鳴り止まぬティンパニ − 1997年5月5日の覚書



 私は、ベルリオーズの「レクイエム」の実演に、2回だけ接している。

 1回目は、92年7月1日、東京文化会館における、若杉/新日本フィル/晋友会の演奏であった。この時は、会場の制約から無理もないこととは思うが、本来はホールの4隅に配置されるべきバンダが、舞台の4隅に置かれていた。また、バンダの人数も、約半数に減らされていた。これはしかし、この曲を演奏するさいの、標準的な措置らしい。のちにLDを2枚、バーンスタイン盤とコリン・ディヴィス盤を購入したが、いずれも、「舞台の4隅で、人数は半分」なのである。元々、普通の会場に入りきるような編成では無いのだ。(データ欄参照。)

 しかし、打楽器群は(タムタムを除き)指定どおりの人数を揃えていた。特に、8対(10人)のティンパニ奏者は、舞台中央に“横一線に”並べて配置していた。これは驚異的な効果をあげていた。

 “音響的効果”と言う意味では、ない。なにしろ、レコードやCDで聴き込んできた作品であり、音量に対しては“心構え”が出来ている。そしてその音量は、予想の範囲を越えるものではなかった。但し、なにか息苦しいような圧迫感は、確かにあった。

 驚いたのは、8対(10人)のティンパニ奏者の“視覚的効果”である。大体1小節ごとに和音が変わるので、1小節ごとに奏者(あるいは打面)の組み合わせが変わり、その度にあちこちでスティックが振り上げられるのである。まさに“うねり”の視覚化であり、地響きが目に見える様であった。作曲者はここまで計算に入れていたのだろうか。これは、CDではわからない“凄味”であった。

 2回目は、94年12月10日、サントリーホールにおける、小澤征爾/ボストン響/タングルウッド音楽祭合唱団の演奏。この時も人数は、スコアの指示の丁度半分であったが、バンダは指示通り、会場の4隅に配置されていた。

 このバンダは技術的にも素晴らしく(聞くところによると、N響団員がエキストラで出演していたらしい)、安心して立体音響のシャワーに身を委ねることが出来た。作曲者の、この(単純と言えば単純な)アイデアの効果は、体験してみないと判らない。スコアを見ると判るが、個々のバンダは、かなり単純な音型(リズム)を奏しているのであるが、それの組合わせと(これが重要なのだが)どうしても発生する微妙なタイミングのディレイが、絶妙な“響きの厚み”を生み出すのである。

 このように、バンダについては若杉/新日フィルのライブよりも、遥かに満足できたのであるが、打楽器については(相対的に)不満が残った。全体に刈り込み過ぎで、ティンパニは16面10人の指示の所を、13面6人。天上から降り注ぐラッパ群の豊麗さに対して、地上の地響きが軽く、“腰の高い”音響バランスになっていた。



 “音量”は予想の範囲内であった、と述べた。それは、耳を聾する低音の大音響の爆発は、無かった、ということである。その理由は、オーケストラと全ティンパニ奏者を正面から観察出来た東京文化会館で、はっきりと判った。つまり、ティンパニ奏者は10人もいるのだが、同時に奏しているのは、高々5〜6人なのである。

 スコア(Eulenburug版)を、詳しく調べてみた。「トゥーバ・ミルム」でティンパニ群の轟音が鳴り渡る2箇所、すなわち、練習番号20の2小節前から22の1小節前までと、練習番号26の3小節前から28の1小節前までである。


    小節番号    奏者数  ピッチ

    [20] - 2    1       B
    [20] - 1    6       G   G   B   B   Es  Es
    [20] + 0    6       G   G   B   B   Es  Es
    [20] + 1    6       G   G   B   B   Es  Es
    [20] + 2    5       As  B   B   D   F
    [20] + 3    5       As  B   B   D   F
    [20] + 4    6       G   G   B   B   Es  Es
    [20] + 5    6       As  B   B   Es  Es  F
    [20] + 6    5       B   B   C   Es  Es
    [20] + 7    5       Ges B   C   Es  Es
    [20] + 8    4       G   G   H   D
    [21] + 0    4       G   G   C   E
    [21] + 1    4       G   G   C   E
    [21] + 2    5       G   B   B   Des E
                4       F   As  Des F
    [21] + 3    5       As  B   B   D   F
    [21] + 4    5       G   B   B   Es  Es
    [21] + 5    5       As  B   B   D   F
    [21] + 6    4       G   B   B   Es

    [26] - 3    1       B
    [26] - 2    1       B
    [26] - 1    6       G   G   B   B   Es  Es
    [26] + 0    6       G   G   B   B   Es  Es
    [26] + 1    6       G   G   B   B   Es  Es
    [26] + 2    5       As  B   B   D   F
    [26] + 3    5       As  B   B   D   F
    [26] + 4    6       G   G   B   B   Es  Es
    [26] + 5    6       As  B   B   Es  Es  F
    [26] + 6    6       A   B   B   C   Es  F
                5       Ges A   B   C   Es
    [26] + 7    5       Ges B   C   Es  Es
    [26] + 8    4       G   G   C   D
                4       G   G   H   D
    [27] + 0    4       G   G   C   E
    [27] + 1    4       G   G   C   E
                2       G   G
    [27] + 2    3       B   Des E
                3       B   Des F
                3       Ges B   Des
    [27] + 3    4       As  B   D   F
    [27] + 4    5       G   G   B   Es  Es
    [27] + 5    10      G   G   As  B   B   H   D   Es  Es  F
    [27] + 6    10      G   G   As  B   B   H   D   Es  Es  F

 (第 [21] + 6 小節と、第 [27] + 6 小節は、トレモロではなく、1拍めの四分音符のみ)これを見て判ることは、同時に演奏している奏者数は平均4.8人強で、確かに半数以下であるということと、“1小節も(実は1拍も)休みが無い”、ということである。

 “爆発的大音響ではない”ことと“異様な音圧感がある”ことの原因は、ここにあったのだ。ティンパニが“全く鳴り止まない”ことが、トゥーバ・ミルムの音響の、最大の特徴だったのである。

 19世紀後半にペダルティンパニが発明されるまで、ティンパニの調律を演奏中にすばやく変えることは困難であり、さらに台数も1対(2台)が標準であった。つまり、1楽章の中で、高々ふたつのピッチしか鳴らせない、ということである。主音と属音(3台あれば、これらに加えて下属音)。これだけあれば、古典派交響曲の、近親調を渡り歩く整然たる転調システムには対応できる。しかしこの場合でも、“いつでも叩ける”訳ではなかったのだ。IIの和音に対しては、主音も属音も重ねられない。この和音が鳴り響いている間は、(非和声音を鳴らしたくなければ)ティンパニはお休みである。

 ロマン派時代となり、半音階的無秩序的転調の歯止めが効かなくなって、事態は悪化した。自由なピッチで叩けないティンパニは“時々しか鳴らせない”のである。

 どうしてもティンパニを鳴らしたければ、「ティンパニの都合に合わせて転調する」か「和音の構成音でなくとも構わず叩かせる」か、あるいは、「必要なだけのピッチのティンパニを並べる」しかない。ベルリオーズは、最後の解法を選んだのだ。



 ティンパニによる“途切れぬ地響き”自体は、実はレクイエムが最初ではない。これを実現している重要な先行例が、少なくともふたつあり、これらはいずれも、レクイエムのようなティンパニの大量動員を行っていない。ひとつは、同じくベルリオーズの「荘厳ミサ曲」の「第9曲:レスルレクシト」であり、もうひとつはベートーヴェンの「交響曲第9番」である。

 「レスルレクシト」は「トゥーバ・ミルム」の習作と言うべき作品だが、ここではティンパニは一対。EsとBのみである。この楽章の第89小節から第98小節が、「トゥーバ・ミルム」の、練習番号20の2小節前から7小節目までに相当するが、第90小節と第91小節でEsのトレモロ、その他はBのトレモロである。前記の表を見ていただくとお判りのとおり、これは和声の構成音である。ここまでは比較的素直な和声進行なので、一対のティンパニで対応できたのだ。

 「第九」の第一楽章の再現部冒頭は、ご存知の通りの音楽である。ここではティンパニは38小節にわたって、(たまにAが入るが)主音のDのトレモロを叩き続けている。ほとんどDとAだけで構成されている主題とは言え、この箇所の後半になると次第に和声は外れて行くのだが、ベートーヴェンは構わず、Dを叩かせている。このオルゲルプンクト(オルガン点=持続音)的効果は、物凄い。

 ティンパニが“鳴り止まない”こと自体は、ベルリオーズの発明ではなかったのだ。鳴り止まないだけではなく、自由な和声進行に対して、ティンパニの和音を“途切れさせずに”重ねること。このために、これだけの台数が必要だったのだ。“鳴り止まぬティンパニのトレモロだけで、和声進行を維持してしまう”という発想が、この楽章の新規性の根幹だったのである。これに加えて、“平均して常時5人”が叩き続けることによる音量効果。しかしこれはどちらかと言えば、副次的な問題に過ぎないようである。

 ベートーヴェンの第九交響曲の第一楽章は、再現部冒頭に限らず、コーダの執拗な低弦音型の繰り返し(バッソ・オスティナート)といい、オルゲルプンクトのイメージが極めて強い。(それは空虚五度の開始に由来する、半ば宿命的な性格かも知れない。)ベルリオーズのトゥーバ・ミルムのティンパニは、どんどん和音が変って行くという面では、オルゲルプンクトではないのだが、轟音が鳴り止まない、という意味では、まさにオルゲルプンクトである。前衛音楽の旗手だったベルリオーズは、すぐ前の世代の前衛音楽の大先達である、尊敬するベートーヴェンの晩年の作品に、インスパイアされたのかも知れない。



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Last Updated: Nov 17 1999 
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