[嫌いな現代音楽 7]

「一人の男のためのシンフォニー」ピエール・シェフェール、ピエール・アンリ



 この作品を「嫌いだ」と言うのは、辛い。

 シェフェールは、“ミュージック・コンクレート(具体音楽)”、即ち、録音された現実音を換骨奪胎/再構成して、新たな音楽作品にまとめ上げるという技法の創始者であり、この作品は、このジャンルの最も初期の(公開演奏された最初の)成果なのである。(ミュージック・コンクレートの実験は1948年に始まっており、「一人の男のためのシンフォニー」の初演は1950年。)

 つまりこれは、私が言うところの「全く新しい技法、美学、理念を世に問う、先鋭的な作品」であり、「その技法、美学、理念を、世間に定着させるための、追試、あるいは駄目押し的な作品」でもあるのだ。これを生理的に受けいれられないのは、“新しい芸術”(といっても、半世紀近くも昔の作品だが)の擁護者を気取っていたスノッブに取っては、残念なことであった。マックス・エルンストの(神経を逆撫でする)コラージュは、苦もなく享受出来るというのに。

 やはり、気負いが先走っているのだと思う。これほどまでに“耳に痛い”音響である理由は、他には見出せない。ミュージック・コンクレートには、“不快な音響によって構成される”作品である必然性は無いのだ。

 ミュージック・コンクレートそのものは、既に過去の技法であり、音盤やテープを用いて、大変な労力を費やして制作されたものだが、こんにちの「サンプラー」なる楽器を使えば、実に容易に制作出来る。ソフトウェア(作曲理念)とハードウェア(実現手段)のタイミングがずれた、典型的な例である。

*ADES 14 122-2 “現代音楽 1945 1975 前衛作曲家戦後30年の歩み”


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 13 1995 
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