。どの角度から覗いても、ネタが見えない。この“あらゆる方角から監視されている”というのが、ステージ・マジックとは異なる、大道芸マジックならではの過酷な条件なのである。

*アレキサンダー
 伝統的な道化のコスチューム(中世やルネサンスの絵画などで、よく見られる類)を身に付けて、ルネサンスの頃に話されていたという(理解不能な)言葉をまくしたてる芸。観客巻き込み型で、広場の中央に引っ張りだした客(3人)に、愉快な仕草をさせる。これは本人の芸とは違うよなぁ..と思いつつ見ていたのだが、最初はしらけ気味に聞いていた、出鱈目言葉の渦と動作が、次第に狂騒的な空間を作っていくのが判った。これはこれで見事なものである。むろん、客を乗せるだけのものではなく、高度なバランス芸など、基本もしっかりとしていることをアピール。


 ここまで見終ったところで、17時前頃。演技時間は終りである。足が棒になったので(とにかく物凄い人ごみであり、運が良ければ前列の好位置をキープして体育座りで見ていられるが、それに失敗した場合は、人垣の後列から背伸びをして覗きこむか、さらに悲惨な場合は、人垣の中列で、中腰あるいは膝だちあるいはさらに不自然な姿勢で2〜30分、という重労働に追い込まれるのである)、近所の居酒屋に飛び込んで、中生4杯で秋刀魚とサザエとなめこおろしとニンニクを貪り食って鋭気を取り戻し、19時過ぎから、市内のあちこちで繰り広げられるナイトパフォーマンスを覗いて回る。

 昼とは戦略を変えて、あえてひとつひとつの芸を見届けることはせずに(実際、昼の番組と同じネタ、というのも多いのだ)、夜の祭りの雰囲気を味わいながら、つまみぐい的にふらふらと。

 最後に観た芸だけ、ここで記しておく。それは、好田タクトによる指揮者の物真似である。ネタは6つ。

*クライバー交響曲第7番(ベートーヴェン)
*朝比奈隆交響曲第1番(ブラームス)
*カラヤン交響曲第5番(ベートーヴェン)
*レヴァインウィリアム・テル序曲(ロッシーニ)
*ストコフスキーカノン(パッヘルベル)
*小澤征爾交響曲第2番(マーラー)

 いや実に面白い芸であったが、考え込んでしまったこともある。

 どうして、これが受けているのであろうか?(他の出し物に比べて多いとは言えないが、かなりの人垣が出来ており、盛大な拍手を受けているのである。)クラシックファンの比率は、(東京文化会館を擁する上野公園などではどうだか知らないが)どんな雑踏であっても、高々3%位であろう。ましてや、これらの指揮者の指揮姿のカリカチュアを観賞しわけられる層となると?

 無論、そういう“芸”が判る連中だけが、足を止めて人垣に加わったのかも知れないが、それよりも遥かに妥当な説明として私が理解したのは、「個性的な指揮姿は、それだけで観賞するに値する芸になる」ということだ。実際、私のすぐ後ろにはいかにもクラシックオタクなあんちゃんがいて(人のこと言えるか)、これらの指揮者の特徴的な仕草に「うんうん、似てる似てる」とうなづき続けていたのだが、彼のこの“やらしい”反応よりもむしろ、クラシックのことなど何も知らないらしい女の子たちが、「クライバーの、腕を水車のごとく振り回す芸」「カラヤンの、目をつぶって胸元をかきむしる芸」などにあげる歓声にこそ、素直なリアリティを感じたのである。

 そう、クラシックもポップスもない。音楽はもともとは、大道芸だったのではないか。もしも音楽が人心から遊離しているのならば、再び出自の大道芸に帰るべきではないか..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 5 1996 
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